ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

神よ、エストニアを守りたまえ

2007-05-10 03:19:30 | ヨーロッパ


 ”Inspe”by Inspe

 いわゆる”バルト三国”の一角であるエストニアのトップ・プログレバンドの1983年度作品。今、手元にあるようにCD化されたのが1999年ということで、つまりこの作品が世に出たのは、エストニアがまだ、嫌々ながらソビエト連邦を構成する一国となっていた時期であり、CD化された頃にはソ連邦は崩壊、エストニアは晴れて独立国となっていたという次第だ。

 ソ連と地続きであったとはいえ、血縁としてはむしろ北欧に属するというエストニアらしく、このアルバムで聴ける音も、いかにも北の国らしい静謐が漲っている。いわゆるシンフォニックなプログレの王道を行く作りで、今聴くと、やや時代錯誤の気味も漂うのは、まあ、致し方ないだろう。

 冒頭、ギターが透明感のあるフレーズを早弾きしながら突き進んで行くあたりは、北国の雪原に嵐が吹き荒れている様子の描写かとも思われ、なかなかエキサイティング。
 一転、フルートやリーコーダーがフィーチュアされる、童話の世界を想起させるファンタジックな場面などは、”北欧ロック”としてのInspeの面目躍如たるものがある。

 作品全体に響き通すのが、なんとも柔らかな印象のシンセの響きである。北国の、白夜の底にほんのりと光を放ちながら続いている雪原が目に浮かんでくるような。その響きがあまりに優しいので、あとで思い出すInspeの音と言うと、このシンセの音ばかりとなってしまう。

 ジャケを開くと8人の構成メンバーの写真があるのだが、学生っぽいというか、なんとも生真面目な”研究者”の様子をしていて、そのあたりがいかにも”旧・共産圏のロックバンド”の雰囲気を漂わせている。まあ、要するにダサいわけですな、ある意味。そこがいかにも、であって、辺境ロックのファンはむしろ嬉しくなってしまうんだから弱ったもので。

 共産圏のロックに興味を持ち、苦労しながらアルバムを集めて聴き始めた頃は、そんなミュージシャンたちの写真に触れるごとに、”自由な音楽表現がなかなか叶わない社会体制のなかで自らの音を求め続けた彼ら”の苦闘の物語も込みでその音を聴き、感動などしていたものだ。

 それなりの情報も入るようになり、アルバムも比べものにならないくらい容易に手に出来るようになった今、それら”共産圏ロックの伝説”には、真実だった部分も、勝手な想像にもとずく作り話だった部分もあったと知った。なんだそうだったのか、とは思ったが、そのようにして異郷の音楽に入れ込んで聴く機会を得た事を、損をしたとは思っていない。

 このアルバム発表の数年後にエストニアを含むバルト三国は、ソ連からの分離独立を求めての闘いを始める事となった。当時、テレビのニュースで、エストニアで行なわれた、分離独立を要求するロックコンサートの様子を見た事がある。

 ”対岸の同胞”であるフィンランドからやってきたロックバンドなどをゲストに迎えて行なわれた、そのコンサート。エンディングはピアノに向かったエストニアの人気ロック歌手が歌い上げる、「神よ、エストニアを守りたまえ」なるゴスペル調のナンバーだった。

 それから時代は一回りも二回りもして。だが、先日とどいた下のニュースを読む限り、独立成ったとは言え、いまだエストニアの苦悩は続いているようだ。強い国力を誇る国々のハザマに生きる小国の苦しみは尽きる事がないかのようだ。
 なんとか、ひどい事にならずに事態の解決の道が見つかる事を祈る。

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 ☆エストニアVSロシア、緊張高まる

 エストニアの首都タリンで先月26日から27日にかけて発生したロシア系住民らと警官隊の衝突をきっかけに、ロシアとエストニアの間で緊張が高まっている。
 モスクワのエストニア大使館前ではプーチン大統領の親衛隊集団が27日から連日、抗議集会を開き、大使館は2日、主要業務の中断に追い込まれた。
 カリユランド駐露大使は同日、記者会見し、欧州連合(EU)と対露制裁を協議していることを明らかにした。

 エストニア政府は先月26日、国会決議に基づき、タリン中心部にあった旧ソ連兵の記念碑を撤去し、郊外の軍人墓地へ移転する作業を開始した。
 これに抗議するロシア系住民が同日夕から記念碑周辺に集まり、解散させようとした警官隊と衝突。1人が死亡、市民44人が負傷したほか、一部が暴徒化して市内の商店を襲撃。計約1100人が拘束された。撤去は先月27日に完了し、今月8日に移転先での記念碑の除幕式が予定されている。

 エストニア国民の約3割にあたるロシア系住民にとって記念碑は、第二次大戦後、エストニアをナチス・ドイツから「解放」した誇りあるソ連の象徴。
 だが大半のエストニア人には旧ソ連による占領の象徴で、毎年5月9日の戦勝記念日には、記念碑周辺で双方の小競り合いが続いてきた。

 ロシア側は「歴史の書き換え」などと反発し、上院は27日、政府にエストニアとの国交断絶を要求。プーチン大統領を支持する親衛隊「ナーシ」などの若者約100人が、モスクワのエストニア大使館前で深夜まで大音量の音楽を流して抗議集会を開き、「指名手配・ファシスト国家の大使」と記したカリユランド大使の似顔絵を市内各所に掲示するといった嫌がらせを続けている。(毎日新聞・5月3日)
 
 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070503k0000m030040000c.html


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