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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

ハナレグミ「ツアー発光帯〜in the moon light〜」@日比谷野外大音楽堂

2021-07-27 14:39:39 | 好きなもの・音楽や本

久しぶりのブログの、久しぶりの音楽の話しは、
これまたものすごーく久しぶりの野音で観たハナレグミ
(グループ名みたいですが、永積タカシさんのソロユニットです)


数年前からラジオで流れる曲と声がいいなあと思っていて、
昨年のJ-waveのギタージャンボリーで初めてライブを観る
ことができて、ますます、いいじゃない感が高まっていた
ところに、今回の野音。

夏の夕暮れに、野音にいることができる!を考えただけで、
沈みがちな気持ちが浮上してくる7月の日々でした。
(気持ちが沈みがちなのは、6月中旬から悩まされている
腰痛のせい。なかなか良くならないのです‥‥)

チケット申し込む時に、なんとなく娘といくことを想定して
2枚にしたのですが、後からその日はピアノ発表会の前日なので
無理と言われ、それならばと、夫と行くことになりました。


野音の入口をくぐるうちの店長。



ツアータイトルの「発行帯」は8枚目のアルバムのタイトル。
それについてのロングインタビューはこちらに。


お天気も時間帯も、会場の規模も、すべてが歌と曲とマッチしていて。
至福ってこういう気持ちだったよなーと思い出しました。
ここでライブの様子がわかります

ほんのすこしのココロ残りは、体調が万全だったら、もっと早くの
うちから踊ったのに~ということです(笑)

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うすうす感じてはいましたがわたしはきっと時代物が好き

2021-06-25 18:12:50 | 好きなもの・音楽や本

近所の読書好きの方から、以前貸していただいた
一路』が思いのほかおもしろく、浅田次郎って
やっぱり上手いんだなーと思っていたのですが。

このたび同じような道中ものがあると知り、図書館で
予約して読みました。


いやいやいやいや、なかなかの読み応えでした。
江戸幕府末期が舞台で、今観ている大河ドラマの時代と
ちょうど同じ頃の設定なところも、(勝手に)「偶然」を
感じました。

昨日の夜に読み終えて、本日いちばん感じ入っているのは、
自分は自分の信じたことをただ為すべきなのだということ。
些細な習慣であっても、一度決めた信条であっても、
シゴトに対する姿勢であっても、なんでもいいんですが、
対している「人」で、自分のやり方を変えていくのは
違うのですよ、やはり。
どんなにいい加減なことをされても、礼儀知らずな人だと
思っても、そこでその人と同じようなことを自分もして
しまったら(同じ土俵に立ってしまったら)なんにもならない
ということ。

たとえ誰が気づかずとも、誰に評価されなくても、自分の
姿勢は貫ける人で居たいと、強く思いました。
(そう、誰が見ていなくても青山玄蕃は毎日きちんと薪を
積んでいく人
なんです)


腹立たしいこと(自分に対しても)たくさんあるけど、私も
自分で決めた薪は積んでいくのだ。

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“湿地の少女”カイアの物語

2021-06-22 14:19:15 | 好きなもの・音楽や本

昨年9月におともだちのFBで見かけ、その後も
いろんなところで見かけてたこの本。
図書館に予約しておいたら、忘れた頃の6月になって
やはり予約していたエッセイと一緒に順番がまわってきて、
(自分ひとりで)大慌ててになったのでした。
 翻訳小説部門で、
本屋大賞だったんですね‥人気あるのも納得。


図書館の予約はいつどんなふうに予約本がまわってくる
のかわからないところも含めて好きなのですが‥。
今回ばかりは、エッセイの前に時代小説の上巻を読んでいた
ので、早く続きが読みたいところに、エッセイとこの本が
きてしまった、という状況で‥プラス、家のリフォームも
あるしで、最初はなかなか物語に入っていけませんでした。

なぜ、1950年代~70代はじめの、アメリカの湿地地帯の話を
私は読んでるんだろう?

