「私の叫びに耳を留めてください。私はひどく、おとしめられていますから。
どうか、私を迫害する者から救い出してください。彼らは私よりも強いのです。」
詩篇 142編 6節
人にひどく馬鹿にされた、見下された、無視されたと感じたことはありませんか。
本当に嫌なものです。そのような「被害者意識」は悲しいものですが、私たち自身のひがみである場合が多いのです。
他の人はそれほどあなたのことには関心はないものです。
それなのに、ひがみ根性で、酷くおとしめられたと感じて、その人を恨み怒り、復讐心に燃えるような攻撃的態度をとったり、
へたばってしまうこともありますが、ひがんだり、怒ったり、ぺっしゃんこになっりしたほうが負けです。
そこからの解放は、第一に、どんな時、どんな所でも神を認めること、第二に、神を恐れ(畏れ)て悪から離れること、
第三に、心を尽くして神により頼むことです。そのとき、神はあなたの道をまっすぐにし、あなたの頭を高く上げてくださいます。
ここにこそ、私たちの人生にも、思案投げ首の閉塞状況、卑しめられたり、追いつめられたりといった状況に陥ります。
また、だれひとり声をかけてくれる者もなく、だれひとり自分のために動いてくれる者もいない。
そうした孤独の枷があったとしても、神は必ず救い出してくれるという教訓が語られているように思います。
ヘブル 5:7~10
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、
大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、
彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、大祭司ととなえられたのです。」
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