8月は映画館で1本、あとはWOWOWのテレビ録画と
オンデマンドで観ました。 ミッション:インポッシブル
デッドレコニング PART ONE
トム・クルーズが特に好きなわけではないのに、またまた
トムが主役の映画を観てきました。このシリーズがけっこう好きなので‥。
前作までがどんな感じだったかよく覚えてないのですが、
ずっとイーサンを支えてきてる「チーム」の存在がいいですよね。
そして副題 デッドレコニング
移動経路や距離などから位置を割り出すことで航行する“推測航法”という意味
だそうで、転じて、情報のない中で推測や結果を出すことを指す言葉でもあり
イーサンだけでななく、何人かの人物のメタファーにもなっているのだとか。
冒頭で最新テクノロジーの潜水艦とその中枢部を管理する場所が出てくる
のですが、そのカギが本当に文字通りの「鍵」だったことと、AIの暴走に
驚きつつも、結局は力づくでその「鍵」を奪い合う‥という、オーソドックスな
展開がおもしろかったです。カーチェイスあり、変装あり、ハラハラありで。
今回のPART ONEは、始まりに過ぎず、登場人物のお披露目的な役割だった
と思うので、「鍵」がすべてを明かしてくれるPART TWO を楽しみにしたいと
思います。
何年か前に原作を読んだのに、肝心のところが抜けて落ちていて。
なので、映画を観て、ああそうだったのかーと思いました。
本を読んだときに印象的というか、忘れられなかったのは、
主人公ココロが同級生からのいじめに合う場面。そんなつまらない
ことで、グループやクラスからはじき出され、居場所を失くして
しまうなんて!でした。
映画でもそのあたりのことも丁寧に描かれていましたね。
ラスト近くで、孤城の秘密が解き明かされるところでは、
何度か録画を止めて確認したり‥。時間は流れ、時代は移り変わっても
(いわゆる)いじめの連鎖は途切れることがないので、自己防衛策
として、自分の思っていることははっきりと自分で言う。
嫌なことは嫌だと言う。それが自分自身を保つ(もしかしたら)
唯一の方法なのかなと思いました。 ワンスアポンアタイム イン ハリウッド
レオ様はそうでもないけど、ブラピは大好きなので、劇場公開の時に
観たいなーと思っていて‥でもタランティーノ映画は、グロい(もしくは
えぐい)場面が多いかも?とも警戒(笑)していました。
この映画には元ネタというか、下敷きになっている事件があって、
それを踏まえた上で観るのと、ただ漠然と観ていくのでは違うという
ことに、1度観終えたあとに気が付き、1969年のシャロン・テートという
女優さんがカルト集団チャールズ・マッソンファミリーに殺害された
ログを読んでからもう一度観なおしました。
ふむふむ、なるほど~そういうことだったんだ、と非常に納得。
そして、そのシャロン・テートの隣の家に、レオ様演じるリック・ダルトン
という俳優が住んでいて、彼のスタントマンであり、親友でもあるクリフ
(ブラピが演じてる)が大いに絡んでくるというわけです。
全体からしてみれば、五分の一くらいのラストに面白さをすべて注ぎ込む
ために、他五分の四を、丁寧に作り込んでいたのだなーと思いました。
クリフの最後の言葉 I will try よかったな。
オリジナルタイトルは Misbehayior ( 直訳すると 非道徳な行為)
こちらは、「ミス・ワールド」の1970年ロンドン大会で
実際に起こった騒動を、キーラ・ナイトレイ主演で映画化した作品。
1970年代って私が小学生の頃ですが、テレビでミスユニバース
世界大会とか、その日本予選とかを観た記憶があり‥王冠乗せた
きれいな人に、子供心に憧れましたねえ。
女性解放運動とか、その活動をしている人とか、もちろん当時は
考えてみたこともなく、今回この映画を観て、そういう運動って
そんなに昔のことじゃないんだ、と軽く驚いた次第です。
国の代表として「ミス・ワールド」出場のためにロンドンまで
来た女性にも、もちろんそれぞれの背景があるわけで‥ミス・ワールド
反対派の女性たちと、出場側の女性たちの「視点」が交わるところと
実際にこの「騒動」に関わった人たちのその後の人生を、ラストで
紹介しているところにじんとくるものがありました。
オリジナルタイトルは、チラシの下に載ってる
MIlitary Wives
基地の中で共に暮らす軍人の妻たちが、夫が出征したあとに
秩序とメンタルを保つための活動の一環として結成した合唱団の話。
こちらも実話に基づいてます。
最初ばらばらだった気持ちと歌声が、最後みごとにまとまって
行くのはとてもよかったし、彼女たちが「練習」していた歌が
80年代のヒット曲で‥ああそういうことをうたっていたんだ!と
今更ながらに知ることができました(笑)。
8月は、とても久しぶりに電車で川越まで。
作家さん5人展のギャラリーでお買い物して、コエドビールブルワリーへ。 手前のが私ので確か「伽羅」という
名前が付いていたと思います。。美味しかったなー
「植物と歩く」@練馬区立美術館 からバスで荻窪へ出て、友人と
ハンバーガーショップで夕方ビール。 「らんまん」モデルの
牧野博士が実際に作った植物図鑑が観たくて行ったのですが、
他の絵画や彫刻も見ごたえありました。
「ピーター・シス展」@八王子夢美術館 から調布で夫と待ち合わせて
友だちの絵画展へ。そしてこの日はエビスビールのお店へ。
後半は@渋谷でSTOMP観ました。この日のために店長が製作した
Tシャツを、家族三人で着て行って。(でもビールは家に帰ってから)
娘との合同誕生日会では、今年もシャンパン飲んで‥
楽しい8月も終わっていきました。
