my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

積み重ねられた薪

2006-09-27 14:42:34 | 想うこと

 図書館で見つけたこの写真集、もう3週間くらいずっと手元にあります。

 画家のジョージア・オキーフが、愛してやまなかった「我が家」。
 ニューメキシコにある、日干しレンガでできたその家の内部と、それを取り巻く自然と、
そこに暮らす人の写真が収められています。

オキーフの家

 『オキーフの家』  
 マイロン・ウッド 写真
クリスティン・テイラー・パッテン 文
    江国香織 訳


 モノクロで撮られた写真は、ほんとうにどれも素晴らしいものばかり。

 「ミス・オキーフのパレット」
 「庭師の エスティベン・スアソ」 ・・・・
 ミス・オキーフがこの家を買う決め手となった、黒い扉。と、説明がついている「幻想的に降る雪」というタイトルの写真‥などなど。

 
 本の冒頭で、写真家のマイロン・ウッドは、こう書いています。

 ここにあるのは、ジョージア・オキーフの家の写真です。30年以上にわたる彼女の存在のしるしが、随所に刻まれています。この住まいにおける彼女の暮らしぶりは“自然体”を重視したもので、しかも非常に一貫しているため、彼女が作品を通して表現しようとしたことを、おそらく作品以上にくっきりと、純粋なかたちで、住まいそのものが表しています。彼女の人生同様、彼女の住まいにも、虚飾は一切ありません。‥(後略)


 
意図せずとも、作品中に、自分自身が投影されていくように。
 あるいは、それまでどう生きてきたかが、その人の顔に陰影や優しさをもたらす、しわとなって現われてくるように。

 人が愛し、人が慈しんできた道具や、物や、衣服や、器や、暮らしの場は、その人以外の物にはなりえず、その人そのものを意味するようになっていきます。

 人と、物との関係の、しあわせな最終型。

 いつの日か、私もそんなふうな関係を築ける人でありたいという思いが、胸を満たします。


 

 オキーフの描く赤い花からは、燃え上がる炎のような情熱が。(それは描くことに対しての)
 オキーフの描く白い花から、熾火のような静かで強固な情熱(それは生そのものへの確かな思い)が、私に伝わり、私を励まし、遠くへと導いてくれるような気さえします。

 情熱を持って生きることの大切さ。



 それでは。
 生きることを、生きたいという気持ちを、生きていく情熱を、
 病魔に阻まれてしまったらどうしたらいいのでしょう。
 がんばって生きていたって、たどり着く先は、
 同じひとつの場所なのではないかと思った時、
 生きていくことに何か意味があるのでしょうか。

 親しかった人が逝ってしまった日、「オキーフの家」の中の
 1枚の写真を思い出しました。

 庭師のエスティベンが暖炉に積んだ薪の写真です。
 火をつけ、火がまわっていけば、その薪は大きく崩れ、
 最後には燃え尽きてしまうだけなのに、
 それはそれは美しく積まれているのです。
 「それ自体が美を備えている」
 そう写真家は書いてます。

 効率よく燃えていくために、もしかしたら
 その積み方は必然なのかもしれませんが。

 そうでなかったとしても、その庭師は
 美しく薪を積んでいったにちがいないのです。

 自分のために、ミス・オキーフのために。
 そしてたぶん、薪のために、暖炉のために。
 その空間のために。

 生きていくということは、そういうことなのだと思いました。
 
 いつかは燃え尽きてしまう薪を
 美しく積み重ねること。








 

 

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ウィンクルさんとかもめ

2006-09-25 15:45:46 | ひらきよみ(読み聞かせ)

 先週の金曜日、2学期最初の「読み聞かせ」があり、3年生のクラスに行ってきました。読んだのは、この本です。

   ウィンクルさんとかもめ
 『ウィンクルさんとかもめ』
 エリザベス・ローズ 文 ジェラルド・ローズ 絵
 ふしみみさを 訳

 
 私がこの絵本を知ったのは今年の6月、海五郎さんのblog「わくわく本」の この記事からでした。図書館へリクエストを出そうかどうか迷っているうちに、今度は、フラニーさんのblog「みどりの船」でも、取り上げられていて‥。この間図書館へ行った時、「新刊」の棚に並んでいるのを、見つけることができました。(よかったです)

