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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

2023年3月に観た映画

2023-04-26 17:10:05 | 好きなもの・映画やDVD

3月はWOWOWで1本、映画館で1本 観ました。


2022年7月日本公開。。映画館で予告を観たときには
それほど観たいとは思わなかったのですが、某ロックバンドの
某ボーカリストが「よかった」と書いてたので、ならば
ぜひ観なくては‥と思いまして(笑)。
(ちょうどWOWOWでやってました)

「エルビスプレスリー」という名前もヒット曲ももちろん
耳にしたことはありますが、「ほんとう」はどんな人なのかを
思ってみたことはありませんでした。
興味深かったのは前半で描かれた青年期というか、ブラック
ミュージックがルーツにあったのだというところと、のちの
マネージャー(トム・ハンクス演じる)パーカー氏。
(彼の部屋が出てくる場面が好きでした)

ミュージシャンとかバンドとかに纏わる映画を観ると、
音楽性や才能を、いかに周りから(家族も含め)搾取されずに
進めるか、理解者に恵まれるか、がほんとうに大切なこと
で、なおかつ難しいことだとわかります。






公開をとても楽しみに待っていて‥久しぶりにIMAXシアター
で観ました。

ボウイを描いた映画は『スターダスト』2021年10月公開と、
ジギー・スターダスト』2022年1月公開 がありましたが、
そのどちらとも、今回の『ムーンエイジ・デイドリーム』は
違っていて‥残された本人公認の映像と写真およびインタビュー
での構成で、ナレーションとか案内役みたいな人はどこにも
登場しません。ライヴだけを見せてくれるわけでも、半生を
語るわけでもなく、過去(今となってはすべて過去ですが)と
(生きていた時点での)今を、行きつ戻りつしながら
進んでいきます。

ボウイの話しの内容はとても哲学的で難しいけど、常に
変化を求め、自分自身に正直に向き合おうとしている
姿勢は伝わってくるし、何より、どこをとってもいつでも
カッコいいのです。(個人的には30代に入ったころ?
がいちばんでした、ドキドキ)

ロックミュージシャンというより、彼は「デヴィッド・ボウイ
でした。それ以外の何ものでもなく。




3月は(私自身)三回目となる「ギタージャンボリー」
@両国国技館へ。
お客さんの声出し解禁とアルコールもOKになったのは
嬉しいことでしたが(出演者も声出しOKは喜んでいたし)、
もうこれはヤジのレベルなんじゃない?という酔っ払いも
見受けられ、がっかりさせられる場面もありました。


春分の日には、人生お初!のマッサージを、
「ほぐシトロン」で。そして国立散歩も。

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2023年3月 読書の記録(後半)

2023-04-14 17:01:52 | 好きなもの・音楽や本

なぜこの本、というか詩集のことを知るようになったのかは
うろ覚えですが、2月の始めに悲しいお別れがあって‥
さよならは仮のことば という文字がPCの画面から突然
目に入ってきたのです。吸い寄せられて、すぐに調べてみたら
谷川俊太郎さんの、新潮文庫オリジナル詩集のタイトルでした。

そうか、「さよなら」は永遠の言葉ではなく、あくまでも
「仮」なのだから、さようならの状況をわたしたちはこんなに
つらく(深く)受け止めなくてもいいんだよ、仮なんだもの。


さよならは仮のことば

夕焼けと別れて
ぼくは夜に出会う
でも茜色の雲はどこへも行かない
闇にかくれているだけだ

星たちにぼくは今晩はと言わない
彼らはいつも昼の光にひそんでいるから
赤んぼうだったぼくは
ぼくの年輪の中心にいまもいる

誰もいなくならないとぼくは思う
死んだ祖父はぼくの肩に生えたつばさ
時間を超えたどこかへぼくを連れて行く
枯れた花々が残した種子といっしょに

さよならは仮のことば
思い出よりも記憶よりも深く
ぼくらをむすんでいるものがある
それを探さなくてもいい信じさえすれば








図書館にあった伊坂作品。タイトルだけみるとそんなに
面白いの?と思っていたが、レビューではつねに上位に来ている
ので読んでみようと‥。

東北大学(と思われる)の学生仲間5人のはなし。もちろん場所は仙台。
春、夏、秋、冬、ときて、春がまためぐってくるので、1年間の話
ではなく、彼らの大学時代4年間の出来事だとわかる。(というか
途中で気が付いた)
その4年の中で、「プレジデントマン」と空き巣強盗という大きな
「社会的」な事件があり、彼ら5人も意図せずそれに「個人的」な
かかわりを持ってしまう。

殺し屋が主人公になるような伊坂作品を続けて読んでいたせいで、
語られる事件は解決するのかしないのか、5人のうちの誰かが
命を落とすようなことがさらに起こるのかーと気になりつつ、
でもどっちもなかなか起こらないので、これはもう、彼らの
青春の思い出話を読んでいるだけ、という冷めた気持ちで、
この本は面白い?と自問するときも、正直あった。
けれど読み終わってみれば、彼ら5人から去りがたい気持ちが
確かにあって、それは一人ひとりの4年という時間を知ることで
親近感を覚えたせいと、かつて大学生だった自分と、その周りに
流れていたものを思い出してしまったからかもしれない。

