my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

世田谷散歩

2009-04-26 21:53:36 | 好きなもの・おでかけ
きれいに晴れた4月最後の日曜日、楽しみにしていた
2つの「展」に出かけました。

ひとつめは、世田谷ものつくり学校で25日(土)から行われている
spirit of plants ミドリノ

案内の文の中にこんな箇所があり、とても興味をそそられました。

これまでの緑との交感を、IIDに育つ植物での花いけと草木染めであらわす。
緑をリノベートするというよりは、人がリノベートされているのかもしれない。

huiziさんのブログで、準備の様子から、とても細かく丁寧に説明されています。


布と花。

どちらかが主で、どちらかが脇、というのではなく、互いが互いを
ひきたてあっているなあと思い、(部屋の)中に入って、ひとつの花、
ひとつの布の前に立ち、向き合ってみる楽しみともうひとつ、
一歩外に出て、全体を「まるごと」として見る楽しみがありました。

ムラサキ・サフラン・はくモクレン・椿・カラスノエンドウ・バラ・蕗・桑・里芋の皮などなど‥
ああ、この植物は、こういう色をしているねというものもあれば、
いったいこの植物のどこに、こんな色が隠れていたのだろうと
いうものもあり、裏庭に通じているのかな、と思われる扉があいていて、
そこからの風がいい具合に、草木染めの布に、優しい陰影を与えていました。

植物の持つ力って、とても深く、とても強く‥
たしかに人のほうがリノベートされています、きっと。


GO SLOWゆっくりとカフェでのランチのあと、もうひとつの「展」へ行くために、
下北沢へ移動しました。

豪徳寺にあるはちみつ屋さん、Poco a Poco さんの、8周年を記念しての企画展で、
その名も 888展 8が3つではちみつ 3つの8でミツバチ

前半が4月29日まで。オリジナル商品・はちみつラベル・DMなどのアートワークで、
お店の8年間を振り返るというもので、
5月1日(金)~6日(水)までは、8人の作家展‥

後半の作家展に出展される方は、下記の方々だそうです。

繁田あきの(型染)・石原稔久(陶器)・くわはらまりこ(鋳金)・田中美紀(ガラス)・
川合多孝知(陶器)・鹿児島睦(陶器)・萩原英二(木工)・小宮山聖子(イラスト)



今日、私たちが買って帰ったもの

はちみつは、国産アカシアを選びました。瓶に描かれたハリネズミがすごくキュート♪

5月になって、もしまた行かれたら、そのときは、ことり文庫さんの
love flower 展」とセットで、と思っています。




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リニューアルしました

2009-04-24 22:55:28 | 好きなもの・Tシャツ
オリジナルデザインTシャツWEBショップ BOOTS&STICKS
サイトリニューアルが、(やっとやっと)完了しました。

今年初めの予定よりは、1か月半くらい遅いのですが、
4月中に出来あがったことに、安堵しています。

この調子で、GWあけくらいには、新柄Tのお知らせもできたら
いいなあと思っています。



↑の写真は、スクーターTの、黒ヴァージョンの柄のアップです。

全体は、こんな感じです。
もうすこし大きい写真は
こちらにあります。



リニューアルを記念して(?)、キャンペーンも行っています。

親子ペアT、もしくはご家族内で2枚以上ご注文の方には
オリジナルエコバッグをプレゼントします。

エコバッグ?

MUJIで売っているB5サイズのものに、玉乗り象Tの柄を
プリントしました。
どうぞ、キャンペーンのページに飛んでいって、みてくださいませ。
お揃いのTシャツを着ているモデルさんがとてもかわいいんです♪



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4時59分

2009-04-22 17:02:55 | 想うこと
日出の時間が気になったから、右下にあるブログパーツを
貼ったのかー。
それとも、ブログパーツのカレンダーを貼ったから、日出の時間が
気になるのかー。

今では、どっちが先だったか思い出せませんが、
今日みたら、東京地方の日出時刻は、4時59分となってました。

たしか、3学期が始まったばかりの1月8日頃の日出は、7時を過ぎて
いたのではなかったでしょうか‥?
日の出が早くなるとともに、日入りの時刻も遅くなり、今日は18時20分となっています。

何時頃になったら暗くなるかは気にしたことがあっても、
何時頃、おひさまが昇るのかは、思えば、今まで気にしたことがなかったかも。



今日の夕刊に、「季の移ろいに心ゆらぐ」 清明の頃を過ぎて
という、志村ふくみさんの文章が載っていました。

  この季節になると毎年思うことだが、今年はそれが
  はっきり浮き彫りにされたように心に響いた。年をとった
  せいか、ほんのちょっとした季の移り変わりに心がゆらぐ
  のである。 