7月に読み終えた本も3冊でした。
3冊とも、予備知識や事前予約なしで、図書館の棚で偶然
見つけた本でした。
6月に読み終えた『ビブリア古書堂の事件手帖』と
同じ作者。ビブリア~の続きを読んでみようかなーと
探しに行って、なんとなく題名に惹かれて借りてみました。
1930年代に建てられた、当時の最先端アパートメントを
舞台に、そこから70年(!)続く、主人公八重と、
八重の大切な家族の思い出が、年代を行きつ戻りつ
しながら描かれています。
プロローグは、八重の最後の記憶。
年老いて、死へと向かうとき、人はこんなふうに、かつて
愛した場所や人や場面を思い出すものなのでしょうかー。
本文9ページ
それから耳元にそっと囁いた。
「いきなさい」
あなたはまだ、ずっと先まで。
たちまち娘の姿は消えて、老いた女が一人きりで
立っていた。わたしはここでおしまい。
それと、ひとくくりに「家族」といっても、微妙に
合う、合わない、という人は(きっとどこの家族にも)いて。
それは好き嫌いとはまた別の感情というか、感覚で‥、
がんじがらめの家族よりも、素直にそういう気持ちで、
「代官山アパート」を通して繋がっている関係は
いいなあと思いました。
なんとなく、たまに、ばなな本でも読んでみようかー。
という気持ちになって。文庫の棚から今回はこちらを。
(ライフワーク長編で全4冊あるそうですが、まずは、
その1 アンドロメダハイツ)
カウンセリングができるおばあさんとの暮らしから、
山のこと、草のこと、薬草茶の作り方などを覚えた
雫石(しずくいし)は、おばあさんがマルタへ移住して
行った後、生まれて初めて一人で町へ降りて行く。
そこで、「先が見える」特技?を持つ楓(かえで)の、
アシスタントのような仕事を得るが、彼が海外に居る
あいだ、その留守を預かることになるー。
お伽話のようでもあり、長いながいプロローグが
やっと終わり、さて、第1章が始まる!と思ったところで
「その1」はおしまいになった。
序盤の、アパートの隣の部屋に住む男女の、なんでも
ないと思われた描写が、最後の大事な場面に生きてきて‥
おお、ばななさんはやはり、上手いなと思ってしまった。
本文133ページ
この時の幸福なイメージを私はきっと長い間心に
とどめておくだろう。
もうすぐ終わってしまうありふれた日常の風景の中に、
花のようにか細く開いた、淡いせつなさがあった。
水にまつわる本を集めたコーナーがあって、そこで目に
ついた本。著者は赤瀬川源平さん。
源平さんは、モネに代表される、印象派と呼ばれる
人たちの絵が、絵画のなかの「頂点」であると言い切り、
なぜ今でも多くの人々に印象派の絵は愛されているのかを
「水」という切り口で、実際の絵を見ながら、話すように、
教えてくれます。
印象派の画家たちは、描き表すのが難しい「光」を画面に
入れることに心を砕いているとばかりと思っていたので、
そうか、「水」だったのか、と新鮮な驚きとと共に楽しみました。
本文94ページ
抽象絵画は表現の自由の天国あるはずなのだけど、何故か
自由の嬉しさが感じられないのはどうしてだろう。むしろ
自然描写に結びついた印象派の絵の筆触(タッチ)の方に、
自由の嬉しさを感じるのは何故だろうか。自由というのは
与えられると消えてしまう。印象派のタッチにはみずから
それをつかもうとする力が放つ輝きがあるのだ。
本文103ページ
~でも絵の輝きが印象派を上回ることはない。後を追う
ものには、技術の有利さがあるのだけど、技術だけ積み重ね
ても輝きを得られないのは、芸術の不思議なところだ。
「グローバル」になってしまった現代の人間は、水や緑を
率直に賛美する資格をすでに全員が失っている。印象派の
絵の輝きは、かつての時代に生きた彼らの特権であり、
その絵は、ぼくらには得難いものとなって残されている。
7月は一度も映画館へ行かず‥『怪物』以来
観たい映画が見つからず‥@WOWOW で4本観ました。
原題: Trouble with the Curve(←映画観たあとだとすごく納得)
特別クリント・イーストウッドが好きなわけではないのに、
なんか気が付くと、おじーさんになってからの
彼主演、彼監督の映画をよく観ているように思えるのは
気のせいなのかー。それとも、老いてゆく、あるいは
老いてしまっても尚、何かにこだわる人生を見てみたいのかー。
メジャーリーグの伝説的なスカウトマンと、長年確執を重ねた
娘との関係修復が、そうだよね、こうなるよねと思う通りの
展開で、でもハッピーエンドだったのがよかったです。
覚書
2004 ミリオンダラー・ベイビー
2008 グラン・トリノ
2009 インビクタス(出演なし)
2012 人生の特等席
2016 ハドソン川の奇跡(出演なし)
2018 運び屋
2021 クライ・マッチョ
映画館で一度予告を観て‥西島さん出てるなら
ぜひ観たいなーと思ってて。
早々に@WOWOW で放映されたので、録画して観た
のですが‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
久しぶりに挫折、というか、もうここでやめてしまおうか
と(何度も)なりました。
やめずに全部観終えたのは、こんなセカイにほんとに
この方たちは、「グッバイ」が出来たのか!が知りたかったから。
どんどん人が殺されてしまう映画でも、『ブレット・トレイン』
のような軽快さがないせいか、グロく重く感じられてそれが
辛かったのだと思いました。
余談ですが、監督の大森立嗣さんと、悪に染まった刑事役の
大森南朋さんはご兄弟なんですって。知らなかったーー。
2021年に原作を読んでいたので、映画化されたと知って
映画館で観るつもりでしたが、短い期間で、気が付いたら
終わっていて‥でも早くも@wowow に登場。
夢中で読んで、湿地に住む人たちとか生き物に思いを馳せた
のに、肝心のチェイスの真相はなかなか思い出させず。
でも、映画を観ているうちに、(映画の)カイアへの
違和感が薄れると同時に、チェイスとのあれこれも、色々と
思い出すことができ、観終わったときに流れる
テイラー・スイフトの主題歌がとても染み入りました。
(原作と映画とでは、真相に迫る描き方と、テイトが最後に
辿り着く、カイアの秘密が少し違っていたけれど、映像的
にはその方がわかりやすかったかなと思いました)
オリジナルのタイトルは Where the Crawdads Sing
「鳴く」ではなくって「sing 歌う」なんですね‥。
ソングライターであり歌手である福山さんより、
俳優としての福山さんの方がいいなあと思うのですが、
今回気が付いたのは、ガリレオシリーズの湯川博士役の
福山さんが好きなのだということ。
警察が行き詰まってしまった事件解決の糸口を、えー
こんなところから?!という角度で見つけ出し、そして
するすると解き始める‥んん?何かに似ている?と
思ってたら、名探偵コナンくんと一緒ですよね。
そう、私はやはりああいう感じが好きなのだと再確認。
それと柴咲コウさんも好きなのです。
7月はずっと楽しみにしていた、マティス展@東京都美術館へ。
マティスの作品はどれも本当に好きなのですが、今回感銘を
受けたのは、初めて観た3章にある「背中Ⅰ‐Ⅳ」という彫刻作品。
20年という時間をかけて等身大の女性の背中が4点製作されて
いて‥それを観ていると、最後に切り紙作品に辿り着いたのが
なんとなくわかるような気がしました。
そして、近頃の展覧会は観終わった後にグッズを見るのも
楽しみの一つですが、マティス展のもかなり充実してました。
他にも、7月は、高校時代の友達に久しぶりに会ったり、
娘のピアノ発表会があったり、久しぶりに清澄白河や表参道へ
行ったりもして、なかなか充実してました。
最後の週には早起きして6日連続で、3つの瓶の梅を干しました。
6月に読み終えた本は3冊でした。
原田マハさんの本は美術館や画家を題材にしたものが
好きで、そればかり読んできましたが、友人が
「あまりに良すぎて、借りて読んだあとに結局購入した」
と言っていたので、それならばと‥。
スピーチライター という職業、初めて知りました。
物語の設定がオバマ元大統領が最初に当選を果たす前くらい
だったので、記憶にも新しいし、リアリティも感じられ、
主人公周りの設定のちょっとした違和感を埋めてくれました。
(主人公のおばあちゃんが高名な俳人とか、幼馴染の
父親が有名な代議士とか‥まあ、代議士が出てこないと、
スピーチライターの話は展開していかないのですが‥)
マハさんの作品、前半の盛り上げりのわりには、後半は
わりとあっさり、というか、もう少し続きがあったら、と
思うことが何度かあったのですが、美術関連や歴史に
関係ない今回のような物語は、そのあっさり加減が
ちょうどよいな、よい終わり方だったなと思いました。
図書館でなんとなく棚を見ていたら‥どなたかが以前に
面白かったと言ってたのは、この本だっけ? となり、
借りてみました。
美しい古本屋の店長さん、その名も栞子。
普段は人前で話すのはとても苦手なのに、本に関連したこと
だと別人のようになって、鮮やかに「謎」を解き明かして
いく‥。続きも何冊かあるようなので、また時間をおいて
借りてみよう思いました。
作者の名前になんか引っかかって‥なんでだろう?と
考えたら、5月に観た『流浪の月』の方の作品でした。
出だしはそれほどでもなかったが、途中から‥各章に
付けられたタイトルと呼応する箇所があると気が付いてから、
どんどん引き込まれていきました。
たとえば。
「あの稲妻は」は、茨木のり子詩集の中のこんな一節。
けれど歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの
「ロンダリング」は、何だろう、何を意味しているか
わからない、と思っていたら。
マネーロンダリングとか、洗濯渦の、laundering のことで、
たしかに元カレと別れた直後はまさに「渦中」だったと
わかり妙に納得。
マンションの屋上にある神社を管理しながら、元妻の
忘れ形見を引き取って暮らす統理と、友人でゲイの路有。
マンションの住人の桃子さんや桃子さんが好きだった坂口君の
弟の基‥。フツーとは少し違う、緩いつながりの中で、
それぞれのココロが無事を取り戻していく‥。
本文中にあった「無事を取り戻す」。
心が平穏とかよりも、しっくりくるし、いつでも自分の
ココロは無事で居てほしい、と思い、面白くてよい本を
読んだなあという気持ちになりました。
こういうゆるい疑似家族の話、好きだなと思いながら。
とても好きな箇所、忘れたくないので、ここにー。
なにかを捨てたからといって身軽になれるわけじゃない。
代わりになにかを背負うことになって、結局荷物の
重さは変わらない。
だったらなにを持つかくらいは自分で決めたい。
6月は映画館に3回、ライヴにも2度行き、
楽しくて忙しいときを過ごしました。
♬ ♬ ♬劇場版 優しいスピッツ a secret session in Obihiro
以前WOWOWで放送されたときに何度も観たし、
録画もしてあるのですが、やはり劇場で観るのは格別でした。
スピッツのコンサートツアーに合わせて、日本各地の
映画館で順次公開というしくみになっていて‥。
私と娘はTOHOシネマズ日本橋で、プレミアムシートを
わざわざ購入して臨みましたよ。
すぐそばで、自分のために演奏してくれているような
錯覚に陥るというレビュー通り、幸せな時間を過ごしました。 @MOVIX川口
この映画もスピッツが主題歌を担当しているので、公開を
待って娘と観てきました。
コミック原作とのことですが、まるで内容は知らず‥
でも、広瀬すずさん、きれいな大人の女性になったなー、を
堪能しました。劇中で使われている小物(服や部屋の中の
置物など)も好きな感じで‥そうだよね、細部を描き込むことは
大切だよね、と思いました。
ちょっと年の離れた主人公二人の、これから始まる恋の予感、
の裏側には両親のかつての不倫関係が大きく影を落としていて。
その「両親側」に(年齢的にね)、自分は居るんだな。
こんなふうに子どもに苦しみを背負わせてしまうことに
なるんだなー(くわばらくわばら)と思ってみたり。。 @ユナイテッドシネマ浦和
近くのMOVIXでは時間が合わなかったので、
久しぶりにひとりで浦和へ。
予告を観て気になっていたのと、坂本龍一氏による音楽を
映画館の広い空間で聴いておきたいと思ったので。
ひとつの事柄を別の視点から見ると、浮き上がってくる
ものがあると同時に沈んでしまうものもあって。
人は自分の見たいことしか見ないし、聞きたいことに
しか耳を傾けないから‥。思い込みの中で、気が付かない
ふりをして生きていきたくはないけど、そういうふうにしか
守れないものもあるのかも‥。
印象的な場面はいくつもあって。
なぜ家に帰るやいなやミナトが髪を切り始めたのかー。
ブタの脳ってそういう意味だったのかー。
なかでもトロンボーンとホルンを吹き合うシーンは
この映画のタイトルを象徴しているようで、とっても
よかった。。。
思春期入口に立っている少年のココロと体はあまりにも
デリケートで、映画の終りが近づくにつれ、どうか
死なないでとそればかりを祈ってました。
嵐のあとに、突然10年後の二人が現れて、仲の良いまま
大人になっていてくれたらなーと。 @WOWOW
地味に(私の中の)伊坂ブームは続いてて、
映画化作品があると、やはり観ておきたい気持ちになって。
原作は『フィッシュストーリー』という短編集の中の
「ポテチ」という中編小説。
同じ年、同じ日、同じ街(仙台)で生まれたプロ野球の
スター選手「尾崎」と、空き巣を生業とする凡人の「今村」
そして伊坂作品ではおなじみの、黒澤がここでも登場し、
いったいこの話はどこに向かっていくのだろう?
なぜポテチ?と思いながら、小説を読んでいたことを
思い出しながら映画を観ました。
伊坂作品の映画常連者の濱田岳さん。この作品での
「今村」役がいちばん私の中でしっくりきました。
木村文乃さん、石田えりさんもよかったな。
7月14日金曜日は1学期最後の読み聞かせ当番でした。
自分のこどもが卒業してしまうと、「学期」で
1年を区切っていくことがなくなるので、たまに
新鮮に感じます。。。
この日は3年生のクラスで、2冊読みました。
最初は決まっている「届ける絵本」
貰ったのか、古本をどこかで手に入れたのか
経緯は忘れてしまったのですが、気が付いたら家にあって。
すこし前にサブ本として、5年生のクラスで読んだことが
ありました。
絵本(のおはなし)は、表紙の絵から始まっていることが
わりとよくありますが、この本はその「見本」のようで‥
表紙で、主人公のトミーが【げんきなはちうえよいしょくぶつ】
というタイトルの本を読んでいて、ページを開くと、
玄関の呼び鈴を押そうとしているところの絵があって、
まためくると、今度は見開きで、玄関から出てきたご婦人から
トミーが預かった(と思われる)鉢植えを両手に抱えている
絵が描かれています。
そして、次のページからやっと文章が登場‥。
(家でこどもに読んであげていたら、きっと、表紙から
適当におはなし付けて楽しんだだろうと思いました。)
1950年代後半~60年代のアメリカの暮らし。。
子どもの頃、『奥様は魔女』のテレビドラマに出てきたような
服を着ていたり、家具があったり‥で、個人的にはとても
興味深かかったです(笑)。
3年生は、植木を預かることでお金をもらう、という発想に
すこし驚いているようでした。日本ではこういうアルバイトの慣習、
ないですものねー。
7~9分くらいで読み終わってしまうので、他のクラスへ行った方も
皆サブの絵本を用意していました。私はひさしぶりに、こちらを
読みました。
『はちうえは~』を知っている子はひとりしかいませんでしたが、
『わたし』知ってる人?と訊いたら、半分くらいの子が反応して
ました。もっと下の学年か、あるいは幼稚園の時などに読んで
もらったことあったのかな。
きりんからみれば「ちび」
ありからみれば「でか」
のところが、やはり一番受けてました。
(いつどこで読んでも、たいていこの箇所で皆笑います)
小学校からの帰り道、私の「わたし」をひとりでやってみました。
わたし
むすめから みると おかあさん(ママ)
いもうとから みると おねえちゃん
‥という具合に(笑)。
固定されない、いろんな私が居るといいなと思いながら。。。
5月に読み終わった本は2冊。
職場の人イチオシということで、早く読んで感想を
言わないと‥と思っていましたが、『街とその不確かな壁』
にどっぷり浸っていたので、なかなか開くことができず。
ストーリーはどんどん進んでいくので、面白いといえば
面白い‥のかな。
が、正直な感想。(街と~のあとにどんな本を読んでも
これは面白いのかな??と思ってしまうに違いないので)
大きな疑問点はこの表紙。これはいったい何かを暗示?
していたのでしょうか‥。ちなみに「小麦」は主人公の
名前で、職業は弁護士。
友だちがインスタで紹介しているのを読んで、すぐに
図書館で予約して借りた本。
私が卒業した大学にも美術学科があり、変わっている人たちの
宝庫のような学部内でも、特に美術学科の方々は目立っていた
ような‥? 「美術学科っぽい」って言われたことがあって‥
その時はなんか嬉しかったな(笑)。
あとがきによると‥。
この研究室は実在のもので、そこを取材しレポとして本に
することもできたが、「あえて」小説のかたちにしたとのこと。
(もしレポだったら私は手にしてなかったかもしれないので、
小説でよかったです)
なので4人の主人公に纏わるあれやこれやはお話の中のこと
ですが、「仏様」に関することや、その修繕方法などは
すべてほんとうこと。
自己主張こそ命的な芸術大学なので、「あえて」仏様の修繕を
しようなんて思う学生は希少中の希少なわけで‥4人それぞれの
背景(背負っているもの)がとても興味深く、そしてそもそも
この研究室を立ち上げた教授が、その4人が卒業するときに
贈ったスピーチに打たれました。
命のバトン同様、芸術品の価値を認め、同世代で最高の知性と
技術をもって、そのバトンを次世代にわたす。それがここに
居る君たちの役目なんだ‥。
今度から、仏像を観るときにこれは何時代に、どんなふうに
作られたものなのかなーとか思って、じっくりよーく見てみよう
と思いました。
本日は6年生のクラスでの読み聞かせ当番でした。
読んだのはこの絵本
前にも読んだことあったなーと思い調べてみた、
2018年9月でした。「ちょっと前」と思っていても、
もう5年近くたってたんですねーこわいこわい(笑)。
今日のクラスは最前列に居た男子二人が、お話の成り行きを
とても楽しんでくれていたようで‥時折二人のこそこそ話と
笑い声が聞こえてきて、読みながら楽しい気持ちになりました。
(ジョニーくんが、おおきくなりすぎた熊を森へ帰そうと
遠くまで連れていっても、すぐに帰ってきてしまうところが
一番おもしろかったようでした。)
1952年アメリカで出版されたとても古い絵本なので、
現代のわたしたちの生活とは、遠く離れていますが、でも、
ジョニーくんが熊をおもいやる気持ちとか、二人の間の友情とか
普遍的な気持ちは感じることができるよね、感じてもらいたい
なーとか、思いながら読みました。
昨日からなんかカレンダーばかり気になって‥。
夜になったら、そうだ、6月27日はブログを始めた
記念日だった。今日じゃなくって明日じゃない、と
思い出しました。
2005年6月27日が初投稿だったので、もう18年に
なりますねー。
その年、娘が小学3年9歳だったので、そこからも、
すでに2倍の年月が過ぎていて‥中学、高校、大学と
卒業していき、この夏が来たら27歳。。それだけの
時間をともに過ごし、心身ともに成長していく過程を
見ていると、同じ時間を過ごしている自分自身は
果たして何か変わったのか‥???と思えてきます。
変化といえば、矢印が下降していく衰えが「見える」
だけで、あとは基本的には何も変わっていないような。?
それはよいことなのか、あまりよろしくないことなのかー。
本が好きなこと
本を読むのがすきなこと
絵本の読み聞かせを続けていること
ヒナタノオトへ行くのが楽しみなこと
スピッツが大好きなこと
音楽が好きなこと
2005年時点と2023年の今とほぼ変わっていないこと。
日記は3行日記をつけてること
毎日ひとつ「印象的」なことを見つけること
観た映画、読んだ本の記録と感想を残すこと
ラジオ英会話をPCで聴くこと
行きたいライヴにはなるべく行くこと
毎日少なくとも30分散歩すること
ここ数年続いていること
ものすごいトピックスやニュースはないけれど、
好きなことを好きなペースで続けて行かれることを
「しあわせ」というのでしょうね。
そして、こんな断片が浮かんできました。
谷川俊太郎の『さよならは仮のことば』の‥
赤んぼうだったぼくは
ぼくの年輪の中心にいまもいる
角田光代さんの『降り積もる光の粒』から‥
年月とともに容姿は変わっても、その人に中にある
「変わらないもの」を見つけることができる人同士は
いつまでも変わらないと普通に言い合うことができるのだ。
そうなのだ。あるものごとはどうしようもなく変わるが、
その変化のなかで変えずに持ち続けられるものが、ある。
とういうわけで、ぼちぼちと、ブログをこれからも
更新していきます。どうぞよろしくお願いいたします。
散歩中に公園で見つけたネジバナ。
こんなに密生?群生?して咲いているのを見たのは
初めて♬
5月は映画館で2本、@WOWOWで5本 観ました。 2回目の名探偵コナン!
