「 …… 。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
ヨハネ 13章 34節 B
イエスは愛を語ったのではなく、愛をお見せになりました。ご自分が模範となられて、それを実践されていました。
したがって、弟子たちは、イエスが去って行っても、このイエスにならって前に進んで行くことができるわけです。
どのようにして生きれば良いか分からないのではなく、模範にしたがって生きていくことができます。
それは、イエスにならって人を愛して生きることです。
イエスは新しい愛の掟を教えられた。イエスが教える以前の愛は、人情の愛、奪う愛、であった。
イエスは父なる神から啓示された無償の愛(与える愛)を教えられた。
マザーテレサが1984年に日本に来た時、広島の原爆資料館を訪れ、そこに色紙を残した。
次のような言葉が書かれていた。今も展示されている。
「神が私たち一人一人を愛されたように、私たちも互いに愛し合いましょう、
そうすれば、広島に多大の苦痛をもたらした恐るべき罪悪が、二度と起こらないでしょう」
マザーは「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」を引用しながら、
私たちは相手もまた神から愛されている存在であることを知らないから、憎み合い、殺し合うと語る。
神は私の敵をも、イスカリオテのユダさえも愛しておられる。そのことを知る時、
私たちは人を愛することが出来るし、戦争を止めることが出来る、マザーはそのように訴えている。
キリストの愛は乾燥した愛でもありません。人が愛や助けを必要としているとき、
指一本貸さない人、他人のためにはお金も時間も犠牲も払いたくない、
ただそれらしいジェスチャーをして泳いでいく人であってはならないと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます