”Sound,Sound,Your Instruments of Joy” by WATERSONS
押し詰まりまして、と言うやつで。もう日付けもここまで来てしまうとどうにもならん、という気がする。まあ、時間なんてハナからどうにもならないものだけど、それにしても。
いっそのこと、このところひかえていた酒でも飲んでボロボロに酔っ払ってみようか、なんてふと思う深夜。雨が降っている。そのおかげで、もう二日続けて日課のウォーキングに行けていない。なんか気持ちが悪い。
ちょっと話題は古いがクリスマスの翌日の街を車で走り抜けていて、疲弊した街そのものが師走の空気の中でホッと一息ついている、その声が聞こえたような感触があった。
気の早い連中は秋風が吹き始める頃からもうクリスマス商戦を開始して、お調子者たちの心を煽る。バカ騒ぎはやむことなく、そのまま12月まで走り抜けるのだが、さすがに日付け上のクリスマスが終わってしまっては、どうにもならない。あとは、「初詣は西新井大師へ」なんてCMが流れるにまかせるだけだ。
ここにいたって、やっと休息を得た街は、無理やり追いやられた激走からやっと開放され、静かに時の流れに身をゆだねている、そんな風に思えたのだった。
というわけで、「クリスマスが終わったのなら、安心してクリスマスの話が出来るな」とか他人には良く分からないであろう理屈で取り出したのが、ウォーターソンズのこのアルバムである。が。
ありゃりゃ。これ、長年、クリスマスアルバムと信じ込んできたけど、特にそういう趣旨で作られたものでもないんだな。ただ、冒頭の曲がクリスマスを寿ぐ曲だというだけで、その他は聖歌賛美歌のタグイを集めた、それだけのアルバムだったんだな。まあ、用途としては似たようなものだから、そう信じ込んできたんだろうけど。
ウォーターソンズといえば英国民謡界に、その渋い渋い無伴奏のコーラスを売り物に、いぶし銀の輝きを放ちつつ屹立する名門である。
まあ要するに兄弟姉妹で英国民謡を歌うファミリー・コーラスなのだが、そのディープなハーモニーの響きは英国民謡の核のあたりにド~ンと鎮座ましましていて、彼らの名を出せばうるさ型のファンもハハーッとひれ伏す黄門様みたいな連中。
今回、このアルバムで歌われているのは、先に述べたように聖歌集、それも巷間、庶民の素朴な祈りを込めて歌われてきた、民衆の手のぬくもりが伝わってくるような歌たち。信心深い人たちがあまり熱心に磨くものだから顔の造作が磨り減っちゃったお地蔵様、みたいな感触の素朴な祈りの心が伝わってくる。
なんでも、ここで聴かれるコーラスのスタイルが移民たちによって新大陸に持ち込まれ、そいつの影響下で、まだドレイの地位に置かれていた黒人たちがゴスペルのコーラスのスタイルを作り上げたんだそうで、そういう興味で聞いても意義あるアルバムである。渋過ぎだけどね。
このアルバムをこんな風に地味な気分で聞いていると、過酷な運命に翻弄され、でもじっと耐え続け、生活を築いて来た、名もない庶民のパワーが地の底から湧いて出るのを見るようでもある。形は賛美歌なれど、言葉少なく地道に働く庶民の労働歌である。
賛美歌と言えど華美に走らぬ、そんな無骨さがウォーターソンズの、そして英国庶民の、矜持の輝きとなって灰色の空の下に屹立している。
そいつを見上げつつ、時の流れにまた一つ耐えて行く。