 表紙をめくったところの見返しは、薄いブルー地に、かもめとさかなの線画が描かれていて、扉部分の絵には、色がついています。本文が始まる1ページ目と2ページ目は、色なし。めくって表われる3,4ページはカラーです。カラー、モノクロ、カラー、モノクロ‥その繰り返しで、色がつけられているところが、一番最初に目を惹かれたところでした。

 邦訳されて出版されたのは今年の6月なので、とても新しい絵本ですが、ロンドンで出版されたのは、1960年。とてもとても昔からある絵本なのですね。それを知ってから絵をみたせいか、色あり、色なしの構成が、アンティークのオルゴールを思わせる「おしゃれ」な感じにも、見えてきたりして。(実際、描かれている人たちの服装も「おしゃれ」で、さかなやのジョックは、蝶ネクタイに白いシャツ、縞のエプロンに、帽子をかぶって、魚を売っています!)

 
 自分が読みたくて借りてきた絵本なので、始めは、クラスで読むつもりはありませんでした。
 でも、声に出して読んでみたところ、ひとりで読んでいるだけではもったいない「よさ」を感じ始め、それならば、予定に入っている3年生のクラスで読んでみようと思ったのでした。

 私は、自分がこういう種類の「おはなし」を読むのが一番好きだなあと、いつも読みながら思うのですが。
 すぐれたお話は、その始まり方がとてもしっかりしていて、最初の何行かに(あるいは最初の1ページに)、知っておかなくてはならない情報が、上手にまとめられています。

 この話でも、主人公のウィンクルさんが「おんぼろのボートしか持っていない漁師」であることや、「仲間の漁師からは疎んじられていること」「かもめだけがともだち」であることが、漁師たちの会話によって、うまく伝えれています。

 そんなあるひ、さかなが ぱたりととれなくなりました。

 日常が、「非常事態の毎日」に変わっていく中で、お話は展開していき、もちろん最後は、誰もがほっと胸をなでおろすことができるハッピィーエンドで幕が閉じます。

 ロンドン中から消えた魚は戻ってきて(もちろんそれを見つけたのはウィンクルさん)、おんぼろボートはきれいに塗り直されます。そして疎んじていた漁師仲間たちは‥

 いまでは みんな むねをはって、こういいます。
 「おれは ウィンクルさんと ともだちなんだぞ!」

 
めでたし、めでたしの最終場面は、日曜日の海辺(色つき)で、とてもきれいです。


 3年生の心にはどんなふうに、このおはなしが届いたでしょう。なんで全部のページに色がついてないんだろう?と思った子もいたかもしれませんね。
 お願いだから、動物(かもめ)に優しくしようとか、物を大切に(おんぼろボートでも大事にする)とか、どこからも教訓めいたことを引き出さずに、「よかった、よかった」の気持ちだけを覚えていてくれれば‥と思います。

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やってくる10月

2006-09-22 16:16:59 | 好きな本

 昼間の陽射しはまだまだ強いなあと思っても、夕方になると涼しい風が吹き渡り、空がとても広く感じられるようになりました。雲の形も、様々に変わっていって、それを見ているのも楽しいし‥。これが、秋なんだなあと実感するひとときです。

 いつの年にも増して、10月がやってくるのが、楽しみでなりません。私ってこんなに10月が好きだったっけ?と自問しては、くすくす心の中で笑っています。

 それというのも、この本の中の表題作『十月のみずうみ』を読んだからなのです。
 お見舞いに何を持っていったらいいか、私が悩んでいた時に、 「ただ、絵本を読む」のこうめさんが、コメント欄を通じて、教えてくれた本なのでした。
 