村一番の人気者だったチェイスが、ある日、櫓の下で死んいる
のが発見され、事故ではなく事件なのではないかと、保安官が
犯人探しを始める章と、家族から見捨てられたどうしようもない
父親と湿地に建つ小屋に残されてしまった末娘カイアの、胸に迫る
日常が描かれる章が交互に続き、やがて、物語はひとつになって
いくのですが‥。

著者が動物学者でもあるということ、現在もアイダホ州に住み
湿地の保全活動を行っているということが、この物語をただの
犯人探しのミステリーに終わらせず、豊かな物語世界を描きだす
ことに繋がってるのだと実感したと同時に、この本に出会わなければ
そもそもそんな大きな湿地が広がっていて、そこに暮らしそこで
生きるものたちが居ることさえ、知らずに私は生きていったのだな
と思ったのでした。

何を書いても、この先この物語を読む人の邪魔になってしまい
そうなので、タイトルについてだけ‥。

ザリガニの鳴くところ

それはどこなのだろう?(そもそも)ザリガニは鳴くのかなと
思っていたら、本文にこういう箇所がありました。

「どういう意味なの?゛ザリガニの鳴くところ”って。母さんもよく
言ってたけど」カイアは、母さんがいつもこう口にして湿地を探検
するよう勧めていたことを思い出した。゛できるだけ遠くまで行って
ごらんなさいーずっと向こうの、゛ザリガニの鳴くところまで”
「そんなに難しい意味はないよ。茂みの奥深く、生き物たちが
自然のままの姿で生きてる場所ってことさ」

そう教えてくれたのは、長い年月カイアを、そばで見守っていて
くれたテイトです。「母さん」はいなくなってしまったけど、
テイトが居てくれて本当によかった。
これからホタルを見る機会がもしあったら、カイアのこと思い出して
しまうかも、と思います。


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小気味いい

2021-06-11 18:17:13 | 好きなもの・音楽や本

この本も、SNSでとてもよく見かけて‥
タイトルと表紙に惹かれて図書館に予約してました。
(そしてやっと読了)



岸本さんのエッセイを読むのは初めてでしたが、
お名前は『掃除婦のための手引き書』で知ってました。
いや、正確には、その後書きの、岸本さんの文章が
わかりやすかった
ので、それからお名前を意識し、
だったかもしれません。

でも、よく思いだしてみれば、その前からこの絵本や
あの絵本の、翻訳者ということで知っていたのです、たぶん。
 

死ぬまでに行きたい海

残念ながら、そこはどこの海なのか、表題作のエッセイは
ありませんでしたが、代わりに、海芝浦駅とか、養老天命反転地
とか、ディープな場所を知ることができました。
お父さんのお墓があるという丹波篠山の従姉たちとの記憶や、
三崎、バリ島、上海のはなしも面白かったです。

テンポのよい語り口調と、さらけ出した日常に、ほんの少しの
非日常が混じっているあたりが絶妙でした。
(いろんな書店の人が推してくるのも納得です)


ちなみに、表紙を飾っている「猫の形の陶器の枕」は作者が
上海で買ったもので、今も家の中でいちばん大切な物だそう。


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バリ島の匂い、ナイルの夕暮れ

2021-05-28 18:10:30 | 好きなもの・音楽や本

4月のはじめに、南米が舞台の短編集を読み、やっぱり
バリ島のも読んでおこうと思って読んだのち、1と3を
読んだのなら、2も読まないとね、と続きました。

  
世界の旅 1    世界の旅 2

この2冊がと違うのは、小説の他に、取材旅行の日程表
だけでなく、1の半分は旅行のエッセイになっているし、
エジプトも仲間たちとの楽し気な写真やエピソードが、
たくさん掲載されているところです。

SLY』は先に取材旅行があって、そのあとに小説を書いた
とあり、バリ島の方はもうとっくに読み終わり返却して
しまったので、どっちが先が忘れましたが、たぶん旅行が
先なのでは‥。

