ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ブエノスアイレス、無頼の面影

2010-03-27 03:06:33 | 南アメリカ

 ”EL Cantor de Buenos Aires”by Roberto Goyeneche

 タンゴの歌手などと言うと普通、陰のあるやさ男なんかが、か細い美声でメソメソ悲恋を歌う、なんてイメージになっていると思うのだが、これまで何度も書いてきたようにタンゴは、もともと怪しげな仕事に手を染める輩が徘徊し様々な人種が混交する荒っぽい植民地の都市であったブエノスアイレスの治安の悪い裏町で発達して来た音楽だ。その芯には相当に柄の悪い魂が鎮座ましましている。
 このRoberto Goyenecheなんて歌手などは、そんな”ガラの悪かった頃のタンゴ”の面影を今日に伝えていた人といえるだろう。

 はじめてこの人の唄を聴いた時の衝撃は忘れられない。ドスの効いたガラガラ声で巻き舌のスペイン語を放り出すように叩きつけて来る。その曲がまた、彼の持ち歌の中でも特にメロディの起伏の少ない、語り物の要素の多い曲だったせいもあるのだろうが、それまで一度もタンゴ歌手に感じたことのない迫力だった。たとえて言えばディランの”サブタレニアン・ホームシックブルース”や”ライク・ア・ローリングストーン”をタンゴの世界でやってしまった感じ。

 その男臭い低音のボーカルはヤクザっぽく崩されたメロディの中で、都会の悪場所の持つ危険で、でも抗しがたい魅惑を歌い上げており、人間の厄介な欲望のありようを見事に表現していた。例によって資料を見つけられず彼の育ち等の詳細を私は知らないのだが、1926年の生まれであるこの男はどのようにして、こんな強力な禍々しさとタンゴ独特の陰影が共存する表現力を身に付けたのか。

 あの”芸術タンゴ”のアストル・ピアソラが、裏町のゴミ捨て場を漁り生きている浮浪の幼児をテーマに、人が心に抱えたやましさややりきれなさを歌い上げた”チキリン・デ・バチン”なる楽曲を発表する際、このRoberto Goyenecheを歌手として登用した、と言うのは非常に納得できる話と思う。そのようなヘヴィな現実の中に降りていって、その場に”聖”の火を灯すとしたら、その役はRoberto Goyenecheがうちに秘めた無頼の魂にしか出来ることではない。

 性格俳優かコメディアンみたいな味わいありすぎの顔の下に、それにはあんまり似合わない感じのがっしりした長身が控えている。この男は二枚目なのか三枚目なのか、ほんとは怖い人なのか実はいい人なのか。よく分らないままに男は、皮肉っぽく唇をゆがめて笑いながら、ブエノスアイレスを覆う夜霧の中に姿を消して行くのだった。




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