   十月のみずうみ
  『十月のみずうみ』
シンシア・ライラント 文 エレン・ベイァー 絵

 原題は、「THE BLUE HILL MEADOWS」 
 ヴァージニア州のブルーヒルという美しい町に住む、メドー一家の、夏 秋 冬 春の季節それぞれのお話が4話おさめられています。

 「十月のみずうみ」は、お父さんと、次男のウィリーが二人だけで、湖に釣りをしに行くお話です。メドー一家には、お母さんと長男のレイもいますが、二人だけで出かけるのは、一度に一人といくほうが、おたがいのことがよくわかるから という、お父さんの方針なのです。

 まだ夜が開けないうちに、お父さんとウィリーは車に乗って出かけます。

 二人をのせた車が走るあいだに、二人はお母さんがつめてくれたバスケットからビスケットをひっぱりだして、ほおばりました。オレンジジュースは、びんから口のみしました。二人とも、あまりしゃべりませんでしたが、そうしてすわっていることが、ただうれしかったのです。世界じゅうがしいんとしているようで、二人ともしいんとしていたのでした。

 
こんなふうに始まった、お父さんとウィリーの一日は、湖での釣り、世界一おいしいホット・チーズ・サンドイッチを食べさせてくれるレストラン、湖のまんなかの小さな島での昼寝、と続き、最後はお母さんとレイへのおみやげを買って終わりとなります。

 ウィリーが釣った魚をすぐに湖へ返す水音や、水面を撫でる風の匂いがしてきそうで、10月の素晴らしい1日を、あたかも体験したような気持ちにさせてくれるお話でした。


 
 さてさて、私の10月はどんな感じでやってくるのでしょう。湖へのピクニックはないけれど、楽しそうなイベントや展覧会、学校行事が待っています。

東京都現代美術館では、 「大竹伸朗全景」という展覧会が、10月14日から始まります。
 大竹伸朗さんといえば、『ジャリおじさん』 を思い出しますが、全景と銘打っての大回顧展らしいので、とても期待しています。(12月13日まで)

10月15日(日)には、池袋サンシャインシティの展望台で、「谷川俊太郎&和田誠トークショー&サイン会」というのがあるそうです。   
(リンク先は、教育画劇HPです。左側のイベント案内のところに小さく載っています)
 池袋なら近いので、ぜひ行きたいところなのですが、その日は、市のアートギャラリーのワークショップへ申し込んでしまったのです。「はじめての銅版画」というもので、小4~一般対象だったので、家族3人分の参加費を、すでに払ってしまったのでした。

翌週の21日(土)22日(日)は、ギャラリーらふと主催の第4回
「工房からの風」があります。JR総武線、本八幡からシャトルバスが出ている、ニッケコルトンプラザというショッピングセンターの敷地内で開催されます。

同じく21日(土)には、娘の通う小学校での「まつり」があります。昨年はその実行委員だったので、この時期とても忙しく、空を眺めているような余裕はありませんでした。今年はゆっくりできそうと思っていたのですが、そうも言ってられない状況になってきています。読み聞かせの活動をしているグループで、この「まつり」に参加しようということに決まり、その選書の締め切りが来週に迫ってきているのです。
 
 校庭で・マイクなしで・大型絵本は最後の1冊だけにして・持ち時間は1ペア10分

こんな過酷な条件のもとで読む絵本、
何かいいアイデア、ないでしょうか?

全体としては40分くらいで、挨拶、手遊びの後、最初のペア(私もここに入っています)、次のペア、最後のペア(ここは大型絵本の『せんたくかあちゃん』がすでに決っています)という構成です。子どもたちは、校庭に敷いたシートの上に座ってもらって、読み手は椅子に座ります。周りには食べものや、ゲームの屋台が出ています。
 声も通りにくいと思うので、それならせめて、絵がはっきりしていて、見やすい絵本がいいのでは‥と『もったいないばあさん』
 テキストよりも、絵のダイナミックさで、 『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』
 文のおもしろさと、見やすい絵ということで、 『これはのみのぴこ』 などを考えましたが、どんなもんでしょうね。 『ぶたのたね』とかも、いいのかなあ。

