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”Margareta Paslaru”
マルガレータ・パスラウ、と発音するのですかね?ルーマニアの伝説的人気歌手であり、作曲もし、俳優も兼ねた人です。
1943年の生まれ、15の年に芸能界にデビューしています。現代ルーマニアにおける”ポップスター”の雛形を作り上げた人である、なんて話も読んだ記憶があります。どこまでリアルに受け止めたら良いのか分りませんが、リリースしたレコードの数も多いし、ネットから記事もワサワサ出てくるし、肝心の歌の実力も素晴らしいですし、いずれにせよルーマニア芸能界における大物であったことは事実なのでしょう。
過去形で書いているのは、彼女は1983年、ルーマニアを離れてアメリカに移住してしまっているからです。どのような事情でか知りませんが、移住の時期は、あの悪名高きチャウセスク大統領が権勢を極めていた頃で、それと何か関係があるのかもしれません。
彼女の全盛期を何時ととらえるべきか分りませんが、代表曲をいくつか聴いてみると、”東西文化の激突地点であるバルカン半島の音楽”としての面白さはあまり見受けられません。むしろ古代、ローマ帝国の”飛び地”として発祥した、東欧におけるラテン民族の国としての血をより強く感じさせるものが多いようです。つまり、フランスやイタリアの大衆音楽の影響が相当に強い。
特にイタリアのカンツォーネからの影響は濃厚で、「みごとなB級カンツォーネぶりだ!」などと、ニヤニヤさせられてしまう部分もあり、いや、同じラテン民族ということで、これがルーマニアの大衆の自然な嗜好であるのかもしれないんですけどね。
その他、タンゴを歌ってみたり初期のロックンロールの影響も受けてみたり、急にシルビー・バルタンそっくりのフレンチ・ポップス状態になったり、その辺の節操のなさはなかなか憎めないものがあります。
でもほんと、初期の彼女の歌が私は好きですね。その歌唱は伸び伸びとしていて歌う喜びに溢れ、音楽総体も先に述べたようにイタリアをはじめとして、世界に開かれた広々とした歌心、なんてものを感じさせてくれます。地中海の陽光は燦々と差し込んでね。
これは彼女がどうというより、その当時、50~60年代頃のルーマニアと言う国に溢れていたメンタリティがそんなものだったんじゃないでしょうか。まだルーマニアが貧しいけれど無邪気で幸せだった頃。その頃のキラキラした思い出が溢れている歌たち。その後、ルーマニアはいろいろとややこしいことになって行くわけですが。
あ、彼女、1970年に来日もしているんですね。”第1回東京国際歌謡祭”とかいう催しに参加するために。ちなみにその回の優勝曲は、ご存知、と言っていいでしょうか、”ヘドバとダビデ”の歌う”ナオミの夢”だったそうです。彼女はどんな唄を歌ったのかなあ。 当時の彼女、あのメリー・ホプキンのヒット曲、「悲しき天使」をロックバンドをバックにサイケなアレンジで歌ったりしてた尖っていた時期だったんで、見たかったなあ。フィルムとか残ってないかなあ。いや、残っていたとしても彼女の事なんかろくに知られていない日本で放映されるはずもないよね。