いずれにしても、それぞれの旅先の空気や人や温度や湿度を
とても効果的に、取り込んでいて、それが作者の力量なんだと
感心した次第です。


バリ島の方は、幼い時の虐待が元で多重人格症になって
しまったマリカと、ジュンコ先生との旅‥マリカの体の中に
複数の別の人が現れては消えていく‥。
『SLY』は、HIVポジティブだとわかった元彼と、元彼の元恋人の
男子と三人でエジプト旅行をする話‥旅先でさらに一人旅を
している女子が加わり、風変りなグループ旅行になる‥。
(グループでバリ島に行くのももちろん「有」だけど、それよりも
HIVポジティブからエイズが発症し、その場に居る3人を残して
一人だけ先に逝く可能性が有るグループには、「生と死」がより
濃く感じられるエジプト旅行の方が、数倍も相応しい‥ですよね)


『SLY』の中にこんな箇所がありました。

‥人が美しいものにひきつけられるのは、それが死から最も遠く、
死を忘れさせてくれるから。醜いものをうとましく思うのは、
それが死を思わせるから。死んで少しずつ腐ってゆくものを
連想させるから。ミイラとかそういうとんでもないないものは、
そういうことを一挙に飛び越してしまって、未来の美しさを
重ね合わせて幻想として成り立っている。

なるほどね~そうかもね、と思い‥そして、これは余談ですが。

友人たちが部屋にいて、今夜もひとりになることはないだろう。
(中略)家族でもなんでもないのに、それから「すてきな仲間
たち」というのとも少し違うのに、そのような夕暮れを静かに
共有することがある。

今から30年以上前に、夫の友人2人と、私の友人とその友だちの
計6人でタイのバンコクに旅行したことを、↑の箇所から懐かしく
思い出しました。

バンコクの匂いや美味しいと思って食べたタイ料理のことは
ほとんど思い出すことはないけれど、河を眺めながら朝食を
食べたことや、パタヤまで行ったバスの中に、友人がムギワラ帽子
を置いてきてしまったことや、観光した寺院の塔を登る階段の幅が
異常に狭い!と思ったことや、小さな船に居たガイドさんが日本語の
テキストを持っていて、「はな」+「ち」で「はなぢ」と書いて
あったことなどははっきりと思い出すことができて、あのとき
グループ旅行に行っておいて本当によかった、と今、思うのでした。

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愛すべきフツーの毎日

2021-05-24 16:56:23 | 好きなもの・音楽や本

前回、角田さんの本を借りたのに、期限内に読み切れず
そのまま返却してしまったので、今回はまず角田本から、と
決めて、図書館の文庫の棚からこちらを借りてみました。

題名の潔さと表紙のデザインに惹かれて。

※うちで愛用している牛乳石鹸みたい笑

「もうひとつ」「月が笑う」「こともなし」「いつかの一歩」
「平凡」「どこかべつのところで」の6つの話からなる短編集。

もしもあの時に別の方を選んでいたとしたらー。

誰もが一度や二度(いや何度も)自問自答したに違いない
自分の人生の分岐点(あるいは分岐点だったと後から
気が付いたある時点)を考えたり、思ってみたり、悔やんだり
している人たちの話。

自分自身がもっと若かったら、あの時の私はああだったとか、
ああするべきだったとか、あれこれ思い返しては、胸が
痛んだかもしれませんが、今の私は、決して強がりではなく、
「今の、ここ」が(ほぼ)最良の選択だったと思っているので、
わりとさらっと読み終えました。

そしてあとがきに辿り着いたら、私のこんな心情をとても
上手く、佐久間文子さん(文芸ジャーナリスト)が書いてくれ
ていました。

人生に無限の可能性を見ているとき、「平凡」は確かに呪いの
言葉だったろう。けれどもある程度、年を重ねてみればその言葉
は祈りや祝福に似ていると気づく。これといったドラマチックな
ことが起こらなくても、当たり前に毎日を送れることがいかに
幸せか知った後では。



***   ***



そのむかし、私が10代の終わりか20代のはじめ頃のある日、
川越に住む母方の祖父が一人で電車に乗って、私の家に遊びに
来たことがあり、そんなふうに訪れることは(私の記憶では)
初めてだったので、早い夕ご飯をいつもは使っていない部屋で
皆で食べることになり。そして、いい感じに酔いがまわった
祖父は帰る間際、何の脈絡もなく、「○○ちゃん(私のこと)
の両親は、ほら見ての通り、フツーの平凡な人なんだから、
○○ちゃんだっておんなじようになるのは、もう決まってるんだ」
と言いました。
えーなんでそんなこと突然言うの?この私に??と胸の中では
おそらく憤慨しながら、でもおじいちゃん酔ってるし、でも
おじいちゃん何にも私のこと知らないし、と思っていました、
たぶん、きっと。
それから数年して祖父は他界したので、その日のことが余計に
記憶に刻まれたのかもしれません。
この話にオチはなく、ただ「平凡」という言葉から連想する
エピソードとして(あるいは私にまとわりついていたある種の
呪いとして笑)書いておきたくなりました。