 やってくる10月に、ワクワクしてばかりもいられないですね~。



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際立つ音

2006-09-21 15:27:36 | 日々のこと

 昨日、ものすごーく久しぶりに、家のピアノの調律をしていただきました。ピアノの中って、こんなふうになっているんですね~。



 このピアノ。今は娘が弾いていますが、元々は、私のおばあちゃんが、私のために買ってくれたものなんです。遠い、遠いむかし‥私が小学校の低学年の頃だったと思います。
 
 習い始めたのは、幼稚園の年中組の頃だったのですが、ちっとも熱心な生徒ではありませんでした。近所の方の、お知り合いの「音楽院」のようなところで‥通い始めた頃は、送迎専用の運転手さんがいて、家の前まで迎えに来てくれました。(今思うと、なんだかすごいですよね)

 送迎付きで安心だったのと、なんやかやと忙しかったからでしょうね。私の記憶の中では、母は、一度もレッスンに付き添ってはくれませんでした。

 いつ頃からか、送迎車もなくなってしまい、それからは、15分くらいの距離を、バスに乗って通っていました。今のように、小学生が「不審者」という言葉を知らなくてもよい時代だったので、同級生の友達や、その後には妹と‥子供同士で、子どもだけで、バスに乗って。
 ピアノを習っていた頃のことを思い出すとき、練習した曲や、教えてくれた先生や、発表会のことなんかより、行き帰りのことを、いつも一番先に思い出します。

 去年の秋、ピアノなひととき というタイトルで、このblogに、娘がピアノを習い始めたいきさつをすこしと、教えてくださっている先生のことを載せました。
 その中で「自分自身のピアノとの苦い思い出」と書いていますが、それは間違いで、自分自身の「寂しい思い出」が正解です。ピアノを習っていた小学生の自分を思い出すとき、いつも一緒に「なんとなくさびしい」気持ちがついてくるのです。

  ※   ※   ※   ※

 時代は移り‥。娘のrはいいですね~。
 ピアノを教えてくれる先生は、家から自転車で5分のところに住んでいるし。先生と両親は友だちだし。近くても、先生とおしゃべりしたい母は、必ず付き添ってくれるし。おまけに、先生はとても誉め上手。これで、ピアノの腕が上達しなければ、それは自分のレッスンが足りないせいにほかなりません(笑)。

 調律が済んだあとで、すぐにピアノに触ってみました。
 こんなに鍵盤白かったんだあ、と思いながら、ぽろん、ぽろんと鳴らしていると、ひとつひとつの音が、私の指先から「立ち上がって」くるのがわかりました。もっともっと、音を聴いてみたくて、娘のバイエルを取り出して、弾けそうなところ弾いてみたりなんかして‥。

 rには、今練習中の「トルコ行進曲」を、帰宅後すぐに弾いてもらいました。
 
 和室にある仏壇で、私のおばあちゃんも、私の父も、rの演奏を聴いていてくれたと思います。
 音がとても澄んで際立っていたの、わかったかな、おばあちゃん。


 

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図書館のあれこれと作家のアトリエ

2006-09-15 16:15:15 | 好きなもの・音楽や本
 「新」中央図書館がオープンしてから、2ヶ月半がたちました。
 8月中旬頃からは、待ちに待った新システムー「家のPCから、本を予約したり、貸し出し期間の延長ができる」ーも導入され、益々便利になっています。

 ほんとうに、このシステム、夢のよう‥。今までは、図書館のHPで検索して、読みたい本が見つかっても、最寄の館にない場合は、わざわざ予約をするために出かけて行って、最寄の館で受け取れるように「取り寄せ」てもらっていました。それが今では、利用者番号と、パスワードを入れるだけで、すいすい予約ができてしまうし、次に待っている人がいない本の延長も、すいすいです。

