主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
詩編 86篇 11章
「 我らの生涯に起こる香り高い讃美も、みだれた祈りも、恥ずかしい後悔の思いも、それらすべてをキリストの聖名に集中し、『 信仰 』 というリボンで一つの花束に結んで、主のみ前に供する 」 矢内原
心の本音と建前が違うのです。理想を知る建前の心は、愛、清さ、分け与えること、信じることを求めます。しかし本音は、自分の利益、自分の栄光を求め、妬んだり、ひがんだり、怒ったりむさぼったりします。パウロはこの心と思いについてこういっています。「 心とは単にいろいろな情緒ではなく、ある人の人格の中心的部分そのものであり、 」「 思い 」とは考えである 」
この詩編の作者は 「私の心を一つにしてください」と祈っています。これは、私たちの努力のわざではなく、私たちがまずそうなっていないことを自覚して悔い改め、そして神に祈り、神がそれに答えてくださるところから始まります。これは大変難しいことかもしれませんが、しかし、そうできたらどんなにすっきりと勝利の人生を送ることができるでしょう。
「 御名を恐れるように 」 と続けて祈っています。「 御名を恐れ( 畏れ ) るように 」 とは、神を怖がることではありません神を認めること、神を信じること、神を敬うこと、神を愛することです。本音も建前もなく、この心で一本筋が通る人の歩みはなんと力強くなるでしょう。
「 わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、」
エレミヤ 32:39
「 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、・・・ 神に知っていただきなさい。」
ピリピ 4:6