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わたしもパリに行ったことがない

2021-05-14 16:57:23 | 好きなもの・音楽や本

またまた図書館の文庫棚で見つけ本。

作者の名前になんとなく憶えがあるなあと思って
引き出してみたら、娘がひとりで観に行っていた
あのこは貴族という映画の、原作者でした。
表紙の絵もなんだか魅力的だし、私もパリに
行ったことがないので、借りてみました。



パリへ行ったことがない
彼女はパリへ行ったこと(が)ない と、私だったら
そうタイトルを付けてしまいそうだけど‥。


第一部は雑誌フィガロジャポンに2013年10月号~2014年
9月号まで連載されていて、第二部は書きおろしだそうです。
11編ある第一部はどれも短くて読みやすいのは、そのせいか
と納得。

飼い猫1匹と暮らす35歳あゆこも、温泉街で暮らすかなえも、
ガールズバーでバイトをしているさほも、その他の主人公も
ほとんど全員(たえこは若い頃に行ったことがある)が、
パリへ行ったことはなく、ある瞬間まで、自分がパリへ
行ってみたいと思ったこともなかった、あるいはそう思って
いたことに無自覚だった、のに、その瞬間を越えたあとは
「パリへ行く」が自分に対しての、ある種の呪文のように
なっていくのが面白かった。

しかも若い人だけでなく、夫を亡くした後、女友だちに
誘われてとか、夫の定年後の旅行でなんとなく、といった
人たちも描かれているところに大いに共感(笑)。


ところで。解説を書いているカヒミ・カリィさん(かつて
パリで暮らし、今は家族でNYに居るそう)のこんな考察が
興味深かったです。

同じ海外でもパリとNYに住んでいる日本人ではタイプが違う。
例えば移住したしたきっかけも、パリの方はフランス文化などに
真剣に憧れていて、芸術やモード、料理などを学ぶために留学
したりと、具体的な目標をあらかじめ持って住みだした人が多い。
それに対してNYの方は、何となく海外留学したくてとか、友だちに
会いに観光で遊びに行ったまま住み着いたという人が多いように
思う。
NYにずっと憧れていたという人は意外に少なくて、NYに来てから
その魅力にはまってしまったという人が結構多いのだ。そして
長く住んだ今でもNYが本当に好き、という人が多い。


NYの記述については私も多いに頷けます。そのむかし、夫が
新婚旅行先をぜひNYに、と言いだした時も、共通の友人が住んで
いるしそれもいいか、ぐらいの気持ちで決めたのに、そのわずか
1週間くらいの旅行で、次に来る時は旅行ではなくて、もっと
長くここに留まりたいと思い始め、二人の間の呪文になったので。

NYへの気持ちと比べてみるためにも、一度くらいパリを訪れて
みたいものですねー。その時の私、何歳になっているかな。

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それがバターというものか

2021-05-11 17:17:24 | 好きなもの・音楽や本

インスタでいくつかの書店をフォローしているのですが、
この本を推している方が何人も居て、そんなに薦めるのなら、
と図書館で予約待ちして読みました。



裏表紙の説明に、男たちの財産を奪い、殺害した容疑で
逮捕された梶井真奈子(カジマナ)。若くも美しくもない
彼女がなぜー。週刊誌記者の町田里佳は親友の伶子の
助言をもとに梶井の面会を取り付ける。
とあったので、
なんとなく事件の真相に迫る系のサスペンスなの??と
何の予備知識も持たないまま読み始めてしまったところ、
あれ?これって何かに似てる‥と、木嶋佳苗をモデルに
していることがわかりました。