 まだ、こういう方法は使ってないけど、最寄の館にある本でも家から予約できるので、すぐに借りに行かれないけど、「キープしておきたい」っていうのも、ありなんじゃないでしょうか。そして、後日、総合カウンターへ行って、「受け取りにきました」と言うだけで、キープ状態の本たちを、貸してもらえるんじゃないかな。(確認のメールを受けた後で、ですが)「私だけの図書館」って感じがして、なんだか嬉しいです。

 が、しかし。

 新たな、思ってもみなかった本との出会いは、ブラブラしている時に、突然やってきたりするもの。
 
 ずっと前に読みたくて、読みたかったことさえ忘れていたような本や、その時はいくら探しても見つからなかった本が、あれ、こんな棚にあったんだあということもあるものです。
 新中央図書館は、床面積だけでも、「旧」の3倍か4倍はある気がします。2つのフロアを使っているので、今までは「隅っこ」にあった芸術関係の本も、ジャンル別に余裕で棚におさまっているし、関連雑誌のバックナンバーもすぐに見つかるようになりました。

 絵本の作家たち (1)

 『絵本の作家たち 1』 

 この本も、ブラブラしていて見つけた本のうちの1冊です。だいぶ前に書店で見て、へえっーと思い、そのままになっていたので、今回借りることができてよかったです。

 別冊「太陽」のシリーズで、今は4まで出ているようです。

 私が借りた1は、2002年の11月に出たものなので、皆さんすでにご存知で、読み込んでいる方もいらっしゃるでしょうね。すごいラインナップですもの。

 長新太  五味太郎  佐々木マキ  荒井良二
 飯野和好 スズキコージ 山本容子  ささめやゆき

 以上8名の作家の、写真あり、ロングインタビューあり、作品の紹介あり、全著作リストあり。と、とても濃い内容なのですが、その中でも仕事場の写真は、見ごたえがありました。

 とても整然としたアトリエ、とても雑然とした作業机。本棚に並んだ全集や、壁に貼られた原画、積み重ねられたCD、きちんと棚に並んでるCD。使っている絵筆や筆記具、机の上のちょっとした小物まで、何度もページを開いては、じっくりと観察してしまいます。その作風は、アトリエの雰囲気と一致してるかなあ、必ずしもそうとは言えないないかなあ、なんて思ったりして。

 だいたい全部を読み終わったところなんですが、 「イメージの森」シリーズの存在が大きかったことを知りました。
 『ムニャムニャゆきのバス』も『ユックリとジョジョニ』も『いとしのロベルタ』も『ハのハの小天狗』も『サルビルサ』も大きく紹介されていました。
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road to nowhere

2006-09-13 17:23:01 | 好きな絵本

 5月に買った本なのに、夏が来て、夏が去ってしまった今頃になって、ようやく
登場させることができました。お気に入りのあまり、大事にし過ぎてしまったかもしれません。

ここってインドかな?

『ここってインドかな?』

アヌシュカ・ラビシャンカール 文
アニータ・ロイトヴィラー 絵
角田光代 訳





 この絵本には、私の気持ちをぐいっと引き込むものが3つあります。

 まず、題名。
 Excuse me,is this India? を ここってインドかな? と、魅力的に
訳したのは
作家の角田光代さんです。

 次に、絵。
 絵は、全部パッチワークされたキルトの作品なんです。巻末の作者プロフィールによると、
絵のアニータさんは世界的に著名なキルト作家で、1999年にインドを訪れた時とても感銘を
受け、たくさんの布や織物のはぎれを集め、インド旅行の思い出として作品を作ったそうです。
 文章を読む前に、キルトの作品だけを見てページを繰っていくのも、とても素敵です。
使われている布の柄やその合わせ方、ステッチ、刺繍の入れ方などなど、見る度に
何かしらの発見があり、飽きることがありません。

