ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

非在の風吹く港町

2010-03-29 02:10:05 | その他の日本の音楽

 ”歌声の港”by 泊

 彼らの韜晦癖ゆえ、といっていいんだろうか、何となくすっとぼけた懐メロ演歌再生集団みたいに認識されている感もあるユニット「泊」である。が、実際に音を聴いてみればとんでもない話であって、深く屈折して奥行きの深い表現世界がそこには広がっている。甘く見たら簀巻きにされて港の外れに浮くこととなろう。
 主に聴かれるのは、戦前の我が国における洋楽志向のサウンド作り、それも、「こんなだったらイカスだろうな」と空想された世界である。巧妙に取り入れられた歌いまわしやサウンドによるタンゴやシャンソンがフラグメントとして舞っている。今日に生きる彼らの美意識によって慎重に選ばれたお洒落だけがそこにある。

 が、これを聴いて「懐かしいなあ、あの頃」と振り返っても、そこには風が吹いているだけ。
 ノスタルジイとは、あらかじめ理想化された過去をでっち上げておいて、そいつをあったものとして「あの日に帰りたい」などと言ってみる、ある種のペテンなのだそうだが、では、生まれてもいなかった時と空間に打ち立てた幻想郷への郷愁を歌うのはなんと呼べば良いのか。
 このアルバム、歴史を後ろ廻りに経巡って奇妙な近代史幻想を奏でた加藤和彦の”ヨーロッパ三部作”あたりと同種のファンタジィとして語られるべきなのだろう。サウンドは加藤作品よりずっと地味、歌唱は加藤のものより圧倒的にテクニシャン、という対照を成すので、連想はしにくいかもしれないが。

 古くからマドロス演歌の主人公は歌の文句の中で繰り返して来た。「オイラ、オカで暮らしてみようと思うのだけれど、気が付けばつい、マドロス暮らしに舞い戻っちまう」と。反省文の割には何だかずいぶん嬉しそうに。
 後にするから港は切ない。逆向きの双眼鏡で眺めるうち、いつしか仮の故郷も本物となってしまうだろう。いずれ、行き着ける船路ではないのだから同じことではあるのだが。




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