殺人容疑で拘置されているカジマナは、実に堂々としていて、
髪や肌の手入れも怠っていないように見え、多忙な記者で
ある里佳よりも余裕を持って、人生を楽しんでいるかの
ように振る舞います。
いかに自分がバターを愛しているか、バターのない(あるいは
けちった)料理がどれほど不味いか、バターをきちんと
味わったことのない里佳が、どれほど貧相な女であるかを
語り、それに頷くしかない里佳は、「カジマナマジック」に
かかったような状態になると同時に、バターの美味しさを
知っていきます‥。

カジマナは本当に犯人なのか、里佳は真実を引き出し、
記事にすることができるのかー。

そこが主軸の物語として読み進めていくと、作者の意図は
それだけに留まらず、私たちが直面しているありとあらゆる
こと‥(思いつくだけでも)過度なダイエット、ネットの炎上、
妊活、父と娘、推しのアイドルなどなど‥に及んでいること
がわかり、しかもそのどれもが「さらっと」ではなく、
「わりとたっぷり」なのです。

すごいな、うまいな、と思いながらも、読み手の私はそれを
次第にヘビィに感じてきて‥あれあれあれ。
これはそう、まさにバターと同じだと思いました。

たまに食べるとすごく美味しいけれど、私にとっては重すぎる
食べ物。本文中に、自分の適量をいつか知ることができたら、と
いう箇所がありましたが、柚木麻子本は、私にとってはどうやら
バターのようなので、またいつか、を楽しみにすることにします。








 

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賢治探偵

2021-05-06 16:52:20 | 好きなもの・音楽や本

図書館で偶然見つけた文庫本。


宮澤賢治が、親友の女学校教師、藤原嘉藤治から不思議な話を
聞いたり、彼を通して持ちかけられた相談に応えるために
「探偵」まがいの捜査をし、万事上手く解決してゆくという
短編が3つ収められていました。

最初のはなしは、賢治が書いた童話「月夜のでんしんばしら」
のように、電柱が歩くのを見た!という人が現れるというもの。
文学だけではなく、科学にも強い賢治は仮設を立て、それが
何ゆえそう見えたのかを立証してゆきます。

どの話も、事件が解決していく面白さだけではなく、その土地
に住む人々の暮らしや心情に深く寄り添っていることにココロ
打たれます。

宮沢賢治という人は、自分にとても厳しい人で、常に俯いて
いるような(勝手な)イメージがありましたが、この本の中の
賢治は、とても行動的で、笑顔が似合う愉快な人だったので、
なんだか安心しました(笑)。


探偵ものって、ほんとにときめきます笑。大好き。

余談中の余談ですが、名探偵コナンもずっとずっと観続けて
いまして(現在もTV録画して観ています)。でも劇場版が公開
されてすぐに、映画館で観るのはこのたびが初めてでした。

昨日ひとりで観てきましたが、楽しいひとときでした。
わかっていても、コナンが「らーーーーーんっ!!」って叫ぶと
うるっとせつなくなりますね~(笑)。

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そんなふたりにあこがれる

2021-04-22 15:49:47 | 好きなもの・音楽や本

図書館の文庫の棚で見かけて、借りてみました。



表紙の二人が主人公の、女の子がヘガティーで男の子が麦くん。

第2章で小学6年になっていたので、第1章では「その2年前」
の4年生。

走るのが誰よりも速くて、映画のビデオを観るのが大好きな
ヘガティー。ほぼ一日中寝ているおばあちゃんの部屋で、
おばあちゃんに話しかけながら絵を描くのが好きな麦くん。
ヘガティーにはお母さんが居なくて、お父さんは映画評論の
(ような)仕事。麦くんのところはお父さん居なくて、
お母さんは、なんかスピリチュアルなシゴトをしています。

二人とも、若干浮いてる?感はあるものの、すごく大人びて
いるわけでも、閉じこもっているわけでもなく、フツーの
小学生なんですが、その内面を知っていくうちに、こんな
ナイーブな小学生って居るのかな、という気持ちに満たされ
ていきました。それは二人がそれぞれお母さんお父さんと
幼い時に死別していることに関係あるかも、とも思いながら‥。

