my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

タイトルにこめる気持ち

2012-04-25 17:48:20 | 好きな本

一昨日までは、主人公いわく「三流音楽高校」の男子、チェロ専攻の子が、
恋や音楽や自分自身についての悩み多き日々を描いた本を読んでいました。

   

Ⅰ は、なかなか感情移入ができず、前半部分は時間がかかってしまいましたが
オーケストラの練習が始まる頃からはおもしろくなってきてー。

Ⅱ は、その続きだし、主人公の恋の行方も気になって、どんどん読み進み、
すぐにでも、Ⅲに行きたいところでしたが、Ⅲは、rがまだ途中までしか読んでいないため
しばらくはお預けだなと思い、図書館からちょうど順番がまわってきた本を
読み始めました。


たしか「ほぼ日」でこの本のことを知って、図書館へ予約をしたのだと思いますが。

ニュースキャスターも務める松原耕二さんの
書き下ろし小説です。

音楽を学ぶ高校生の話から、一転して、NGOの最前線の地で働く男女の
物語です。

コソボや、エルサレムや、キンシャサといった、その時々の緊張状態が続く
場所での、緊迫した場面に胸が締め付けられるようでした。

「ここを出ろ、そして生きろ」

この印象的なタイトルは、だれが、だれにむかって語った(放った)
言葉なのだろうと、ずっと気になりながら読みました。
最後の最後になって、ああそういうことか、とわかるようになっています。


前出の「船に乗れ!」

じゃあ、この言葉は何を意味をしているのでしょう?
あるいは、だれかから、誰かへの強い働きかけなのでしょうか?

残念ながら、Ⅱまででは、ほんとうのところは何もわかりません。
主人公たちは、高校2年の学年を終え、Ⅲで、高校を卒業するところまで
描かれているようなんです。

作者の藤谷治さんは、私とほぼ同じ年で、なんと同じ学部の卒業生です。
(学科は違いますが‥)
その人が、自分の高校時代の苦い思い出にやっと向き合えるようになったと
書いてあれば、描かれているその時代は、私の高校時代と同じ「時」でもあるわけで‥
置かれていた境遇はまるで違いますが、そうかそういう時代だったよね、と
共感できることも、また、ありました。

船の乗れ! は、娘から薦めれた本なので、彼女がⅢを読み終わるまでは
私は読むことができません。


あー早く、読んでくれ・笑


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ジャクソン・ポロック展@国立近代美術館

2012-04-22 19:10:20 | 好きなもの・美術館や展覧会

rの受験が終わったら行きたいね、と話していたポロック展
やっと行くことができました。


ポロックの名前と、あの有名な、ドローイング作品とその製作方法は
(たぶん)大学卒業した頃から、なんとなく知っていたのですが、
いつ頃の人なのかとか、その他の作品とか、詳しいことは何も知らず
またそれほどの関心も持っていませんでした。
けれど、この展がポロックの生誕100周年記念であることなどを
知っていくうちに、なんだかとても観ておきたいという気持ちになってきたのです。


床に広げたキャンバスの上に、流動性の塗料を流しこみ、画面全体を覆って
しまうオールオーヴァーという技法で描かれた絵は、あまりにも有名ですが、
ポロックの、44年という生涯のなかで、あのような製作方法がとられていたのは、
わずか数年だったということに、とても驚きました。
(リンク先の展覧会案内の「開催概要」と「各章解説」に、そこへ至るまでに
どんな作品を描き、ピークといわれている1950年を境に、そこから彼が
どこへ行こうとしていたのかが、簡潔に記されています)

そしてさっき家にもどってから図録の最初の解説を読んでいて、そのピーク時の
2年間だけ、アルコールを断つことに成功していた期間だと知り、ますます
あれらの作品が、フツーの芸術作品の域を越えたところに存在しているような
気が、今しています。

