my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

14ひきのおつきみ・うたいましょう おどりましょう

2013-09-20 18:25:59 | ひらきよみ(読み聞かせ)

今日は6年生のクラスでの読み聞かせ当番でした。

何日か前に図書館に予約本を受取に行った際、たまにはあまり
自分でチャレンジしない、日本の昔話を読んでみようかと思い立ち
2冊借りてみたのですが、なんとなくしっくりこなくって、迷いが生じ
なかなか決めることができませんでした。

2学期の大きな学校行事のひとつ「音楽会」がもうすぐあると、在校生の
お母さんに聞いたことを思い出し、では音楽関係の絵本はあるかなと
家の本棚をみわたしたところ、この絵本が目に留まりました。


下の2冊、「かあさんのいす」→「ほんとにほんとにほしいもの」の
順番で読んだのちに読む、3部作の最後の話なのですが‥

    

読み終わったあとに、この2冊を見せて、説明すればよいかなと思い、
思いきって、「うたいましょうおどりましょう」を読んでみることにしました。

声に出して読むと11分ちょっとかかるので、教室で読む絵本としては
かなり長めなほうにはいり、ペアがいるときにはまず選ばないし、
低学年では集中力も切れてしまうと思うので、そういう点からも、
6年生のクラスにひとり、という今日はいいかなーと思えました。

「もう1冊」は用意しないつもりでしたが、
ゆうべ、あまりにも月がきれいだったので、なんか月の絵本なかったかなーと
朝になったら、そう気持ちが動き、本棚から「14ひきのおつきみ」を探し、
急遽練習して、持っていって読みました。



はじめに、「昨日の満月きれいでしたね、見た人?」って聞いてから
こちらを読み、そのあとで、「うたいましょうおどりましょう」。

主人公はアメリカに住んでいて、年頃はたぶん小学校高学年から
中学1年くらいだと思います、って言ってから読み始めました。
親近感を持ってくれた方が話に入り込みやすいかなと思って。

静かに、よく聞いていてくれたなーというのが印象に残っています。

おつきみの本は、よけいだったかな、自己満足?と思えなくも
ないですが、今晩もきっときれいな十六夜の月が見えると思うので、
絵本のこと思い出して、月を見上げてくれる子がひとりでもいたら、
嬉しいですね。





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はなのすきなうし・どろんこハリー

2013-09-16 18:37:11 | ひらきよみ(読み聞かせ)

小学校での「読み聞かせ」の記録です。

1学期の終り、7月12日に5年生のクラスで読んだのは
この本。

 

ペアさんは、おれはサメ
私はこの絵本、はじめて知りました。


そして、先週の金曜日は2学期になってはじめての読み聞かせ、
2年生のクラス。

 

今回も「王道」から選んでみました。


ペア さんは、 と  

「うしはどこでも~」こちらもはじめて知った絵本でしたが、
とてもおもしろいですね。
フランス語の鳴き声になると、その動物までフランスっぽく見えて
くるから不思議です・笑。

次回は、もう今週の金曜日。ひとりで6年生のクラスです。
何を読もうか考え中です。

 

コメント (4)
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いつだっていろいろ教えてくれる

2013-09-07 15:41:05 | 好きな本

さて、こっからが本編というか、書きたかったことですが。



この本のはじめの方にこういう箇所があったのです。

あ、その前に、『閉経記』とはどんなエッセイなのかー。

内容紹介には、更年期を生きる女たちに捧ぐ喜怒哀楽エッセイ と書かれています。
もうすこし説明を加えておくと、伊藤さんはカリフォルニアに夫(外国人)、次女、三女(ハーフ)
複数のペットとともに住んでいて、熊本に89歳になるお父さんが、犬と一緒に住んでいます。
お母さんはその10年くらい前に亡くなっています。子育てエッセイの時になじみ深かった
長女は、結婚して、赤ちゃんが生まれましたーそう、伊藤さん、本の中盤(だったかな)で
おばあちゃんになるんです。

見開き2ページづつのエッセイにはそれぞれタイトルがついていて‥
 
 楽も苦も
 今も昔も
 梅雨の空。  

この題名のページの、ここに、ひっかかったのです。

 母の末期は、病院で寝たきりだったけど、どんどん興味がせばまっていき、
わかることも少なくなっていき、残った興味は自分の家族のことだけになった。
(中略)
 いっぽう父は(まだ生きているけど)、やっぱりどんどん興味がせばまっていって、
わかることも少なくなって、今は自分のことしか考えたくない。それが野球と
相撲と時代劇だ。子どものときから好きだったことなんだと思う。家族のこと
はどうでもいい。

年老いてきた親をお持ちの方は、うんうんそうそう、と頷いているかもしれない
ですね。私も、母や、義母のことをあれこれ思い、ああわかるなあと思っています。

そして、この「残った興味は自分のことだけ」っていうの、最近別のところで
読んだことに、はたと気がついたのです。




この本は、ブラッド・ピット主演で映画化された『ベンジャミン・バトン』の原作で、
作者はフィッツジェラルド。映画のように盛りだくさんの内容ではなく、年老いた
姿で生まれてきたベンジャミン・バトンが、年齢を重ねるほどに若返っていき、
最後は赤ちゃんになって終わるという、まさに数奇な人生が淡々と描かれています。

話の終盤、「大きくなって」もう幼稚園に行くこともできなくなったベンジャミンは、

糊の効いたギンガムの服を着た子守のナナが彼の小さな世界の中心になった。

もうすこし「大きくなって」

長い一日が午後五時に終わると、ベンジャミンはナナと二階に上がって、
オートミールやどろどろの離乳食をスプーンで食べさせてもらった。

そして最終的に、

ベンジャミンは覚えていなかった。さっき飲んだときミルクは温かかったか
冷たかったか、日々はどのように過ぎていったかを彼ははっきりと覚えて
いなかったーベビーベッドがあり、慣れ親しんだナナがいるだけだった。
そしてもう、ベンジャミンは何も覚えていなかった。腹が減れば泣くー
それだけだった。


そっくりじゃないですか?

ベンジャミン・バトンは、容姿というか体も若く若くなっていき、最後は生まれた
ばかりの赤ちゃんになるのですが、私たちごくフツーの人々は、容姿や機能は
衰えていくけれど、精神的には実は「若返っている」という言い方もできるのでは、
と思ったのです、というか、気づかされたのです。

なんだ、そこだけはベンジャミンと一緒なんだ、と思えば、もしかして今後
尚老いてゆく母や、夫や(年上なので)、そして自分自身にさえ、腹立てても
しょうがないと思えるかも、と思ったりしています。


+++


ほんとうに、伊藤さん、えらいなって、読みながら何度も思いました。
ひとり娘ゆえしかたがなかったのでしょうが、病院で寝たきりになってしまった
お母さんをみとり、熊本で一人暮らしが寂しい寂しいというお父さんを励まし、
毎月!カリフォルニアから熊本に行っているんです。
(ひとり娘の親としては、こういう苦労を娘にかけてはいけないなあと思います)

で、自分はその間、いわゆる更年期なわけで‥体の変化がおもしろいと書いては
ありましたが、もちろんおもしろいだけのはずはないし、なにより、太りますからね、
この年齢は(と、ここで私のココロの声が突然大きくなってます・笑)。
そして、太っている自分あるいは太り始めている自分を認めてしまうか、抗い続けるか
で日々悩ましいわけだし。いったん認めたふりをしていても、誰だってほんとは
認めたくなんかないわけだしね。

そうかそうかそうなんだあ、これから数年かけて私(の身体)もまだまだ変わって
いくんだなということをふむふむと頷きながら読み終わってみると、だからって
その後に、何にもいいことが残っていないわけじゃないよ、とちゃんとそこまでも
教えてくれて‥特に、最後からふたつめの章あたりは、読んでいてうっすら
涙がにじんだりします‥やっぱり伊藤比呂美さんについていこうかなと、思っています。