こんな出だしでした。


日出時間の変化も、季の移ろいのひとつ‥
それに「心がゆらぐ」ように、私もなってきたのでしょうか。

それとも、朝練で、家を早く出ることになるかもしれない中1女子の、
母としての、備えあれば憂いなし、なのかなと思ったり。



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一週間

2009-04-16 15:09:28 | 日々のこと
中学校の入学式から、まる1週間が過ぎました。

今頃になって、じわじわと、新しい季節(=次のステージ)を
感じはじめています。


通っていた小学校の、すこし先に中学校があるし、
友達もみなよく知っているし、私自身は、読み聞かせボランティアと
して、まだ小学校にかかわりを残しているので、3月があっという間に
過ぎたあとも、なんとなく今までと同じ「進級」みたいな気持でいました。

この春が、旅立ちのときだった方のご様子を聞いたり、読んだり
していても、いまひとつピンとこず‥
春に進級、進学がつきものの日本よりも、6月の爽やかな時期に、
(地域によって違うと思いますが、私が知っているNYの6月は
それはそれはいい季節です)
卒業し、夏を超えて、9月に新しい生活が始まる国の方がいいかも
なんて思ったりもしてました。

でも、でもですね。
ここへきて、やはり、新しいことを始める季節が〈春〉でよかったと
しみじみ思っています。

何もないように見えたところから、芽が出たり、
ただの枝から、吹き出るように、新しい緑が出てきたりするのを
見ているのは、ほんとうに清々しいです。

別れを迎え、冷えていた心も、文字通り日々成長していく
緑の姿に、慰められることだろうし。
慣れない学校や、生活のリズムに浮足立っている、私のような
ところは、毎朝水をあげ、植物の様子を見るだけでも
その行為が、すこしづつ気持ちを落ち着かせてくれたりもしますもの。


この花は、3月12日のブログにこう書いていた「小さなポット」です。

うっかり、水をあげるのを忘れて、へたっていた小さいポットに
慌てて、昼に、水をあげたら、夕方には葉がぴんと立っていて。
植物の、そういうわかりやすさは大好きだ、と思い、
そういうわかりやすい素直さを、大事にしようと思いました。

ちょうど入学式の頃に花が咲き始めました。
油断すると、すぐにへたってしまうので、一番気にかけています・笑


中学生になったからといって、うっかりしたり、油断したりしていたら
子供もへたってしまうのでしょうね‥いろんな意味で‥
だからといって、いつ水をあげようかと見張ってばかりいても
いけないし、水のあげ過ぎにも要注意です。


昨日読み終わった『そして、ねずみ女房は星を見た』の中の
お話を運んだ馬』について書かれたページに、こういう記述が
ありました。(引用のまた引用なので、ちょっとわかりにくいかもしれませんが)

母の大きな灰色の目が、こう言っているように見えた。
「おかしな子だけど、やはりおまえのことは愛しているんだよ」

清水眞砂子さんの大学の授業で、この作品を読み終えた学生の
ひとりがこういったそうです。

「こどものとき、こんな言葉に出会っていたら、もっとずっと
伸びやかに生きられたのに」
すると、居合わせたほかの学生たちが次々と「わたしも‥」と
いいはじめました。  
「だからおかしいことはしないようにって、いつも思ってきた」と。

中略

受容し、抱きとめてくれる人の存在を信じられず、おかしな子にも、
あきれた子にもなれないでいる子どもたちの辛さを想います。



この本には、いつでも取り出せるところに置きたいことが、色々
ありましたが、上の箇所は、私には特に大切に思われました。
こどもひとり対親ふたり、の関係は、時々、こどもに妙な負担を強いている
ような気持ちにさせられるからです。

いつまでたっても、親と子、という関係は続けていくのですが、
どちらがどちらに水をあげるのでもなく、できれば、一緒に風に揺れる
野の花みたいでありたいなあと、思います。
そんなことを想わせてくれるのも、新しく迎えたステージが〈春〉だからですね、きっと。








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学び舎

2009-04-08 19:21:05 | 好きなもの・ちいさないえ
今日は、娘の中学校の入学式でした。

1年1組。
こわいと評判の、学年主任の男の先生‥ずっと3年生ばかり
担任していて、1年生の担任をするのは7年ぶりとか‥

なんか6年前を思いだしました。

その時の学年主任の先生も、1年生を担任するのは
久しぶりとおっしゃっていましたね~
隣の席の子が叱られている、その声を聞いているだけで
怖くて涙が出そうになると、よく言ってました‥

6年の時の担任が、おねえさんみたいな先生だったので、
rはしばしショック状態‥私も話には聞いていたので、
そ、そんな~と思いましたが、でも、もうこんなに
大きくなったのだからと、あまり心配はしていません。

6年の間で、ほんとに大きくなったもの。



rが通う中学は、私の母校でもあるのです。
先日の、説明会のときには、どこにも「おもかげ」を見出せなかった
けど、今日は、体育館に行く前にのぞいた被服室のテーブルに
小さく、あっと思いました。
あの大きな木の机で、パジャマの生地を裁断したっけ。

式のあとに行った教室は4階で、壁も床もきれいになっていたけれど
教室全体のレイアウトは、やはり昔のままのようでした。

自分の母校に娘が通うといってもねぇと、特別な気持ちは持って
いなかったけれど、式の最後に校歌を久しぶりに歌って、
なんとなく、いいかもと思ったのもたしかです。

13歳から15歳の、私の過ごした日々と、これからはじまる
rの毎日‥どうちがっていて、どこがおなじなんでしょう‥?