今回は妹と一緒に観に行きました。@MOVIXさいたま
ひとりで観たときは、最後のシーンにあっけにとられて
いるうちに♬美しい鰭のエンディングが始まってしまって‥
わぁと思っているうちに終わってしまったので、今回は
曲の始まるところからきちんと聴こうと思ってました。
初回と2回目の間に、いろんな布石とか、過去の因縁とかも
「学習」していたので、さらに楽しめました。
やっぱり「コナン」って面白い。
※映画のあと、けやき広場でビールを飲んで、
ビバラの野外ステージも楽しみました。
去年だったか一昨年だったか原作を読んで‥
でもその時は自分のとっての初めての伊坂作品だったので
とても戸惑い‥このたび@WOWOW にあったので観てみました。
アイネクライネナハトムジーク は
ドイツ語で「ひとつの、ちいさな、夜の音楽」という意味だ
そうで‥ナハトムジークは多くの場合親しい相手から贈られる
ものとありました。
それを知ってから物語を思い返すと、繰り返される
仙台駅前のデッキの場面の特別感が増す気がします。
久しぶりに夫と二人で日本橋まで観に行きました。
(電車に乗ってから眼鏡を忘れたことに気が付き、
川口駅まで戻り、母に頼んで持ってきてもらう、という
ハプニングを乗り越え、開始時間に間に合いました)
TAR というのは、ケイト・ブランシェット演じる
実在しない天才指揮者の名前。
土曜日朝のラジオの映画解説で「リディア・ターという人は
嫌な人だなこういう人嫌いだと思ったけど、ケイト・
ブランシェットの演技はものすごく、本当に素敵でした」を
聴いて、これはファンとしてぜひとも観なくては、と思いました。
頂点に居た彼女の周りから、少しづつぽろぽろと「何か」が
欠けていき、気が付いたら堕ちていた、という映画‥。
(前に彼女が演じた『ブルージャスミン』のジャスミン
を少し思い出しました。)
その原因は自分自身にあったと気づいたか気づいていないのか、
反省しているのかいないのかー。判別が私にはつきませんでしたが、
なにはともあれ、わたしには音楽があるの、という彼女の力強さは
魅力的に映りました。
※エンドロールが初めに流れるという趣向。バックの音楽が
効いてました。
去年劇場公開されたときになんとなく気になってたので、
@WOWOW を録画してテレビで観ました。
原作は2020年本屋大賞を受賞した凪良ゆうさんの小説。
未読なので、こんなに苦しくやるせない話だと
知りませんでした。
更紗の少女時代を演じていた白鳥玉季ちゃんが、とても
透明でかわいらしくせつなかったし、大人になって
自分らしさを奥に隠した更紗を演じた広瀬すずさんは、
すずさん自身も大人になったんだなーと思って観てました。
大切な人が罪に問われるということがわかっていても、
どうしても自分からは口に出せない事実ってあるかな。
あるかな。やっぱりあるよね。。。
桃李さん演じるふみにも、どうしても言えないことが
あったので、互いを互いの「月」のように思え、許せたの
かなーと思いました。
『らんまん』を楽しみに観ているうちに、神木君が
出ているものを何か観たいような気になってきて‥(笑)。
作品閲覧期限切れで観られなくならないうちに、がんばって
2本続けて観てしまいました。
将棋は、将棋をテーマに扱った作品を読んだことがあるだけで
まるでルールがわからず‥この映画もマンガ原作ということ
しか知らなかったので、はじめの場面がお葬式であることに
面食らい、将棋を中心に毎日や、家族や、生活すべてがまわって
いる人たちが居ることに驚きました。
桐山くん(神木君)が住んでいるマンションと、川本家の
三姉妹が住んでいる下町が「赤い橋」で繋がっているところが
とてもいいなあと思いました。三姉妹は三人とも可愛かったな。
タイトルの3月のライオン
かっこいいと思って、調べてみたら、イギリスの諺。
3月はライオンのようにやってきて子羊のように去る
から来ているとのこと。
映画のタイトルには前編は「ライオンのようにくる」
の部分だけが英語で書かれ、後編には「~子羊のように
去る」まで加えられているらしい。主人公が自分の道を
平穏に進んでいかれそうな暗示(願い?)が感じられて
なかなかいいなあと思いました。
それにしても、将棋のセカイって!
名人になった藤井くんのニュースを思わず追って
しまいました。
勢いづいてもう1本、オンデマンドで観たフランス映画。
『最強のふたり』で話題になった俳優が主人公。
コメディという位置づけだが、決して笑えない
移民問題を扱ったものでした。相手役の女優さんは
ゲンズブールの娘さん。
タイトルのサンバは主人公の名前。ダンスがすごく得意
というわけではなく‥フランスで料理人として地道に
働いていたのに、ビザ更新で問題発生、施設送りから
最後には強制送還になる寸前で、偶然からの奇跡!の
ようなことが起こり、ラストはシェフとして働く姿で
終わります。。ハッピーエンドのようだけど、IDって
なんなんだろう?と気持ちはぐるぐるしたままでした。
もちろん、法律をはじめ、遵守しなければいけないこと
たくさんあって、それが大切だってわかるけど、その
紙1枚が、仕事や家や名前さえも奪ってしまうことも
あるわけで‥思えば思うほどぐるぐるします。。。
5月は、3回目のビバラも楽しんだし、高速バスに乗って
『舟越家の人々』@市原湖畔美術館にも行ったし。
数年ぶりに@けやき広場のビールまつりにも行きました。
5月17日発売のスピッツnewアルバム『ひみつスタジオ』!
