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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

アーノルド・ローベル展@PLAY! MUSEUM

2021-03-24 17:48:45 | 好きなもの・美術館や展覧会

今年に入ってからずっと行きたいと思っていた
PLAY! MUSEUM@立川 にやっと行くことができました。



こちらの、がまくんとかえるくんでお馴染みの、
アーノルド・ローベルさんの原画展


こんなふうな通路をとおって、そのセカイに誘われるのも
ステキでした。

ローベルさんや、その作品について、知っていることよりも
知らないことの方が多く、ご趣味の刺繍作品が飾られていたことも
とても興味深かったです。(こちらがその作品です)



「がまくんとかえるくん」のシリーズも、娘が幼い時に
家で読んだことはたぶんなくって。
小学校で読み聞かせをするようになってから、私はよく
教室で読んでいました。
なので、今回この展示を娘が積極的に観に行きたがったことや、
熱心に原画を観て、最後に図録まで買ってきたことが、とても
新鮮で、嬉しい驚きになりました。

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「可能性のノスタルジー」

2021-03-22 17:31:58 | 好きな本

いくつかの書店のインスタをフォローしているのですが、
何度も紹介されていたのと、先日読んだ本と同様、表紙が
印象的だったので、図書館で借りてみました。

 『赤いモレスキンの女』

↑の画像は小さくて少々わかりずらいですが、窓辺に居る
女性が持っているのが、モレスキンの赤い表紙の手帳ですね。
こんなやつでしょうか?



物語は、その手帳所有者の女性が、深夜帰宅した際に、
自宅玄関前で強盗に襲われ手帳が入ったバッグを奪われてしまう
シーンから始まります。
翌朝、そのバッグを拾った(というかごみ置き場に捨て置かれて
いたものを見つけた)のは、その近くで書店を経営している
ローランという男性でした。

バッグの中には、パトリック・モディアノ(私は全然知らなかった
のですが実在するフランス人ノーベル賞作家)のサイン本と香水瓶、
クリーニング店の伝票と、文章が綴られた赤いモレスキンの手帳、
鍵の束、古い写真、サイコロや小石などなど。
それらを手掛かりに、ローランはその女性を探し出すことが
できるのかーというミステリー的かつ探偵小説的な面白さがあり、
どんどん読み進めることができました。

でも、それだけではなく、この小説の最大の魅力は、「本」が
二人の縁を繋いでいくところなのだと、後半になればなるほど
わかっていくのですが‥。「可能性のノスタルジー」という言葉も
ローランの書店に入ってきたお客さんがたまたま訊くのです。
『可能性のノスタルジー』はありますか?と。
その本を探しに行きながら、ローランはこう思います。

人は起こらなかったことについて、ノスタルジーを感じることが
できるのだろうか?人は人生のある局面において正しい決断をしな
かったというほぼ確信に近い思いを抱く時、そこから生じる感情を
「後悔」と呼ぶが、それはより独特なバリエーションを含んでいる。
このバリエーションは私たちをより神秘的で甘美な余韻に包む。
それがつまり可能性のノスタルジーではないか。

偶然もたらされたその言葉に、ローランは導かれ、あるいは
背中を押され、物語はゆっくりと誰もが望むようなエンディングに
むかっていきます‥。


主人公や周りの人たちが少々オシャレ過ぎる?と思いましたが笑、
パリが舞台の小説なのだから、このくらいでいいのかなーとも。
そしてもしも、自分のバッグがどこかで拾われたとしたら、その
持ち主を探してみたいと、誰かに思わせることがわたしできるかなーと
ちょっと思ってみたりしました(笑)。

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春はここから

2021-03-16 17:25:11 | 日々のこと

SNS上で、次々とスノードロップやら、紅梅やら、ハクモクレンやら
彼岸桜やら、水仙やら、ヒヤシンスの画像がアップされてきて、
それをつらつらと眺めていたら‥!! うちにもたしかヒヤシンスの
球根があったはずと思い出し‥と同時に、昨年の秋にポットに埋める
作業を忘れていたことに(やっと)思い至りました。ああ。不覚。。
そして、薄々気が付いていた現実にも(やっと)目を向けました。
ああ、ムスカリの芽が今年は出ていない。。。

ヒヤシンスもムスカリも咲いていないうちですが、春は確実に
近づいていたようで‥14日日曜日、ついに到着しました。


長い前置きでしたが笑、作り手と結ぶ庭 花菜摘む(前期)@伊勢丹で、
大野七実さん作のポットを購入したというわけです。


こんな可愛らしいスズランが、貼花の技法(あってますか?)で
付いていて。


底まで根っこも伸びていて。


蓋にはチョウチョも飛んでます。

600くらい入ります、って七実さんが教えてくれて、
朝にたっぷりとお茶(近頃はほとんどルイボスティ)を
飲むので、嬉しい容量だし、置いてあるだけで、嬉しくなる
器だよね、って友も言ってくれて。
もうほんと、そこに居てくれるだけでいいって、いう存在
でもあるのですが、でも使ってみて予想以上の心地のよさに、
家族3人、二度惚れ致しました。

