ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ジャズなパリの欠伸のブルース

2012-10-05 02:09:31 | ヨーロッパ

 ”Confidentiel”by Serge Gainsbourg

 フランス人による「ジャズの芸術性」への指摘があったおかげで、ジャズは「黒人の音楽芸術」なる立ち位置を得、それを商売にさえできるようになったのだ、なんて論を聞いたことがある。
 フランス人とジャズの秘めたる共犯関係については、ずっと以前に映画、「ラウンド・ミッドナイト」に対する悪口、という形で、この場に書いた。

 ろくに食えないアメリカに見切りをつけて、ジャズを芸術扱いしてくれて自分たち黒人を芸術家として優遇してくれる、それなりの仕事もあるらしいヨーロッパに旅立つ老ジャズマン。やって来たジャズマンにいちいちくっついて歩き、ジャズの芸術性に関して、やかましいほど賞賛を繰り返すパリのジャーリスト。そいつに対し、「俺はクラシックも聴くよ、あれは最高だ」なんて言ってみせるジャズマン。

 ここに共犯関係は成立する。「ジャズは素晴らしい。そいつを生み出した黒人は偉大な芸術家だ」と褒め称えることで、フランス人は「芸術の偉大なる理解者」の立場を得る。
 黒人は芸術家扱いを、ついでに人間扱いをしてくれた返礼に、「あなたがたが我々を人間扱いしてくれる限り、我々黒人は決して、”黒人は白人より偉大だ”などと言い出さないことを誓う」との証しとして、「クラシックも最高だ」と言ってみせたのだ。「人間扱い」の前に「2流の」の言葉が秘められていることは、気がつかないフリをしていよう。

 こうしてフランス人は”芸術の理解者”の地位を得る。そこでは、いくら黒人を褒め立てても、なにしろ「クラシックも聞くよ」の言質を得ているのだ、自身は黒人に追い抜かれる心配はない。黒人は芸術家の立場を得る。白人の定義した”芸術”という名のドッグ・ランの中において。
 「ラウンド・ミッドナイト」というのは、そんな汚い契約の構造を描き出した映画と思うのだが、たとえばどこぞのサックス吹きのように、「ジャズ好きにはたまらない映画ですね」とか、能天気な感想を述べたりする御仁もいる、というお話。

 前置きが長くなった。ここに取り出したるは、シャンソン界の風雲児、セルジュ・ゲンズブールが1963年にリリースしたアルバム、”コンフィデンシャル”である。というか、彼の作品、これしか持ってないんだが。先の文章をお読みになればお分かりのように、私、フランス人って嫌いなんだよね。
 で、このアルバムは例外的に好きで、時に取り出しては聴いてみるのだった。

 全編、ほぼギターとベースのみをバックにして、ゲンズブールのクールなボーカルが響く、という構成。ゲンズブールの書いたメロディも、バッキングのセンスも、ジャズ色の濃いものとなっている。歌詞対訳を見ると、まあいかにもパリのエスプリなんでしょうか、ひねくれ倒した内容となっている。意味とか考えてもしょうがないんだろうね。
 ゲンズブールのボーカルが、一貫してクールではあるんだが、いかにもシャンソン臭い古めかしい背筋を伸ばしたものだったり、ときに、それこそジャズっぽく崩したものになったりするのが面白い。曲によって歌唱法を使い分けているという感じでもないので、このアルバムが過渡期でもあったのだろうか。だから、うん、ほかのアルバム聴いてないから分からないわけね、私には。

 犬の糞で薄汚れたパリの裏町で、自らの抱えた焦燥を、たとえば、今、イッチャンナウいジャズの乗りに翻訳したらどんなものなのだろうと思い浮かべる若きゲンズブールがいる。
 つまんねえ話だぜと唾を吐き、咥えタバコを踏み消して街角を去っていった奴の後ろ姿に、通奏低音のように絡みついて消えない一群の音列が響いていた。




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