村上春樹作『女のいない男たち』の中の「ドライブ・マイ・
カー」が、主演西島秀俊、監督濱口竜介で、映画化されると
知った時から、公開をずっと楽しみに待っていました。
原作は、短編なので、それをどうやって「映画」に
していったのか、しかも179分!という長さに。が、
私の一番の関心事でした。
原作では、主人公家福の妻はすでに亡くなっている
前提で話が進むのですが、映画序盤(というか始めの
1時間くらいまで?)まで、妻は生きていて、音という
名前で登場します。
音は美しく魅力的な女性で、彼女は短編集の中の
「シエラザード」の中に出てくる女性が語っていた
不思議な話を、自らの「創作」として話す場面が
あるのですが、それが、映画後半になって、とても
重要なファクターになってきます。
(高槻役の岡田将生の演技に注目です)
すこし脇道にそれますが、なぜ彼女の名前は「音」
なのだろう?というのが、観おわった後の家族共通の
クエスチョンでした。朝ドラ『エール』の、主人公の
妻の名前も「音」で、そっちの印象が強かったので。
ですが、しんとした感動が静まったあとの深夜だったか
翌朝だったか、彼女の名前を「音」にした必然性は
あったのだ!ということに、私は気が付いたように、
今は思っています。それが正解がどうかはわかりませんが、
広島の演劇祭の感動的なラストシーンの、対比として、
やはり家福の妻は「音」であるべきだったのです、きっと。
それと、家福がかかわっているチェーホフの舞台
『ワーニャ伯父さん』が、とても重要なポジションを
占めていて、クルマの中で流れるセリフを読む妻の声や、
舞台のための本読みや、稽古のシーンが大変効果的でした。
「わるいのは君じゃない、と肩を抱いて今すぐ、そう言って
あげたいけれど、僕にはそれを言うことができない。」
細部は違っているかもしれませんが、家福はクルマの中で
ドライバーのみさきに言います。
その言葉を聞いた時、ああこれは村上春樹の小説が元に
なった映画で、シナリオを書いた監督ご自身も、かなり
春樹氏の小説を読みこんでいるなあと思いました。
自分自身を(無意識のうちに)守るために、あるいは
傷つくことを避けるために、見てみぬふりを続けてきた
主人公の独白と涙は、私の中に静かな波紋となって
広がっていき、やがてそれは何事もなかったかのように
充足という、静寂に変わっていきました。
ドライブ・マイ・カー
小説よりも映画の方が、ずっとふさわしいタイトルかも。
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この映画が気になって、まずは原作を、と先日『女のいない男たち』を読みました。
久しぶりに村上春樹を読んだのですが、・・・なんでしょうね。
彼の文体に触れる懐かしさというか、安心感というか。
こういう感覚って、他の作家には感じないなあと不思議に思いながら読みました。
で、私もこの短編を映画に?と驚いたのですが・・・
なるほど、とてもおもしろそうですね
ぜひ見なくては!
こんにちは。
こちらは雨で、ぐっと気温が下がって
寒いくらいです。
短編集、お読みになったのですね。
「安心感」‥その感覚わかる気がします。
いろんな本読んで、たまに春樹本読むと「帰ってきた」
って感じがしますよね?
ところで、映画ですが、本当にお薦めです。
監督&脚本をお書きになった濱口さんという方が
ほんとうに凄いと思いました。
以前にやはり濱口作品の『スパイの妻』という映画を
観た時もその面白さにへえーとなったので、相当
期待をしていたのです。
脚本というか、映画版のストーリーとてもよいです。
小説よりも映画の中の家福やみさきがとても好きに
なりました。(ま、家福は大好きな西島さんですし笑)