まじくんママのぷち旅ぶろぐ

トミーズツアー旅の編集人がつづる「四季の京都」周辺とたまに帰る「ふるさと富山」のお出かけぶろぐです。

東福寺:塔頭「霊雲院」九山八海の庭

2009年05月29日 | 京都市東山区

先日、東福寺へ出かけました。先に、境内の様子と通常公開されている通天橋、開山堂、方丈を紹介しました。

東福寺は「京都五山」に数えられる大きなお寺です。五山とは、鎌倉幕府が、中国(宋)で禅刹に官制を導入して五山十刹による寺格を定めていたのを取り入れ、臨済宗の主な5つの寺院を選んだものです。時代によって、その格は変化していますが、東福寺は常に「京都五山」に加えられています。

P1060517南北朝から室町時代に絶頂期を迎え、36の塔頭(たっちゅう)や子院があり「東福寺の伽藍面(がらんづら)」と、陰口をたたかれるほどでした。その後、火災や応仁の乱で多くの伽藍を失い荒廃しましたが、豊臣秀吉や徳川家光によって復興しています。

往時の大きさを偲ぶ大仏の片手(像高15m)が本堂(通常公開なし)に、蓮の台座の一部が、以前ご紹介した小野小町ゆかりの塔頭「退耕庵」前ブログ】に安置されています。

現在の塔頭は25寺あります。そのうちのいくつかは通常公開されています。今回は「霊雲院(れいうんいん)」を訪ねました。北門から歩くと、臥雲橋のずっと手前に案内板が出ています。

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P1060598霊雲院は、明徳1年(1390)に開かれ、はじめは「不二庵」と称していました。熊本出身の第7世の湘雪守沅が、藩主細川忠利親子と親交があり、湘雪和尚が霊雲院に住職される際に、五百石を贈ろうとしましたが「出家の身に貴き禄は参禅の邪鬼となる、庭上の貴石ならば寺宝とします」と申されたそうです。そこで、細川家では「遺愛石」と銘をつけ、須弥台と石船を作って贈ったそうです。

その遺愛石は、書院前庭に置かれ「遺愛石がある珍しい庭」として、江戸時代中頃に出された本にも紹介されていました。ところが、300年の歳月を経て荒廃してしまい、近年、第16世の景峰和尚の熱望により、重森三玲氏が修復され、庭本来の面目を取り戻したそうです。

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この庭は「九山八海(くせんはっかい)の庭」と称し、中央の「遺愛石」が須弥山を表しています。須弥山とは古代インドの世界観の中で中心にそびえる山で、仏教の世界観では、須弥山をとりまいて七つの金の山と鉄囲山があり、その間に八つの海があるそうで、白砂の砂紋がそれを表しています。

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小書院の西から、茶室にかかる庭は、寺号の霊雲を主題にし「臥雲の庭」といいます。雲が描く美しさと無心に動く水の美しさが褐色の鞍馬砂や白砂で表されています。

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また、茶室 「観月亭」は、日本でも数少ない2階建ての茶室で、太閤秀吉の北野大茶会当時のものを移築したものです。(写真:右上)

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霊雲院は、幕末に月照と西郷隆盛が密議を交わしたところです。また日露戦争中は、ロシア人捕虜収容所にもなり、その際の品が展示されています。

霊雲院 京都市東山区本町15丁目801 9:00~16:00 拝観料:300円

東福寺の塔頭は過去にいくつか訪ねています。詳細は【東福寺:カテゴリ】にて。

 


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