でも気が付けば、二人の気持ちを丁寧に掬い取っていく
文章を、次々にページを繰って追っていました。
そうだよね、小学生とはいえ、考えるときにはとことん考え、
悩み、悲しみ、怒り、恐れるよね‥。

それにしても、大泣きしていた同級生に、
「肩くもう」「肩くむとね、ちょっとらくになるんだよ」
って、言える麦くんって素晴らしい。


親友が男子って、素直に、羨ましいです。




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遠くても近くても

2021-04-07 14:43:26 | 好きなもの・音楽や本

図書館の文庫の棚「よ」の所で、そうだ久しぶりに
吉本ばなな本を読んでみようと思い、迷ったあげく
この本を選びました。

「不倫」「南米」をで接続するなんて、すごい
タイトルだーと思いつつ‥。


どうせ読むなら今の自分から最も遠いものが
いいなあと思って(笑)。
そして山口昌弘さんによる写真や原マスミさんの
挿画(表紙ももちろん)が、魅力的だったので。

世界の旅③とあったので、シリーズものみたいです。


ブエノスアイレスやその周辺が舞台で、7つの短編が
収められています。

電話
最後の日
小さな闇
プラタナス
ハチハニー
日時計
窓の外

最初の話「電話」の冒頭で、読み手は自分の知らない
南米の街をこんな風に知ることになります。

はじめて見たブエノスアイレスは、ヨーロッパの街並に
確かに似ていた。しかし、そこに息づく濃厚な南米のムードは
至るところから漂い出て、すべてを覆いつくしていた。
壁の落書き、広告の激しい色彩、ごみの舞う舗道、見たことも
ない街路樹は激しく枝を伸ばし紫や赤の花をつけ、子供たちは
どんな狭いところでも空間さえあればめったやたらにサッカー
をしていた。空の青も、強烈だった。押さえても押さえても
にじみ出る南米の大地の力が街を行く人々の顔に刻み込まれていた。

そんなところでの不倫の話はすごい展開になっているのでは?
と、ちょっと思いましたが笑、主人公が不倫真っ最中の話もあれば、
すでに過去のものになっていたり、自分の肉親がかつてそういう立場に
居たという話もあったりで、全体的には、むせ返る空気の中でも
その人たちが居る場所は(逆に)ひんやりしている、という印象を
(私は)受けました。

物理的な距離と、ココロの距離は比例するわけではなく、かと言って
離れているほどに、想いは強くなる、なんてロマンチックでもなく。
すべては人のココロという、ブラックホールの中で、どこをどう
とらえていくかって、ことなのかあと思いました。

「最後の日」の中で、主人公がこんなふうに思うところがあって。

私にとって一日とはいつも、のびちぢみする大きなゴムボール
みたいなもので、その中にいるとたまになにかをふと眺めている時、
なんの脈絡もなく突然、蜜のように甘く、豊潤な瞬間がやってくる
ことがあった。(中略)私にとって生きるというのはそういう瞬間を
くりかえすことであり、続いている物語のようではなかった。
だから、どこでとぎれても、私は納得するのではないか、と思えた。

ここでは、一日という「時間」のことを語っていますが、
遠くに居る、すぐそばに居る、という「距離」も、こういう気持ち
のありようと同じことなのかもしれないと思ったのでした。



***     ***     ***



数日前の明け方にみた夢の中で、私は20代前半で、サークルの
先輩にボーイフレンドを紹介されたり、友だちがやっていた
テレビの仕事が3月で終わってしまうことを悲しがったりしていて、
その気持ちがとてもリアルだったので、目覚めた時に、24歳の娘が
居る自分の方が、長い長い夢だったのではないかと思え、なんとも
不思議な気持ちを味わいました。前の晩読んでいた、小説が影響
していたのかもしれません。

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動いている村上春樹を初めて見た

2021-02-25 16:04:58 | 好きなもの・音楽や本

2月21日(日曜日)。買っておいた配信のチケットで
MURAKAMI JAM いけないボサノヴァ を観ました。

日曜日19時~不定期で放送されている、村上RADIO から
発生したライヴで、今回が2度目。初回はラジオでしか
聴けなかったので、このたびが初めての映像解禁というか、
会場に来られなかった人のために、と配信も行われました。

