ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

海辺の叙景

2009-07-24 03:43:14 | 奄美の音楽

 (写真は、日刊スポーツの記事より)

 悲喜こもごも、と言いましょうか、こんなことにも勝ち組と負け組みがいるのか、なんて思ったりもしてしまった皆既日食祭りでしたが。

 でも私、ちょっと良い光景かなあ、とか思わないでもなかったのでした。だって、普段はそんなことにはまるで関係ない日々を送っているたくさんの人たちが、天体の移動という大宇宙の壮大なドラマと対峙したわけでしょう、スーパーで買った太陽観察用遮光メガネと、握り締めた南島への船のキップを得物として。

 こいつは結構好きなイメージだなと、日食見物に出かけた人々の辿ったさまざまな運命をテレビ越しに見物しながら思っていたのです。また、今回、恰好の観測場所として注目が集まったのが奄美諸島というのも素敵じゃないか。それも悪石島なんて、こんな事でもなければ大多数の人々は耳にする機会もなかったろう、造化の神が置き忘れた(?)みたいな場所にぽつねんと位置する小島に注目が集まるなんて、風情のある話だ。

 古い古い、正体不明の失われた民族が残した遺跡なんかを調べると、祝祭の場のメイン会場に冬至の日の日差しとかがちょうど差し入る構造になっていたりする。そんなにも昔から、宇宙の運行と同じ波動のうちに自らの生の時を定義したい、なんて憧れのうちに人々は生きて来たのだろうか。

 なんかねえ、日食観察のために島に渡った人々が、地球と言う岸辺に置き忘れられて途方に暮れる遥か銀河の彼方からの旅人、なんて風に見えてきたりもするのですよねえ。そういえばポール・サイモンの”アメリカン・ソング”の歌詞にもありました、”我々は月に行く船で、あるいはメイフラワー号で、この混乱の時代に辿り着き”って。

 それにしても我らが城南海ちゃんの壮挙。あの日食の瞬間、ひとときの闇の訪れた奄美の海岸でプロモーション・ビデオを撮ったそうな。それはファンタスティック!それとも、こいつもやっぱり”たくましい商魂”の内に入るんだろうか。
 で、テレビのインタビューで話していた、南海ちゃんの日食に関するコメント。「暗くなったときより、また明るくなるのが不思議でした」
 しかし、ずっと暗くなったままって訳にも行かないからねえ。でもまあ、気持ちは分かる。なんとなく。




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