ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ゴールデンカップス論(ケネス伊東編)

2006-03-24 02:53:36 | 60~70年代音楽

 気まぐれですみませんが。
 以前、ある場所に”実力派グループサウンズ”として名高いゴールデンカップスに関して書き込んだ、2部に分かれる文章があるのです。そいつを思うところありましてここに再録します。本日は第1部、”ケネス伊東編”です。

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 1960年代の終わりに、日本の音楽界に忽然と巻き起こったGSブーム。あの異様な熱気をはらんだ季節を、音楽好きな、山ほど屈折を抱えた高校生として過ごしたのは、私にとって幸せだったのか、否だろうか?

 ここで、当時の音楽好き、ロック好きなオトコノコたちにとって、その中でも最もカッコ良かった、先頭を走っていた、と感じられていた、ゴールデンカップスについて書いてみたい。
 横浜の出身でメンバーのほぼ全員がハーフで、とか、何年デビュー、何年解散、ヒット曲には何が、といった資料面は出てこない。他の、もっとマメできちんとした人が、立派な資料をまとめておられるはずなので、そちらを検索願いたい。私は、私なりの切り口で彼らに付いての考察を行ってみるつもりだ。

 デビュ-直後のゴ-ルデン・カップスを、私はTVで見ている。1stアルバムのジャケで見られる、揃いの黒いベストと細いパンツの衣装で、一人一人「ハ-イ、僕は××だよ、趣味は××。よろしくね!」とか、いかにもアイドルな自己紹介をし、その後、「いとしのジザベル」を演奏、という段取りだった。と言っても、詳細は覚えていない。毎度申し訳ないが。しかしその半分は、最後に自己紹介をしたケネス伊東のせいだ。
 戸惑ったような作り笑顔を凍りつかせ、彼はこう言ったのだ。「ボクハケネス伊東デス。ボクノオトウサンハ、あめりか海軍ノ兵隊サンナンダヨ」たどたどしくそれだけ言って彼は、「こ、これで良かったのかな?」みたいな感じの不安そうな視線を宙にさまよわせた。「あ。こいつ、本当に日本語喋れないんだな」と、ちょっと私は驚き、お蔭で、他のメンバ-の「アイドル語り」がどんな具合だったか、忘れてしまったのだ。ルイズルイスあたりがこの事態にどう対処したのか、ぜひとも覚えておきたかったものではあるが。

 例の「天使はブル-スを歌う」に於けるメンバ-の証言を読むと、米兵相手にも本物の英語の歌を聞かせうるサブ・ボ-カリストとしてのケネスの存在が浮かび上がってくるのだが、ケネス自身はカップス内における自分を、どんな風にとらえていたのだろう?

 以前私は「ルイズルイスって黒いか?」などと疑問を呈してみたが、そもそもカップスって黒かったのか?今振り返ってみると彼等は、白人によって誤読された黒人音楽をさらに日本人の感覚で誤読、という二重の錯誤をした音楽をメインにやっていたバンドという気がする。その中央には醤油で黒く濁ったラ-メンの汁を指して「ブラックのフィ-リング」と言い切るデイヴ平尾がいるのだが、そんなデイブの仕切りの内側で、一人だけ白人的感覚による黒人音楽の誤読と言う、他メンバ-とは1ランク異なる錯誤に生き、一人で「裏カップス」をやっていたケネスがいる。もちろん、この「1ランク異なる」というのは、「私にはそう感じられる」というだけの話であり、彼がそうなった原因は、彼が生きていたのが英語文化支配がより強力なエリアだったから、とでも考えるしかないのだが。

 ケネスがボ-カルを取る曲で「裏カップス」は現れてくるのだが、バンド全体の個性が変化することはない。あくまでもケネス一人の裏カップス。表カップスの一部に窓の如きものが開き、裏カップスが顔を出す。演奏が終われば窓は閉じられ、幻想内幻想は消え去る。「表カップス」にケネスが落とす影は、ほとんど見当たらない。どうもケネス伊東という立場、何事かに対する「アリバイ作り」の気配がある。

 一方で「人気GS」なる日本的芸能を演じ、また一方で「本場アメリカから来た米兵にも通用する本格的R&Bバンド」なる神話を演じていたカップス。そんな彼等が内包する矛盾を、一人で地味に受け止めていたのがケネス伊東とは言えまいか。などと書くと、悲劇みたいな響きがあるが、ケネスって、何かというとバンドを抜け、また舞い戻りを繰り返して、いつの間にかハワイに帰ってしまった(行ってしまった、ではない。感じとしては)ヒトなんだよね。そして、やって来た「ニュ-ロックの時代」においては、「GS」も「R&Bバンド」も、時代後れのキイワ-ドでしかなくなってしまい、カップス自体も、時の流れに追い越されていってしまうのだが。

 カップスを聞いていると、エディ播が厚かましいギタ-・ソロ(ケネスに思い入れつつ聞いていると、そう聞こえてくる)を聞かせる際、ケネスがギタ-でバックアップ的フレ-ズをコチョコチョ奏でる局面が時々見受けられる。そんな時、私にはケネスが、初めてTVで見た時の、あの戸惑ったような顔つきで「ソレ、違ウヨ。コウダト思ウンダケドナア…」とぼやきながら、エディのアドリブに控えめな訂正の朱筆を加えている、みたいに聞こえてならないのだ。まあ、二重の錯誤、三重の錯誤って、勘違いという意味においては同じことなんだけどね。

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(次回、”第2部・夕闇の野音に消えたミッキー”に続く)





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