”Moorish Music from Mauritania”by Khalifa Ould Eide & Dimi Mint Abba
そうか、ここまで来てもまだ”アラブ圏”なのかと遥かな気分にさせられてしまう西アフリカはモーリタニア。アラビア語圏の最西端と聞いた。イメージとしても砂漠しか浮ばない。なにかと”地の果て”っぽいイメージで見られるモロッコなどよりもさらに我々にとっては”西の果ての地”なのであって、その生活ぶりなど、まるで遠いものに思える。
とはいえこの国、かなりの量の海産物を我が国に輸出しているのだそうで、意外なところで近しい国ともいえるようだ。とは、この間、偶然テレビ番組で見て得ただけの知識。
この盤から聴こえてくる音楽は基本的に”民俗音楽”なのであって、”裏町歌謡曲派”のワールドミュージック好きとしては頻繁に付き合っているタイプの音楽ではないが、そのあまりの迫力に、引きずり込まれるように聴き入ってしまった。なんでもそのスジの人々にはすでに10年以上前に民俗音楽としての”名盤”の評価を得ているアルバムのようだ。
まずは砂漠の日差しのうちで乾ききったような民俗弦楽器のカシャカシャした音がうねるようなドローン音を伴ったペンタトニックをかき鳴らす。錆びた男の歌声が渡って行く。その上に覆いかぶさるように各種民俗打楽器が打ち鳴らされ、女性コーラスが追いかける。
まさにハードボイルド。柔な部分がどこにもない。何もかもが厳しい砂漠の自然と強力な太陽の光に晒され、乾ききって無駄はそぎ落とされている。
使われている音階そのものは日本民謡とかなり近く、時々おやっと思うほど聴き慣れたコブシに近い唸りが聴こえる。ただ、そのメロディのありようにも我々の感性では追いつけない剛直さが滲む。
乾き切った世界に、ピアノの黒鍵だけを叩き付けて書き上げたようなメロディがうねり、パーカッションが弾け複雑なリズムの交錯を見せる。厳格に律せられた宗教的瞑想の世界。
何だかこの地上に生き残った古代の神々の音楽を聴くような感触がある。
そうか、ここまで来てもまだ”アラブ圏”なのかと遥かな気分にさせられてしまう西アフリカはモーリタニア。アラビア語圏の最西端と聞いた。イメージとしても砂漠しか浮ばない。なにかと”地の果て”っぽいイメージで見られるモロッコなどよりもさらに我々にとっては”西の果ての地”なのであって、その生活ぶりなど、まるで遠いものに思える。
とはいえこの国、かなりの量の海産物を我が国に輸出しているのだそうで、意外なところで近しい国ともいえるようだ。とは、この間、偶然テレビ番組で見て得ただけの知識。
この盤から聴こえてくる音楽は基本的に”民俗音楽”なのであって、”裏町歌謡曲派”のワールドミュージック好きとしては頻繁に付き合っているタイプの音楽ではないが、そのあまりの迫力に、引きずり込まれるように聴き入ってしまった。なんでもそのスジの人々にはすでに10年以上前に民俗音楽としての”名盤”の評価を得ているアルバムのようだ。
まずは砂漠の日差しのうちで乾ききったような民俗弦楽器のカシャカシャした音がうねるようなドローン音を伴ったペンタトニックをかき鳴らす。錆びた男の歌声が渡って行く。その上に覆いかぶさるように各種民俗打楽器が打ち鳴らされ、女性コーラスが追いかける。
まさにハードボイルド。柔な部分がどこにもない。何もかもが厳しい砂漠の自然と強力な太陽の光に晒され、乾ききって無駄はそぎ落とされている。
使われている音階そのものは日本民謡とかなり近く、時々おやっと思うほど聴き慣れたコブシに近い唸りが聴こえる。ただ、そのメロディのありようにも我々の感性では追いつけない剛直さが滲む。
乾き切った世界に、ピアノの黒鍵だけを叩き付けて書き上げたようなメロディがうねり、パーカッションが弾け複雑なリズムの交錯を見せる。厳格に律せられた宗教的瞑想の世界。
何だかこの地上に生き残った古代の神々の音楽を聴くような感触がある。