 そして、何より私をひきつけたのは、テキスト終盤で、主人公の青ネズミちゃんに、
ひげの紳士が言うこの言葉。

 「どこにいるかなんてかんけいないさ、
 もんだいは、どこにいくかなんだから」
 
 
 ストーリーは、主人公の「わたし」が、アンナおばさんからもらったキルトにくるまって
眠ったら、青ネズミちゃんになって、飛行機に乗って、何処か知らないところを旅している
夢を見た‥というものです。
 アンナおばさんは、インド旅行から帰ってきて、そこで見た色々な景色を、キルトに縫いこんで
「わたし」にくれたんです。だから、青ネズミちゃんになった「わたし」が旅した場所も、
インドっぽいんです、とっても。でも、旅している青ネズミちゃんには、そこが何処なのか
わからなくって、会う人や、そこに居る動物に聞いてまわります。

 「あのね、ここは、なんていう国?」 とか

 「わたし どこにいるのかしら?」 とか

 「本当に知りたいの。
 わたしがどこからきて、
 どこへいこうとしているのか、おしえてちょうだい」

 
聞かれた人や動物たちは、好き勝手に、とても哲学的な(?)答えを返してくれるだけ。
青ネズミちゃんには、わけがわかりません。ひげの紳士の言葉も、そういうもののうちの
一つなのでした。

 角田光代さんは、訳者あとがきで、こんなふうに述べています。

 私はこれを訳しながら、ふと思いました。ひょっとしたら私たちの毎日は、
どこにいるのかわからない、青ネズミちゃんと同じなのではないか、と。
見知った場所で暮らす私たちは、ここがどこか、なんて問わずとも、しぜんに
暮らしています。けれど、「ここ」は、昨日とは同じではないような気がしませんか。
あるいは、昨日と違うのは、私たち自身かもしれません。



 どこにいるかなんてかんけいないさ、もんだいは、どこにいくかなんだから

 
私にとって、この言葉が引き出すイメージの行き着く先は、Road to Nowhere 
という歌なんです。

 Little Creatures
 Talking Headsの、↑ LITTLE CREATURESの9曲目に入っています。

 『ここってインドかな?』のストーリーから、何らかの繋がりがあるわけでもないし、
筋道だった説明もできないんです。
 ただ、「どこにいくかなんだから」のひとことが、歌の中にあるこの箇所に結びついて
いくのです。

We're on a road to nowhere
   Come on insaide
   Takin' that ride to nowhere
   We'll take that ride

   
僕らはどことも知れぬ所へ向かっている
   さあ 中へお入り
   当てのない旅に出かけよう
   行き先知れずの旅に (訳詞 山本安見)

 現実から逃避しているのでも、実生活を否定しているのでもないのですが、気がつくと、
気持ちは「どこかへ」向かっているような気がしてなりません。夢のような楽園が、どこかに
あるわけではないこと、もうようく知っているけれど。植物の蔓が、からまる物があれば
その高さまで、どんどん伸びていってしまうのと、似ているでしょうか‥? 
それとは違うかな(笑)。

 どこにいくかなんだから どことも知らない場所 

 それは、「まだまだ諦めていない」とか、「ドキドキを呼び起こしてくれるもの」と
同じ意味なのかもしれません、私の中では。
 road to nowhere はキーワードであり、総称とも言えるかもしれないなと思います。

 

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見守ってくだされ

2006-09-11 16:04:39 | 好きな絵本
 図書館で見つけて借りてきたときには、「アイデア勝負」の本だと思っていました。

 ひしゃげた野菜のおしりや、ヘタの部分を利用して、顔に見立ててあるんです。
目は、(うちの方のお赤飯にはかかせない)「ささげ豆」を使っているそうです。


どんなきぶん?
 
 『どんなきぶん?』
  サクストン・フライマン&ユースト・エルファーズ作
  アーサー・ビナード訳

 ストーリーはなくって、「顔」の出来た順に野菜や果物を並べて、次々と写真を撮って、
あとからそれにふさわしい言葉をつけていったんじゃないかなと、思います。
 でも、何回か見ているうちに、お話ではないけれど、ゆるやかな「波」みたいなものを、
本全体から感じることができるような気がしてきます。英語も日本語もわかる訳者の
力でしょうか。

 真っ赤なトマトとそれに寄り添うミニトマト。その脇には、そのふたりをうらめしそうに
眺めるミニトマトが居て‥。

  すきな こを とられてしまったから
  くやしくて かおが まっかっか?