スピッツまつりが私の中でずっと続いています(笑)。
6月9日金曜日は読み聞かせ当番で、1年生のクラスに
行きました。もうすぐ2年生になる1年生のクラスへは
今年の3月に行きましたが、入学してまだ2か月の1年生に
会うのは3年ぶりでした。
1冊目は『ちいさなヒッポ』
3年前に読んだときに「グァオ」の発音が一番難しかったと
書いてましたが、今回は、最後のページにあるヒッポの
最後の言葉「グァオ! おかあさん!」が難しいなと
感じていました。
読み聞かせのセオリーというか、読み方として、
本の終りはゆっくりと静かに読んで終わる‥というのが
あると思っているのですが、そういうふうに読むと
このヒッポの言葉は生きてこないなーと思って‥。
試しに、リモートワークでずっと家に居る娘に訊いて
みたところ、そこは元気よく「おかあさん」の「か」に
アクセントを置けばよいのでは、と実演してくれて、
なるほどそれもいいかもね、と、参考にさせて貰いました。
2冊目は『およぐ』
この季節、よく読んでいる方が居ましたが、私は初めて
読みました。ちょうどプールの授業が始まったところ
なので、タイムリーな選書でした。
もう泳げる子も、まだまだこれからも子も、たくさん
プールに入れる夏になればよいなと思いました。
本日は4年生のクラスでの読み聞かせ当番でした。
最初に読んだのはこちら
前にも読んだことがあるような気がしていましたが、
ペアで入った方が読んでくれたのを聴いていただけのようで
自分で読むのは初めてだったみたいです。
5月にこの絵本が選ばれた理由の一つは、「しょうぶ」が
お話のキーになっているからでしょう。
おかしなことには しょうぶが はえたところにくると、
「だめだ、かたなが はえてて おっかねえ」
と、まわりみちしていく。
しょうぶの葉っぱは細く先が尖っているので、それが日本刀の
ように見えるのですね。
運ばれる途中に、おにばばの苦手に気づいたよくばりのおとこは、
しょうぶの茂った中に隠れることで一命を取り留めます‥。
このお話知ってる?と4年生に問いかけたところ、三分の一
くらいは頷いていて、それがちょっと意外に感じました。
それにしても、赤羽末吉さんの絵は本当に素晴らしいです。
もう1冊はこの絵本 絵も文も堀内誠一さん
こちらは知っている、読んだことがある、という子は
ひとりもいませんでした。1974年10月1日発行の「かがくのとも」
で、1981年に単行本として出版された絵本ですが、私自身も
家で、娘に読んだこと、ありませんでした。
マーカー(と思われる)で描かれた絵はわかりやすく、
骨の役割や、骨が組み合わさって「骨格」が作られ、脊椎動物は
全体の形は違っていても、骨格は似ていることを、こうもりを
例に挙げて説明してくれています。大人が読んでもふむふむ
そうか‥となりますね~。
もっと続きがあればいいのに、と思いながら読みました。
こういう絵本をきっかけに、のちのち興味がわいてくれたら
いいなあと思いました。
図書館で見つけて、3月に読んだ『約束された移動』
『砂漠』とともに借りてきていた、伊藤比呂美作
『たそがれてゆく子さん』
婦人公論に連載していたらしい。
伊藤本は未読のものが見つかるたびに読んできたので、
作者の人生を、よく知っているような気になっていて‥
どんな人と結婚して、ポーランドに住んでいた
こともあって、いつの間にか離婚していて、今度は
年の離れたアメリカ人と結婚して(入籍はなし)、
その人の子どもも産んで、熊本には年老いた両親が居て、
介護でたびたび日本に帰ってきてたけど、その両親も
亡くなって‥そしてこのたび(この本で)、アメリカ人の
夫も年老いて、ついに死んでしまったことを、彼女の
文章によって知ることになった。
読み進めていくうちに、そうそうこうだった、こういうふうに
この人はすべてを語り尽くしていくのだった‥と思っていたら、
次女のサラ子のことだけは、どうしても書くことができなかった
と知り、ものすごく驚いた。
伊藤さんは文中でこんなふうに振り返っている。
いつだってサラ子は、人前に立つと表情がなくなった。
棒みたいに突っ立っているばかりだった。それを引き取りに、
何度も何度も、小学校や中学校や(高校のときはマシだった)
大学に行ったもんだ。ああ、苦労した。苦労した。
貝がむき身で太平洋の荒波をわたるような、ジェットコースター
でシートベルトなしに振り回されるような、そんな苦労だった。
(中略)
サラ子については、あたしはそれを書けなかった。それほど
悩み抜いていた。あたしがそうなんだから、本人はどれだけ
苦しんだろう。
わかっている。こんなところに連れてきて振り回した親のせいだ。
このあとは、三女トメの結婚式で、立派に人前で挨拶をした
サラ子と、それを見て泣いた伊藤さんの描写が続き、読みながら
私も一緒に泣きました。
渡米を決断した理由のひとつに、コヨーテを見てみたかった
とあり‥。
大きな犬と共に、果てしなく広いカリフォルニアの大地を
毎日歩いている伊藤さんを思い浮かべることができ(そこでは
遠吠えのコヨーテの声も聞こえて‥)この本に出会えて、