蓋がまっ平なところがいい、と夫。そうそう、蓋が重いのです。
だからたっぷり入れても安心感があるのです。

持ちやすい、と娘。そうそう、持ち手の湾曲具合がちょうどいい
のと、幅が太すぎないので、女子には持ちやすいのです。

注ぎ口が短いのがいい、とわたし。洗って逆さにしたときに、
なんかドキドキしないので(笑)。
そして、なによりバランスがよいのです。

スズランは可愛いらしいけど、決して甘すぎず。焼き物の肌の
具合も(私が言うのは生意気だけど)ちょうどよく好きな感じ。

2点しかこのタイプのポットは出展されてなかったようなので、
日曜日にはもう見ることはできないと思っていました。
「出会い」とはきっとこういうものなのですね、本当によかった。

そして、ここに(うちに)来てくれて、どうもありがとう。

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新鮮な記憶

2021-03-09 17:14:57 | 好きな本

変わったタイトルと、印象的な表紙に惹かれて。
図書館で予約して借りました。『掃除婦のための手引書』



ルシア・ベルリンという、アメリカの女性作家の短編集。
表紙の女性は作者ご自身とのこと‥美しい方ですね。

1936年アラスカ生まれ。残念なことに2004年にお亡くなりに
なっているのですが、幼少期は鉱山技師だった父の仕事の
関係で、北米の鉱山町を転々とし、その後チリに引っ越し、
3度の結婚と3度の離婚、4人の息子を育てながら、高校教師、
掃除婦、看護師、電話交換手として働き‥アルコール依存症
にも苦しみ、そして(もちろん)文章を書いていたという、
なんと波乱万丈な(?)人生でしょう。


訳者あとがきにはこのように記されています。

ルシア・ベルリンの小説は、ほぼすべてが彼女の実人生に材を
とっている。そしてその人生がじつに紆余曲折の多いカラフルな
ものだったために、切り取る場所によってまったくちがう形の
断面になる多面体のように、見える景色は作品ごとに大きく変わる。

そして、この本に収められている『短編』を、実人生の「どのあたり」
だったのかを、分けています。

/鉱山町で過ごした幼少期 『マカダム』『巣に帰る』
 『ファントム・ペイン』

/テキサスの祖父母の家で過ごした暗黒の少女時代 
 『ドクターH.A.モイニハン』『星と聖人』『沈黙』
 『エルパソの電気自動車』『セックス・アピール』

/豪奢で奔放なチリのお嬢時代 『いいと悪い』 『バラ色の人生』

/四人の子供を抱えたブルーカラーのシングルマザー 
 『掃除婦のための手引書』
『わたしの騎手』『喪の仕事』
 『エンジェル・コインランドリー店』『今を楽しめ』
 『ティーンエイジ・パンク』『さあ土曜日だ』

/アルコール依存症との闘い 『最初のデトックス』『ステップ』
 『どうにもならない』

/ガンで死にゆく妹と過ごすメキシコの日々 『苦しみの殿堂』
 『ママ』
『あとちょっとだけ』『ソー・ロング』

※太字になっていない短編のタイトルは、私自身が(勝手に)、その時期に
いれてよいのでは?と思った短編です。


好きだなと思ったのは、最初に読んだ『エンジェル・コインランドリー店』。
うらぶれたランドリーで出会った背の高い、年寄りのインディアン
出てくるはなし、と、『ソー・ロング』。ニューヨークで、夫と、二人の
子供とともに暮らしていたのに、ある日、三番目の夫になるマックスが
電話をかけてきた。ハロー、と彼は言った。いますぐそこの角の電話ボックス
なんだ。そして、子供たちを起こし、アカプルコへ行ってしまう‥。
時は流れ、メキシコで妹の看病をしているところへ、そのマックスから
時折電話が来る、そんなはなし。幼少期の話の中では『巣に帰る』もいい。
あったかもしれないもうひとつの人生、パラレルワールドを、年老いた自分が
振りかえる。
わたしはたまたま町にやって来たダイヤモンド掘りと駆け落ちし、そのまま
モンタナに行き、そしてどうなったと思う?なんとわたしの人生は今と
そっくり同じになっていただろう、ダコタ・リッジの石灰山のふもとで、
カラスを見ながら。

テキサス時代の話はどれも読んでで胸が痛くなるが、今朝起きた時に
ジョン叔父さんが何と言ったのだったかが、とても気になったので、
このはなしが実は一番響いているのかもしれない。

230ページ、『沈黙』の中のジョン叔父の言葉。

「こら、嫌いなんて言葉を使うんじゃない!だいいちお前さんは
メイミーを嫌ってるんじゃない、自分を好いてくれないから
腹を立ててるんだ。メイミーはお前が外をほっつき歩いて、
シリア人やこのジョン叔父さんとつるんでるのをさんざん見てきた。
それでお前のことをろくでなしの、モイニハンの血の者だって
思ってるのさ。お前さんはただメイミーに愛されたいだけなんだ。
いいか、もし誰かのことを憎く思ったら、その人のために祈ることだ。
やってみればわかるさ。そしてメイミーのために祈りながら、
ときどきは家の手伝いもしてあげろ。お前みたいな可愛げのない
ガキんちょでも好きになる理由を、メイミーに作ってやらなきゃ」
(メイミーは祖母の名前、自分の妹ばかりを可愛がっていると
主人公は思っている‥)

いずれにしても、どの短編も、切りたての果物みたいな、新鮮な印象が
ココロに残る。物語の終わり方がどれも鮮やか。日本語訳がとても
リズミカルで読みやすいこともきっと影響しているのだろうと思う。

よい時期によい本に出会い、いい読書ができたなと思うと同時に、
こういう短いはなし、書いてみたいなーと久しぶりに思いました。

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