 おおっきなたまねぎと、らっきょう型のたまねぎ。情けない顔の二人のページには、

  だめなとき
  だめを どうなぐさめてもらえるか
  それがだいじ。


 
いくら言葉で説明しても、百聞は‥ですので、ぜひ一度本のページを繰ってみて
ください。すごーくよくできている「顔」に驚くと思います。
 

 表情の決めては、やっぱり「目」なのでしょうか。にやっと笑った口元や、口の中までも
上手に作ってあるのもありますが、それでも、目が入るのと、入らないのでは全然違うはず。

 普段の自分の表情をちょっと考えてしまいました。両方向から。
 何も言葉に出来ない時でも、目だけで、笑ってあげたり、安心させてあげることもできる
よね、ちゃんとやってる?というのと。
 いくら楽しそうなふりをしていても、目にはきちんと気持ちが表われてしまうんだよ、というのと。

 

 この本から思ったことが、もしかしたら「下敷き」になっていたのかもしれませんが。
お見舞いの品は、今回は本をやめて、俣野温子さん作「タオルぬいぐるみ・クマ」にしました。
(それと、クマのベージュ色に合う、緑のタオル)

 ちょっとしたかわいいものを、その先輩からもらったことがあるのを思い出したのと、
ベッドサイドのテーブルの上に、ティッシュの箱や薬だけでなく、かわいいクマがちょこんと
座っていたら、それだけでも和むかなあ、と思って‥。そして、本は自分で開かなければ
ならないけれど、クマちゃんは、2つの目で、いつまでも見守ってくれているかなあという
気持ちから‥。

 

 
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お見舞いに‥いく

2006-09-06 17:25:02 | 日々のこと
 誕生日も過ぎ、さらに「いい年」になってしまったというのに、大人の常識では「できること」「できて当然なこと」でも、私にとっては苦手なことが幾つかあります。

 病院へお見舞いへ行く、というのもそのひとつ。

 お見舞いの定番ともいえる、花束を「抱えて」行ったらいいのか、「携えて」行ったらいいのか、「ぶらさげて」いくのはどうなのか‥そのあたりから緊張してしまいます。(大きい病院なら、院内の売店で、この頃はお花も売ってますが)胸に「抱えて」病院へ入るのも、なんだか「いかにも」だし。病室へ行って、花瓶があったらあったで、それに活けてきたほうがいいのか、それとも、どなたかご家族の方にまかせたほうがいいのか‥などなど。

 食べものは、どんな病状の方でもだめだろうし。雑誌や本はどうなのだろう?もしも、自分が入院していたら、何を持ってきてもらったら嬉しいだろう‥?


 以前に勤めていた会社を辞めてから、早14年も過ぎてしまったのですが。その会社では、新卒からしばらくの間お世話になり、その時の先輩が、今重い病気で入院中なのです。
 とても気丈な方で、病気のことも入院のことも、多くの人には話さないで欲しいとおっしゃっていて‥でも、何人かの限られた人ならということで、入院先を教えていただくことができました。

 父が晩年入院していたときは、着替えと一緒に、その日の朝刊を持っていくのが、家族のきまりとなっていました。活字を追うことが好きな人でしたから。
 私だったら、新聞や雑誌よりも、やはり絵本がいいかな。適度に絵と文章が混じりあっている本や、あるいはエッセイがいいと思うかも‥。

 その先輩は、何が好きな方だったろうと、考えます。
 花が好きなら花の本、ネコが好きなら猫の出てくる絵本やエッセイ? 料理が好きな人だったら、生活雑貨が載っている本もいいのかな?