よかったと思うのでした。
『あのこは貴族』
映画化作品を@WOWOWで観て、原作は読んでなかったのですが、
娘のiBOOKとシェアできることがわかり、電車の中で、と自分に
限定して読んでみました。
映画は原作に基づいてとても丁寧に作られていたし、キャストも
本の雰囲気にぴったりだったとわかりました。
都内に実家があり、閉じられた環境で守られながら育ってきた人が
「貴族」だとして‥地方からの「上京組」は何をしても太刀打ち
できないという構図とともに、女性の敵は女性であり、敵対する
ように仕向けられているので、賢い女はそれに乗せられては
ならない‥がさらりと語られていてよかったです。
4月には楽しみにしていた春樹氏の新刊が届きました。
『街とその不確かな壁』
ここ数年はラジオ番組を続けているし、その流れで企画した
ライヴコンサートの進行役で顔出しもしているし、
もしかしてもう小説は書いていないのでは???とひとり
思ってました。が、こうしてきちんと仕事をしていたのですね。
春樹作品を読んできた人なら、「街」と「壁」と聞けば
『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』の
「世界の終り」で語られてきた街を思い浮かべるはずで、さらには、
その元になったかつて文藝誌に掲載された『街と、その不確かな壁』
を思い出していたはず。(もちろん私もそうです)
何が同じで、何が違うのか‥謎を解くような、間違い探しの絵を
見比べるような気持ちもどこかにありつつ、読み進めました。
(今までは新刊が出ると、早くその物語が知りたくて、先へ先へ
と急いだものでしたが、今回は3週間くらいかかりました)
読後最初の感想は、とても長い話だった、です。
主人公は高校生だったのに、いつのまにか中年と呼ばれる年齢に
なっていたので、その人の半生を駆け足で見たような気持ちに
なったかと思えば、「壁」の内側の「街」に居たときは、日々同じ
ことが繰り返されるばかりで、人も季節もどこへ向かって進んで
いるのかわからず‥。私は自分自身の時間をも、いつの間にか
含めて読んでいたので(20歳の頃から春樹作品を読んできた
その思い出)、その結果「長い話」と感じたわけです、きっと。
街、壁、影、深い穴(時には枯れた井戸)10代で出会った女の子、
図書館や図書館で働く人‥。
春樹作品におなじみのモチーフが続々と現れ、それは何かの
メタファというより、作者のココロの奥底にいつでも「ある」
もので、作者は、『街とその~』の何人かの登場人物のように、
「そこ」と「ここ」を無意識のうちに行ったりきたりしているの
ではないかと思ったりします。
そして、↓に記したような美しい文章も、そんな無意識下から
うまれてくるのではないかな。
そこに一人で立っていると、私はいつも悲しい気持ちになった。
それはずいぶん昔に味わった覚えのある、深い悲しみだった。
私はその悲しみのことをとてもよく覚えていた。それは言葉では
説明しようのない、また時とともに消え去ることもない種類の
深い悲しみだ。目に見えない傷を、目に見えない場所にそっと
残していく悲しみだ。目に見えないものを、いったいどのように
扱えばいいのだろう?
私は顔を上げ、川の流れの音が聞こえないものかと、もう一度
注意深く耳を澄ませた。しかしどんな音も聞こえなかった。風
さえ吹いていない。雲は空のひとつの場所にじっといつまでも
留まっていた。私は静かに目を閉じ、そして温かい涙が溢れ、
流れるのを待った。しかしその目に見えない悲しみは私に、
涙さえ与えてはくれなかった。
また近いうちに二度目を読み始めると思います。
今年度の小学校での活動(絵本の読み聞かせ)が19日より
始まりました。
子どもたちは床に座って、読み手は椅子で‥コロナ禍以前の
形態にやっと戻ることができました。(マスクは任意)
5年生へ「届ける絵本」は『あかてぬぐいのおくさんと7人の
なかま』
5年生から、家庭科が始まりお裁縫箱を使い始めるので、
この絵本が好まれるというか、選ばれることが多いようです。
私も2017年5月に5年生の教室で読んでいました。
韓国の、むかしの御針仕事の様子がとても趣があり、
おくさんとそのなかまたちの衣装もとても素敵です。
もう1冊は、この季節にぴったりな、というか、5月に読む
ことができてとてもうれしい『くうき』
2019年に6年生と3年生 のクラスで読んでいました。
詩人のまどみちおさん知ってる?と、読む前に5年生に
問いかけたところ、ほとんどの子が大きく頷いていて‥
まどさんの知名度を再確認。
(私自身は小学生の頃、きっとまどさんのお名前とか
知らなかったのでは‥?と思いました)
余談ですが。担任の先生が居ないのに、机を後ろに下げて
準備万端だったので、「えらいね~みんなだけでやったの?」と
廊下近くに居た子に聞いたところ、「先生はいつも保育園に
自分の子どもを送ってから来るからちょっと遅れるの」とのこと。
ふふふ。そうなんだー。
なんかそういうのっていいな、そういうのもこれからは
アリだよね、と思いました。