司会というか進行は坂本美雨さんと村上春樹氏。
いつものラジオのオープニング曲が流れた後に、会場が
徐々に明るくなり、二人が登場するのですが‥
そういえば、私、動いている村上春樹を見るのは初めて!!
ということに、そこで気が付き、軽いためいきほどの(笑)、
感銘を受けました。

書いてものを30年以上読んできて、村上RADIOで初めて
声を聴くことができて、そしてやっと「生身」の春樹氏を
見ることができたというわけです。

ライブは、とてもゴージャスで楽しいものでした。
大西順子さんのバンドで、小野リサさんが歌ったり、
村治香織さんがボサノバやったり、さらには山下洋輔さんまで!

村上RADIOはこの先も続いていくと思うので、第3回、第4回と
ライブも続いていくかもしれません。
いつの日か、この目で、動いている村上春樹を見ることができる
日がやってくるでしょうか‥来るといいなあ。

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気が付けば2月も半ばを過ぎ‥

2021-02-17 17:00:52 | 好きなもの・音楽や本

陽の入りがしだいに遅くなり、気が付けば
17時を過ぎても暮れてゆく美しい空が見えるような
季節になっていました。

駅の西口側の公園の白梅ももうこんなに咲いています。


1月は「SPITZ映画 猫ちぐらの夕べ」に始まり、それに尽きたと
いう感じで‥結局合計で6回観ました。

2月に入って、ぼんやり過ごしていたのですが、この1週間くらいで
配信ライブを3つ観ました。

2月11日 sumika  本当だったらこの日に行われるはずだった
さいたまスーパーアリーナのチケットを持っていたのです。
でもそれが中止になり、払い戻しをしてしまったので、9日の
配信は観ることができず、ちょっと後悔していたところ、10日の
夜に急遽11日の「無料!」配信が決まり、それをyou tubeで
観たというわけです。

すごいなあと思ったのは、9日にチケットの払い戻しをしていな
かった人向けのライブをやり、翌10日にファンクラブのみのライブを、
どちらも有料で行った上での、11日の無料配信を決めたこと。
その理由をボーカルの片岡さんは、「好きな曲が入ったカセット
テープを、聴いてみて、と友達に貸すような気持ち」‥と話ていました。
この7曲のライブ。とっても沁みました。
そしていつか、sumika のコンサートに必ず行こうと思いました。



2月14日 YOASOBI  昨年『夜に駆ける』が大ブレイクしたユニットの
初ライブが配信で行われました。

曲がCD化されていないのに、そして初めて出るテレビ番組が紅白歌合戦
ということで相当話題になってましたよね。曲のタイトルがスピッツの
『夜を駆ける』と似すぎているので笑、それで知っていたくらいなの
ですが、歌番組のライブ観たりしているうちに、曲も聴くようになって、
娘と一緒に配信も観たのですが‥。

話題のユニットの「初」ライブということで、どんな会場を選ぶのかなー
と思っていたら‥なんと建設中のビルの8階部分を借りて、でした。
なかなか考えたなーとひとりおばちゃんは感心してました(笑)。



そして15日 リトグリ  先月、武道館で行われたライブの配信で、
娘が観に行っていた日のもの‥断続的でしたが、なかなかの感動ものでした。
全員が20歳を過ぎて‥これからもっと表現力とかに磨きがかかっていくと、
ただ歌が上手い子たち、だけではない魅力が増し、もっともっとファンが
増えるのでは、と思いました。(娘がとってくれたチケットで、この秋
弘前に行くことになっているのです、とっても楽しみ)


昨年末に、遅ればせながら Apple Music デビューをしたので、
散歩の時に、色々ダウンロードして楽しんでいます。


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村上春樹のおかげで

2021-01-28 17:02:20 | 好きなもの・音楽や本

たしか、インスタで友達の紹介文を読んで‥なにこれ、
こんな本あったんだー!と急いで図書館に予約したの
だったと思います。



日本語タイトルがいいですよね?
村上春樹の「せいで」、何が起こった??と
とても興味を惹かれました(笑)。


作者は、韓国の作家イム・キョンソンさん。
いかに自分が村上春樹から影響を受けてきたか、を綴ったエッセイ
なのかと思いきや、春樹氏の著作はもちろんのこと、経歴や過去の
様々なエピソード、奥様のことまで、詳細に語られている研究本でも
ありました。