なんだか楽しみです。


冒頭の写真は、昨日友人から届いたお祝いの品です。
学び舎のイメージで、と手紙に添えられていました。

学び舎

いい言葉だなあと思いました。
さすが、一緒の「学び舎」で時を過ごした友ですね~嬉しいです♪

どうもありがとう。
この春に、この「ちいさないえ=学び舎」が届いたこと、
ずっとずっと忘れないよ。





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ほんとうのパワー

2009-04-07 16:55:28 | 好きな本
ギフト』『ヴォイス』に続く、西のはての年代記‥
3作目の『パワー』・・・・・読み終わってしまいました。

読み始めることを躊躇していたくせに、読み始めたら
その世界感はとても自分好みであるということがわかり、
主人公ガヴィアの物語に引き込まれていき、終盤にきたときは
いつまでも、この物語が終わってほしくないとさえ、思っていました。

パワー』西のはての年代記Ⅲ
  アーシュラ・K・ル=グゥイン 作 谷垣暁美 訳


ガヴィアが住むのは「西のはて」の中の都市国家のひとつエトラ。
幼い時に、姉とともにさらわれてきた奴隷ですが、彼らが暮らす
アルカ館は奴隷に対する扱いが比較的よくガヴィアも、姉も、
主人の子供たちとともに、教育を受けることができました。

ガヴィアは、とても賢い子供で、詩と歴史が好き。
そして、一度読んだものは何でも覚えることができるという優れた
記憶力とともに、ビジョン(=幻)を見ることができる、
特別な能力=ギフトを持っています。

奴隷という身分であることに、誰も疑問を抱いていないような
アルカ館の奴隷たち。
ガヴィアも、主人の一族を信頼してはいましたが、その気持ちが
揺らぐようなことも度々あり‥ある日起こった悲惨な事件から
現実の日々に目をそむけ、放浪の日々が始まります。

その「旅」は、大好きだった姉が殺されてまったという現実からの
逃避であり、奴隷の身分からの逃亡でした。
またそれは、自分というものをみつめ、自分とは何かを考える、
膨大な時間の積み重ねであり‥同時に、ガヴィア自身が
自由人として新たに誕生を迎える日までの、成長の旅でも
あるのでした。



前半に、こんな箇所があります。
(奴隷というポジションがとてもわかりやすく、胸が痛くなる文章です。)

本を自分をものにするのは初めてだった。いや、自分のものを
もつのも初めてだった。自分が着ているものをぼくの服と呼び、
教室で使う机をぼくの机と呼ぶ。けれどもそれらは実際には
ぼくのものではない。ぼく自身と同じくアルカ館の財産だ。
けれど、この本は違う。この本はぼくのものだ。

「この本」とは、ガヴィアがまだアルカ館の奴隷のとき、
(=放浪の旅へと出る前、まだ姉が生きているとき)
都市間での戦いがあり、その渦中で、別の町の仲間から
もらった本のことです。
それは小さな手書き写本で、中にはオレック・カスプロの詩が
記されています。

全部読み終わったあとで、いろんな場面が次々に浮かんできましたが
このくだりは、とても印象深いものでした。
ガヴィアが初めて、自分自身のものを所有したのが、
『ギフト』の主人公である、オレックの詩の写本だったなんて!


放浪の旅の途中、森の中の逃亡奴隷の都市〈森の心臓〉にも
暮らしたガヴィアが、そこを去らねばならなくなったとき
次のように思います。

そして、アルカマンドと森でのぼくの生活全部。ぼくの読んだ
すべての本。知り合ったすべての人。犯した間違いのすべて。
今度はそれらのすべてをもって旅に出ようとしている。
それらの持ち物から逃げることは、もうするまいとぼくは
心に誓った。
もう二度と逃げない。それらの記憶をー
その全部をぼくは常に
携えて行く。


少しづつ、姉の死のショックから立ち直り、
少しづつ強くなっていくガヴィア。
ビジョンの導きに従ってみようと思える気持ちを支えているのは、
言葉を愛し、詩を愛し、本を愛することで培われた想像力なのでは
ないかなと思います。




西のはての年代記は、創大な物語で、考えさせられる箇所、
胸が痛くなる記述、現実世界とのリンクなど‥読みどころは
たくさんあり、そのどれをとっても読み応え十分です。
それと、登場人物が、どの巻も、とても魅力的な人々で
溢れていました。

でも、なぜかな。
私は、この『パワー』を読んでいるときも、『ギフト』の中の、
オレックのお母さんのことばかり思い出していました。

ガヴィアが長い旅の途中で、連れていくことになった一人の
少女の名前はメル。
オレックのお母さんの名と同じだったなんて‥

最後のこういうところが、物語って大好きと思ってしまうところです。



*『ギフト』の過去記事    『ヴォイス』の過去記事 











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