最後に、すごーくうまいなあこういうところ、と思った箇所を書いて、終わりにします。
自分の生活のあれこれをそこまで書いて(言って)しまっていいの?というようなことも、
こういう感性に裏付けされていればこそ、と思うところです。
(着物になんてちっとも興味がなかった著者が、友に連れられていった初めての
呉服屋さんでの場面、というか、はなしです。)

 すると、奥さん二人があたしを立たせ、わらわらと、あたしの首に衿みたいなものを
巻きつけて、反物を押し当てた。サリーみたいに巻きつけて、反対側からまた襟元に
押し当てた。布地が白い衿の上で交差されて、ほんとに着物を着てるように見えた。
胸元でするりと結んで、帯を合わせた。残りの生地はさらりと落とした。反物が、
読み終わった巻紙の書状のように生地を広げながら転がっていって止まった。
ほらこうやって、これはいかが、こんなのもよございますよと、たちまちに数十の
反物があたしに巻かれた。
 からだに当ててみたのは一回に一つずつだったのに、今こうして目を閉じて
思い出してみると、いちどきに、何十反もの絹の織物たちが、あたしにまといつき、
巻きつけられ、余った分をたたみの上に落とされて、さらさらと流れていったような
気がする。あたしから、何十反ぶんの布が、さらさらと流れていったような気がする。

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いつだっていろいろ教えてくれる(前書き)

2013-09-04 17:34:46 | 好きな本

久しぶりに、詩人で作家の伊藤比呂美さんの本を、続けて読んでいます。

私とおなじくらいの年頃の方なら、伊藤さんの子育てエッセイを、1冊や2冊は
みな読んでいるのでは、と思いますがどうでしょう。

とかとか

とかとか



とか‥‥

子育てや家族についてのエッセイだけではなく、小説も読みました。



この他にも数冊読んだような気もしますが、このあたりで、一緒にポーランドに
行っただんなさんと離婚し、再婚し、アメリカに住んでいるというのを知ったような
気がします。

いち読者である私が伊藤比呂美という詩人で小説家の人生の一端を知って、
ああそうなんだ、なんでそうなったんだとあれこれ思うことではないのですが、でも、
二人の子どもが居るのに、夫と別れて、新たな土地で新たな男と家庭を築く‥と
いう事実にすくなからずショックを受けたことがありました。
(伊藤さんの家族構成が変わったことに対するショックというわけではなく、
女の生き方とか選択肢とか、そういう全般に対してだったと思います)

だからなのか、この15年くらい(かな?)、伊藤比呂美さんの新刊案内を目にすると
すぐにでも読んでみたいような、いやいややめておいた方がいいのでは、と
いうようななんかフクザツな気持ちがしていたのです。

でも。
1カ月くらい前に書店で、『犬心』を見かけたら、なんとなくすっと手が伸びて、
と同時に、ほんとはとても気になっていた『閉経記』のことも思い出して、
すぐに2冊とも図書館に予約して、犬心はとっくに読み終え、今は閉経記に
とりかっています。

 

結論から言ってしまうと、『犬心』、とてもおもしろかったです。
カリフォルニアでずっと一緒に暮らしていた愛犬タケのことを中心に、
熊本でひとり暮らしを続けている年老いた父親のことをからめつつ。
思ったことを思ったように、書いてくれているにちがいないその文章を
あいかわらずうまいなあと思いながら、いっきに読んでしまいました。

読了後、ひとりフィッツジェラルドまつりは続いているので、またそっちに
戻ったりしながら、あいだに雑誌の春樹評もはさんだりしつつ、『閉経記』なのですが、
意外にも、フィッツジェラルドと繋がっている(あくまでも自分の中で)部分を
発見したり、自分の体調管理への気づきを与えてもらったり、で、
私は、あいかわらず伊藤比呂美さんに色々なことを教えてもらっているのだなーと
感じているわけなのです。

やっと、タイトルに結びつけたところで、肝心の「なにが?」のところを
続きとして書きたいと思います。

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