若い頃から熱心なファンだった私にとっては、88%くらい?は、
知っていたことなので、自分の中での「確認」になり、
あまり読んだことがない初心者の方にとっては、これ1冊押さえて
おけば、村上春樹の学生時代がどんなふうで、前職は何で、
どのような経緯で作家になったのか等々が簡単にわかる凄い本です。

お父様の仕事の関係で、海外と自国を行ったり来たりしながら、
青春期を過ごした作者が、アイデンティティ確立の過程で、
村上春樹という作家に惹かれたのは、頷けるし、その思いを
素直に書いているところに好感が持てました。

副題の「どこまでも自分のスタイルで生きていくこと」は、
作者の思いというか、決意の現れですよね。

面白く読みましたが、私が知らなかった10%くらいのことを
(残り2%は誰にもわからない部分)
知っていたことに長年のファンとして、ほんのりジェラスを
覚えました(笑)。


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どこかで句点、あるいは助詞を

2021-01-15 15:57:22 | 好きなもの・音楽や本

名前は知っていても、なんとなく読む機会がないままだった
自分にとっての「新しい作家」の本、読みました。



作者の川上未映子さんは、春樹氏との対談本があったり、
なんとなく華やかなイメージがあったので、この本も
キラキラした恋人たちが出てくる恋愛小説なのかなーと
(勝手に)思っていたのですが。

主人公の入江冬子さん34歳の、孤独な毎日と、
孤独だった過去の日々にページは埋められていて、
なかなか「恋人」が現れない展開でした。

でもそれが退屈なわけでも、じれったいわけでもなく、
自分にとっての初めての川上さんの文章は、むしろ心地よく、
誕生日の夜に、冬子が町をひとり歩く場面や、冬子が窓の外を
ただ眺めるこんな描写が響きました。

動くものと動かないもののあいだを満たしてゆく
インクのような夜の濃さを、わたしはコーヒーカップに
唇をつけたまま、ぼんやりと眺めていた。

ただ、途中読んでいて苦しくなったのは、冬子がアルコールに
依存し始めたとき‥。
缶ビールやワンカップの力を借りなければ、カルチャーセンターの
受付でさえ話す勇気が出ない、孤独の深さに胸が痛くなったのでした。

ひりひりするような孤独の殻から出ていくためには、力づくで
その殻を割るのでも、縁側昼寝のようにぼんやりと温めるのでもなく、
水分を与え、輪郭をまず滲ませ、外と内との境界を曖昧にしていくのが
いちばんだったのかなー、と、ゆうべお風呂の中でふと思ったり。

文庫本の帯に書いてあったような、恋はこんなにも孤独で、せつなくて、
涙が出るほど美しい。とか、天才が紡ぐ繊細な物語に超感動 とか、
これが、究極の恋。とかそこまでは、思わなかったけれど、人を好きに
なった時間は無駄ではなかったよね、とそっと背中に言ってあげたい
ような気持ちです。



それにしても、タイトルの「すべて真夜中の恋人」。
何度口の中でなぞってみても、頭の中に吸収されていきません(笑)。
(それゆえココロに残る、さすがのタイトルだと思います)

すべて、真夜中の恋人  だったら、真夜中を歩いている、
真夜中という時間に属している人たちはみんな恋人同士みたいな(?)。

すべて真夜中、の恋人   だったら、(自分の)恋人が存在していた
時間はいつでもその全部が真夜中だった、という印象になるし。

もし、一文字増えて すべて真夜中の恋人 とか、
すべて真夜中の恋人 とか、すべて真夜中の恋人 だったら? 
タイトルからくる印象はだいぶ変わってきますよね。

もしかして、冬子の恋も、あの時句点をひとつ入れてみれば、
あと一歩踏み出して、助詞を一文字変えてみれば、三束さんとの恋も
違う方向に進みだしたりしたのかなーと、そんなことも思ってみました。



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