ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

鋼鉄の夢

2007-12-12 05:17:16 | その他の評論

 見てもいない映画の話で恐縮ですが。

 知り合いのVARIさんが先日の日記で触れておられた『リベリオン』(02・米 監督:カート・ウィマー)なる映画の話が妙に印象に残ったんで、ちょっと文章にしてみます。
 なにしろ見てもいない映画の話、全面的に見当違いの可能性、大いにありですが。

 まずは以下に、VARIさんが引用されていた”ストーリー紹介”を孫引きします。

 【第3次世界大戦後、人間は戦争の根源である「人間の感情」を抑制する薬、プロジウムを開発した。人々は毎日薬の投与を義務付けられ、本や絵画、音楽は一切禁止された。違反者の取り締まりを行うプレストン(クリスチャン・ベール)は、最小限の空間で銃の威力を最大限に伸ばす武道ガン・カタの達人。ある日プレストンは、誤ってプロジウムの瓶を割り、投与をしないまま仕事に就く。それは、プレストンが長い間忘れていた「感情」のかけらを、ゆっくりと目覚めさせていった…】

 なんじゃこりゃあ?なんてムチャクチャな反戦思想(?)だろう。「戦争の根源」は、「人間の感情」ですかね?

 戦争ってのは逆に、人間の感情などと言う”低劣”なものは無視して粛々と行なわれる冷徹なる国家プロジェクトでしょう。どういう発想をしているのかね、この映画の作者は?
 そんな”お上”の意向に沿い、尻馬に乗って騒ぎまくるお調子者、自らの死に直面してはじめて事態の真相に気がつくのだが、もちろんもう遅い。これが庶民の姿であるのであって。

 実際はどのような映画か知りません。ただ、上のストーリー紹介を読む限りでは”そりゃ話が全部逆だろう”みたいな、非常な理不尽さの連続と感じられる。
 まあ何のことはない、映画”ランボー”を見ただけで国際政治を学んだ気になっている頭の軽い人物が、一風変わったアクション映画をでっち上げるためにテキトーに思いついた舞台設定なんでしょうけどね。

 それにしても、描かれている感情抑制剤や「違反者」の取り締まりは、戦争を根絶やしにするというより、国民が政府の政策に反発して暴動を起こしたりしないように工作している、そんな風景にしか思えないのであって。
 製作者の心の底の泥沼に棲んでいるのは、実際のところ、そんな抑圧によって支えられた全体主義社会への歪んだ渇望、つまりは権力志向じゃないのかね。などと考えると、そんな渇望を底流に孕ませる時代の精神がなにやら不気味に感じられる今日この頃だったりするのでありました。



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