 仰向けに寝ていても、両腕で支えて読むのに、負担にならない重さ。
 絵や、写真ばかりでなく、適度に拾い読みできるような文章が書いてあったほうがいいかも。

 色々考えてみるものの、どれも的外れのような気がして、ちっとも気の利いた本が思い浮かばない自分にイラついています。
 そんな中、やっとゆうべ思いついたのが、ターシャ・テューダのこの本です。

 思うとおりに歩めばいいのよ―ターシャ・テューダーの言葉
 『思うとおりに歩めばいいのよ』

 楽しみは創り出せるものよ―ターシャ・テューダーの言葉〈2〉

 『楽しみは創りだせるものよ』


 本の大きさ、文章と写真のバランス、という点では、なかなかいいかも、と思ったのですが。肝心の内容はどうかなと思ってしまいました。入院生活にはっきりと「おしまい」が見えていて、また元通りの生活が送れるという約束がしてもらえる種類の病気なら、いいのですが。その逆の場合、この題名といい、ターシャさんの、どこまでも前向きなライフスタイルは、嫌味な感じに映らないと言い切れる自信がありません。

 本当に具合が悪くなると、好きな音楽も、好きな種類の本も、何も手にしたくないというのは、経験済みなのですが。それでも、なんか、ちょっと気分のいい日に、パラパラと何かめくってもらいたいような‥。
 あ~、それもやっぱり自己満足なのかな。

 
 もしも、お薦めのもの(反対に、それは絶対よくないというもの)があったら、どうか教えてください。
 「お見舞いに行く」と決めた日は、来週の火曜日9月12日です。

 

 

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買いたい手帳

2006-09-01 16:47:26 | 日々のこと
 今日から2学期が始まりました。

 9月1日に雨が降るのって、すごく珍しいような気がしています。過去のデータを見たわけでもなく、ただなんとなくそういう記憶があるだけなのですが、毎年毎年、よく晴れた暑い日だったような‥。

 やっと秋の入口に立ったばかりなのに、思いは早くも来年に向いています。それはなぜかと言うと‥9月になったら、ほぼ日手帳2007が発売されるからなのですね~。

 いそいそと ほぼ日のHPへ行ってみたところ、2007年度版のほぼ日手帳のお披露目は、9月7日ということでした。


 ほぼ日手帳。

 思い返せば、去年の暮れにその存在を知り‥。いいなあ、欲しいなあと思っているうちに年が明けてしまい、新年度版もあると知ってはいたものの、途中で切り替えることもできず‥。その間に、実際に使っている方に見せても頂き、なんとなく「あこがれの」品であり、「ちょっと贅沢筆記具」とも、自分の中で位置付けてました(笑)。

 9月に来年度用のが発売されると知ってからは、それは「自分のためのバースデープレゼント」なんて、都合のよい理由も見つけたりして。

 けれど、いざ「買える」段階が近づいて来ると、結構ドキドキしてしまいます。普段、大雑把なようでいながらも、細かくて気の小さい「乙女座・A型」の血が騒ぎ出すのでしょうか。頭の中で、繰り返しごちゃごちゃ考え続けます、しばらくの間は‥。それで、いい加減考えるのが嫌になると、買ってしまう。いつものパターンです。だったら最初から、わーいと手離しで喜んで買えばいいのに、といつも後から思うのですが。

 
 困ったことに、ほぼ日ホワイトボードカレンダー2007というのもあるんですね。見ているうちに、これも欲しくなってしまいました。ほぼ日の術中に完全に嵌まっていると知りつつも、魅力に抗えない‥かも。

 

※糸井重里さんには昔から弱いんです。その昔の『不思議、大好き』(西武百貨店のコピー)で、広告コピーの世界に魅せられたものですから。そうそう、矢野顕子さんのライブに行った時、すぐ後ろの席に、糸井さんと、坂本龍一さんのお母様が見にきていた、ということがありました。(龍一さんが『戦場のメリークリスマス』の撮影中の頃なので、これもかなり昔ですね)
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