タイトルの『砂漠』は、砂漠にだって雪が降るかもしれない
じゃない、という理屈屋の西嶋のことば。

映画だけ観て、未読の『ゴールデンスランバー』も、こんな
元大学生が事件に巻き込まれていったのかなーと思ったら、
読んで確かめてみたくなった。



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2023年3月 読書の記録(前半)

2023-04-13 17:08:32 | 好きなもの・音楽や本

3月の読書は2月20日過ぎから読み始めた『輪舞曲』の
続きから。

大正から昭和初期に活躍した新劇の女優、伊澤蘭奢の半生を、
彼女に影響を与えたり、与えられたりした4人の男が
それぞれに語り合う形式で話は進んでいく。
歌舞伎のように、男が女のなりをして演じていく芝居から
女が女を演じるようになった新しい芝居=新劇の、黎明期。
その時代の話し言葉や装いや空気みたいなものまで感じられる
ところが、まかてさんの小説を読む楽しみでもあるが、
いまひとつ、自分の中に「ノリ」がなかったのは、蘭奢自身が
語る場面が少なかったからなのか。。。

タイトルの『輪舞曲』とは何を意味しているのかなと
途中から思っていて‥彼女を取り巻く4人の男が彼女の周りで
手を取り合って踊っている様をなんとなく想像していたが、
物語の終盤、「男」のうちのひとり徳川夢声が、こう語る。

まるで舞台のようだ。次々と袖から現れて、銘々勝手に蘭奢を語る。
皆の言葉が、伊澤蘭奢という女優を彫琢していく。(中略)
やがていくつもの蘭奢が、繁が輪になって踊り出す。幾重もの輪が
夢声を囲み音になる。

踊っているのはいくつもの顔を持った蘭奢ということですね‥。






定期的に新刊をチェックしたり、すこし時間があくと、
久しぶりに読んでみようかなと思わされる小川洋子作品。
とても濃密な関係を描いているのにひんやりしていて、
自ら孤独を求めているわけではないのに、ひとりになって
しまう人ばかりが多く出てくる‥いや、友達や同僚や恋人が
居ても、結局誰もが「ひとり」なのだと感じさせられて
しまうのかー。

表題作「約束された移動」
ホテルのルーム係をしている主人公。VIPルームの本棚から
本を持ち帰る映画スター。

ただ客室係にのみ記された秘密を、私は守り続けている。
彼は転落したのではない。象や無垢な少女や船長や、一家の
名もない母に導かれ、行く着くべき場所に向かって、
今も移動を続けているのだ。

「ダイアナとバーバラ」
ダイアナ妃が大好きな、病院で案内係を務める「バーバラ」
孫娘とショッピングモールへ行くハレの日のために、ダイアナが
着たのとそっくりな衣装を作る。

「まるでお姫さまみたいだ」少年は言った。
「わかります、わかりますよ」と、孫娘は答えた。

「元迷子係の黒目」
ママの大叔父さんのお嫁さんの弟が養子に行った先の末の妹
右目と左目の焦点が合わないゆえに、迷子を素早く探すことが
できる元デパートの迷子係。路地を抜けていったところに裏庭が
あってそこにいつも居る‥は「ねじまき鳥」を思い出した。

大勢の子どもを帰るべき場所に返してきたのに、自分の子ども
だけは戻ってこなかった元迷子係は、水槽で泳ぐ熱帯魚のように、
今、ちいさな四角に守られている。

「寄生」
恋人にプロポーズしにいく途中で、見知らぬおばさんに、
文字通り、右半身に巻き付かれてしまった「僕」。
春樹氏の「貧乏な叔母さんのはなし」を思いださせるが、
違っているのはこちらのおばさんは、実在していて他人にも
ちゃんと見えているところ。

僕の説明を最後まで聞かずに彼女は言った。
「無事に果たせた?」
右腕に手をやり、そこにある空洞をさするようにしながら、
僕はうなずいた。
「それはよかった」彼女は微笑んだ。

「黒子羊はどこへ」
異国から流れ着いた羊から生まれた黒い羊を育てるうちに、
いつしか「子羊の園」の園長先生と呼ばれるようになった女。
かつての幼子Jの歌声をクラブの勝手口のごみ箱の上で聴き、
誰にも知られずひっそりと死んでいった。最後の場面は
その葬列‥

死者に相応しい場所を目指してどこまでも歩いてゆく。

「巨人の接待」
「巨人」と呼ばれているけれど、実はちっとも大きくない
異国の作家。彼が来日する際通訳を務めることになった「私」。
鳥をこよなく愛するようになった作家の過去がひどく悲しい。
ラストの場面は二人だけで行った「野鳥の森公園」
誰も乗らなくなったメリーゴーランドを私は動かす。
カートはすべて絶滅した鳥たち‥たとえば
ワライフクロウ(1914年)
カロライナインコ(1918年)
ドードー(1681年)

これに乗っている限り、どこへも移動しなくていいのだという
安堵に包まれるように、巨人はうっとりと目を細める。私には
聞こえない小さな声で、ドードーに話し掛ける。




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