ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

カルロス博士の夜のカーニバル

2011-09-10 01:23:03 | 南アメリカ


 ”NOCHE DE CARNAVAL”by JUAN CARLOS CACERES /

 たとえばサッカーのワールドカップで、アルゼンチンのチームに黒人の姿って見たことないでしょ?ほかの南米の国のチームには黒人の一人や二人、いや、チームのほとんどが黒人、なんてところだってあるのに、なんでアルゼンチンだけ?
 これ、現地へ行っても同じ事らしくて、アルゼンチン国内で黒人の姿って、旅行者以外、見る事がない。不思議ですな。
 時代を振り返れば、かの国の歴史に足跡を刻んだ黒人の姿は確認できて、かってアルゼンチンの地に黒人は確かに存在していたらしいのに。いったい何時、どんな理由で、あの国から黒人の姿は消えてしまったんだろう。
 え~、歴史の謎に胸ときめかせる楽しみをご提供するために、あえて答えは書きません。各自、ご調査ください。

 タンゴなんかでも、一聴、黒人音楽の要素はないみたいだけど、あの音楽の初期には何人もの黒人ミュージシャンが存在していて、それぞれ、かの音楽の成立にそれなりの寄与をしているようで。その辺を頭においてタンゴを聴くと、音楽の裏面に脈打つ黒人音楽の木霊などが仄見えてくるようで、こいつも胸ときめく瞬間だったりする。

 Juan Carlos Caceres と言えば、そんな”黒人のいるタンゴの風景”を夢想し、ついには具現化してしまった、ある種SFまがいのミュージシャンであり、目が離せない存在である。もう長いことパリにあり、オノレの妄想するところの、”もしタンゴの歴史に黒人が存在し続けたら”なるパラレル・ワールドからのサウンド構築に励んでいる。
 彼がしゃがれ声のヤクザなピアノの弾き語りで、すっかり(初期の)トム・ウェイツを気取りながらタンゴの古典をレイジーに歌い流した”タンゴ・クラシコ(2004年作)”なるアルバムが忘れられない。タンゴ特有の、後ろ向きの自己憐憫でビショビショになった負け犬の美学をハードに描き出していて壮絶で、愛聴している。

 今回は、そんな彼の本年度作。相変わらず、アルゼンチンの魂、タンゴの故郷ラプラタ川の河口と、北米のミシシッピー川の河口、音楽と悦楽の都、ニューオリンズを2重写しにするような、初期ジャズとタンゴの混交する不思議な音楽を展開している。嗄れ声で呻くように歌われるタンゴ独特の悲痛なメロディと、それに絡むバスクラリネットのレイジーなフレーズ。
 その勢い余って、遥か南のリオ・デ・ジャネイロにまでさ迷い出でてしまったとて、何の問題があろうか。もともと無茶なカルロス博士の時空を超えた音楽探検行なのだから。

 とはいえ。この音楽実験に、Juan Carlos Caceres はどんな思いを込めているのだろう?単なる音楽上の遊びと解釈するのも可能だが、その音楽の底には過ぎて言った歴史のある部分に対する慟哭みたいなものが込められているように思えてならないのは私だけだろうか。




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