天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

トルコ旅行5日目カッパドキア・ギョレメ屋外博物館見学は1時間でトルコ絨毯見学即売会に1時間半を費やす

2011-09-25 18:44:33 | 日記
今日の続編日記は、トルコ旅行第5日目・8月17日(水)の観光地・カッパドキアのことです。添付した写真は、現地土産品店(ギョレメ屋外博物館で10TL・約450円)で購入した日本語版ガイドブックの表紙(A4版・112P:右上の城砦外観は隊商宿スルタンハン)です。
そのトルコ旅行第5日目は、洞窟ホテル『アルゴス イン』で朝食した後、私たちツアー客は午前中にギョレメ屋外博物館を観光しました。この屋外博物館には、約30の教会や修道院が公開されていますが、時間の都合か(次のトルコ絨毯工場の見学時間確保の為か?)、リンゴの教会・サンダルの教会等の3か所しか、私たちは見ることができなかったです。だから、入場見学は時間にして約1時間程度の短さです。
よく日本の観光ガイドブックで紹介されている食堂跡などは、上にある洞窟跡などはちゃんと階段が付いているのに、登るのに危険だからと現地トルコ人ガイドは、入場をさせませんでした。一緒にツアーを廻った家族連れの男子小学生たちも、とても残念がって、そのガイドに強く懇願していました。
そして、このキリスト教遺跡の説明をしているトルコ人ガイドは、イスラム教を強く信仰している為なのか?キリスト教の深い知識がないのか?、その解説が簡単でまったく投げやりに私は感じてしました。
だから、このギョレメ屋外博物館の案内だけは、一緒に同行している旅行代理店の日本人女性の添乗員(注:彼女は南米やアフリカ等が専門でそれだけの歴史的な知識がないが)に変わって行ってほしかったです。さらに、彼女には現地トルコ人ガイドの言いなりにならず、もっと見学時間を取って他の多くの教会や修道院を見学するように、ツアー客に深い配慮してほしかったです。
そして、次の目的地・トルコ絨毯工場見学及び即売会(注:この見学コースを希望者だけのOPツアーすれば、この時間をギョレメ屋外博物館見学に利用できた)には、1時間半以上も費やしています。現地産と言ってもとても高価(注:それだけ品質が良いと販売員は強調しているが)な名産商品を、時間をかけてツアー客に強く勧めるこのお店販売員の行動に、私はまったく辟易しました。
何故なら、私は日本からとても高価なトルコ絨毯を買う為でなく、トルコの世界遺産であるカッパドキア・ギョレメ屋外博物館を見る為に、遥々訪れていたからです。
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『デパートへ行こう! 』著者真保氏はお子様ランチからカツ丼系に移行したが、私は最初からいつも”かつ丼”

2011-09-25 10:47:30 | 日記
今日の日記は、今読んでいる真保裕一著『デパートへ行こう! 』(2009年講談社刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、この著作の題名『デパートへ行こう』にとても興味(注:私にとっての幼年期は”デパート最上階の大食堂”は特別な存在だったので・5月30日付日記「札幌で久しぶりに『かつ丼』食べて私の幼年期から物事に強い拘りを持つ私の自我をこの大好物が育んだと得心」を参照の事)が沸き、初めて真保裕一氏のこの著作を、今読んでいます。
そして、真保裕一氏自身が朝日新聞のインタビュー『なぜ、デパートを舞台にしたのですか?』に対して、次のような私が強く共感する回答をしています。
『自分のデパートに対する思い入れです。私にとって、デパートは家族との思い出とつながっているんです。父親が日本橋(東京)の会社に勤めていて、デパートでよく待ち合わせて、買い物をしたあと食事をして家に帰るなんていうのが家族の行事のようにあったんです。注文するメニューも成長するにつれて変わっていって、最初の頃はお子様ランチ、それからカツ丼系に移行していって、そのうち、中華も一品じゃ足りなくてあれもこれも注文すると、父親から「あんまりとるな」と言われて(笑)。』
1961年5月24日生まれの彼は、私より8歳も若い次の戦後第三世代の人間です。しかし、まだ社会が皆貧しかった「戦後第二世代」の私(注:厳密に言うと彼はもう豊かな世代で、デパートで買い物した後に食事したので食事自体が目的ではないが)と同じように、繁華街のデパート最上階の大食堂で食べる豪華な食事が、とても楽しみみたいです。
また、父親と一緒に食事をして『お子様ランチ』から『カツ丼系』に移行し、あれもこれも注文する真保氏が父親から”あんまりとるな”と怒られたと回想しています。私の場合はそれとは一風違い、私はいつも強い拘りを持って『かつ丼』を母に頼んでいて『変わった子だね~』と、母にとても驚かれていましたが。
そして、彼の分身と思われる無職で離婚された50歳の男・加治川英人を、この著作でも登場させています。以下に、著書から加治川に触れた記述の一部を引用・掲載します。
『月に一度だけ、母は息子を東京のデパートに連れていってくれたのだった。・・教室の三倍はありそうなほど広い食堂も好きな場所のひとつだった。』
このくだりを読んで、私自身の過去のとても懐かしい思い出をダブラせてしまいました。やはり、デパートの大食堂は私だけの特別な存在でなく、戦後のある時期に育った子供たちにまったく共通した認識だったと、私は今強く得心しています。


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