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”Varela Canta Cadicamo”
アドリアーナ・バーレラといえば、私が時代錯誤にもタンゴを聴き始めた頃にうっかり出会ってしまい、「こんな凄い女がいるのなら、タンゴを聴いてみる価値はある」なんて妙な確信を抱くにいたった、猛女である。
初めて聴いた、その彼女のアルバムはライブだったのだが、ともかく男女の性別さえ定かではない低音の濁声で、タンゴの秘曲をハイテンションで怒鳴り倒す。客席の罪もないタンゴファンを打ちのめし、二度と立ち上がれなくなるまで、歌いやめることはない。
そんなハード・タンゴの歌い手として私は彼女を知り、崇め奉り、彼女のアルバムを見つけるごとに購入していた。が、あれこれアルバムを聴くうち、狂騒状態で怒鳴り散らすだけの人ではなく、しみじみと情感を伝える歌い方も出来る人でもあると知るのである。まあ、普通、そうなんだが、何しろ最初に聞いた盤が凄まじかったんで。
そんな、”しみじみとアドリアーナ”な世界を最初に味あわせてくれたのが、このアルバムだった。
タンゴの初期にいくつもの名曲を生み出したタンゴの歴史上の人物の一人、エンリケ・カディカモの作品集である。1900年生まれのカディカモは、このアルバムが吹き込まれた1995年の時点でまだ健在で、ジャケ写真に、アドリアーナと肩を並べて譜面に見入る姿を見る事が出来る。アドリアーナも、見たこともないくらいの柔らかな表情で巨匠に寄り添う。良い写真である。
カディカモの傑作選ということで、当然、アルバムは懐メロ集となるのだが、鉄火肌のアドリアーナは湿度過多に思い出を歌う歌い手ではなく、伴奏陣もあえてノスタルジィを強調することなく、淡々と事を運ぶ。結果、もう主はいなくなったけれど掃除の行き届いた古い家にひととき過ぎた日の風が吹きぬけた、みたいな乾いた感傷が香る一枚となった。
カディカモは、このアルバムが世に出て4年後にこの世を去る。1900年生まれ、1999年逝去、というのも凄いね。あともう少しがんばって21世紀も見て行けばよかったのに。いや、そうする価値もない”未来世界”か、今日は。後ろ向きの美学のタンゴ世界に生きた巨匠としてはむしろ、19世紀に後戻りして死にたいくらいに考えていたのかもしれない。
アルバムから、「パリにつながれて」を。
一攫千金を夢見てはるばるパリにやってきてはみたものの、仕事はうまく行かず、無一文のままなのでアルゼンチンにも帰るに帰れない。そんな出稼ぎ労務者を歌ったもの。今はただ雪降るパリの街で大西洋の向こうの故郷、ブエノスアイレスを想う。
「タンゴ・ガルデルの亡命」なんて映画では、軍事政権に追われてパリに亡命した人々の心象を代弁していた。