1946年の作品に〈星座〉というタイトルの絵があり、それは絵具を流しこむ
技法ではなく、白い地を生かしつつ、黒の線と、ピンクやグリーンの色彩が
印象的なのですが、どうして、この絵の題が星座なのだろう?と、見ながら
考えました。夜空に浮かぶ星が形作るものにはまるで結びつかないなあと。

図録の文章は次のようになっていました。

〈星座〉は田舎生活の中で、ポロックが経験していた自然現象に対する
直感的反応を表している。彼は自分が観察したことを描写するのではなく
形のない感覚に対して、それらに相当するような視覚的対応物を
作りだすべく、抽象的な絵画独自の語彙を発展させた。



この文章のあとに、ポーリング(流し込み)技法の大作を思い返したり、
あらためて図録で確認すると、ポロックという人が、キャンバスに映していたのは
自分自身だったのだなあということが、よくわかりました。

絵だけでなく、映像も、写真も、文章も、なにかを形にし表すということは
自分自身を表すことでもあるわけですが、それは、必ず「=」なわけでもなく‥。
でも、それでも、身を削るようにとか、内面のすべてを曝け出してとか、
が比喩ではなく、ほんとうにその通りだという人も中にはいるのだろうなあと
思ったりしています。


今回の目玉作品は、「インディアンレッドの地の壁画」 (1950年 テヘラン美術館蔵)
なのですが、ここの場所へ来る前に、壁のところどころにポロックの言葉が記されていて、
その中に、「はじまりもおわりもない」というのが、たしかあったと思うのです。
(もしかしたら途中で観た映像の中の言葉の解説にあったのかもしれず、
きっとそれは、ポーリングや、筆や棒の先に付けた塗料を点々と画面にたらすドリッピングの
ことを指していて、どこの線が始まりだとか、ここが最後の点だとかはなくて、作品としての
永劫性みたいなことを言っているのかなと思うのですが。)

その言葉を片隅に抱えたまま、この絵の前に立ったとき、少し前から自分が考えていた
「はじまりとおわり」ということが思い出され(偶然にも昨日、こちらのログに書いていました)
すこしの間見つめているうちに、静かに、確かなことが、じわっと伝わってきたのでした。

それは、画面の中に閉じ込められている時間というものを想ったときで、その時
その時の、気持ちの流れがこのリズミカルな線であるならば、その線が折り重なり
画面を埋め尽くしているその事実だけで、いいのではないかということでした。
線や点にはじまりと、おわりがないというのであれば、ひとの生にも、始まりと終わりは
なく、画面の中の時間を精一杯生きるということだけでよいのではないかということです。



ポロック展は5月6日まで。
ポロックのアトリエを再現した展示もあり、その中に入ることもできますよ。
(ここだけ写真撮影可なので、ロッカーの中に手荷物を入れる際、カメラは
持ってきた方がよいと思います‥全部預けてしまったので、私たちは
写真撮れませんでした~)





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4月も半ば過ぎ

2012-04-18 21:23:06 | 日々のこと

4月になった、桜が咲いた、と思っていたら、
もう、中旬も過ぎ、巷ではGwの予定が話題にのぼるころになって
しまいました。

ご報告が(思いっきり)遅くなりましたが、3月15日に中学校を卒業した
rも、4月9日の入学式を迎え、無事高校生になりました。



最寄駅まで、自転車で行き、そこから15分くらい電車に乗って、
その駅からは15分歩いて(これがけっこうきついらしい‥)
通っています。

まだ部活が始まっていないので、夕方17時半くらいに帰って
くるのですが、疲れた疲れたと言いながらも、学校が楽しかったことが
その笑顔と話ぶりから伝わってきて‥こちらも自然に笑みが
こぼれる、しあわせなじかんです。


*このブログの更新がないときも、こちらでは、毎日欠かさず何かしら
 書いています。よかったら見てみてください。
 (Tシャツの話よりも、日々のひとりごとばかりになっていますが‥)

コメント (4)
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