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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

見つめた先にあったもの

2008-03-29 15:12:23 | 好きな本


ふたりのゴッホ ゴッホと賢治37年の心の軌跡
  『ふたりのゴッホ ゴッホと賢治37年の心の軌跡』
       伊勢英子 作


この本は、画家のゴッホと、詩人であり童話作家の宮沢賢治に
国や時代の垣根を越えて、こんなにも似通っているところがあったのだ
ということを、伊勢英子という画家が、自分の足で実際にゆかりの地を旅し、
自分の目で見たこと、感じたことを、研究し、表したものです。
文章にしながら、伊勢英子さんは、自分の中にある、
ゴッホと賢治への尽きない気持ちを、確かめていたのだと思います。


ふたりは、生まれた場所、生まれた年代は違うのに、
こんなにも、共通したところがありました。

宗教心、猛烈な読書、弟(ゴッホの場合)妹(賢治の場合)への限りない愛情、
旅への欲求、生前の不遇、貧困、37年の生涯。そして、どちらの家庭も
裕福であり、父親の期待を受けた長男として生まれたことー。



私の中でも、ゴッホという画家は、興味のある人でした。
20年くらい前に竹橋で開かれた展覧会の図録や、自分で買い求めた画集があり、
それに、何の本で読んだかは思い出せませんが、波乱万丈な人生や
ゴーガンとの因縁も、よく覚えていました。

ゴッホの描いた絵の中で、好きなのは「アイリス」。
跳ね橋や教会や糸杉やひまわりや麦畑など、どれも強く印象に残りますが、
ゴッホが描いた自画像も、忘れてはならない彼の重要なモチーフです。

自画像を、描く人の気持ちは、推察できます。
そこにある自分というものを、すこしでも、自分自身で捕まえたい、
あるいは深く知りたいからでしょう。

椅子だけを描いた絵もあります。
自分の椅子と、ゴーガン用に用意した椅子の絵。

『ふたりのゴッホ』202ページに、椅子についての記述がありました。

 ゴッホは空っぽの椅子を描くことで自分の不在を描いたのだが
 それ(不在を描くこと)は、そこにそれを描く画家の眼と不在を
 凝視する視線があったことを意味する。
 つまりゴッホは不在と同時に強烈に自分の「存在」を描いたと
 いうことだ。



どうやって描いたか、ということよりも、
何を描いたか、ということのほうが、より重きをおかれることなのだと
あらためて思いました。

ゴッホが見た自分自身、ゴッホが見たゴーガンのための椅子、
ゴッホがみたひまわり、ゴッホが見た糸杉、ゴッホが見た麦畑…

気持ちが寄り添えば寄り添うほど、その絵は、ずきずきと見るものに
迫ってくるでしょう。


ことばによって、切り取られた風景も、それを読むものの中に、
またイメージとなって同じ風景を呼び起こします。
私は、宮沢賢治作品を、そう多くは知らないので、痛むほどの詰まった気持ちは
沸き起こりませんが、深くその世界を知っている人は、ゴッホの絵から感じるのと
同じようなせつなさを受けるのでしょう。





ゴッホが生まれたのは、1853年。宮沢賢治は1896年生まれです。
ゴッホは、賢治のことを知るはずもないですが、賢治は、ゴッホの名も
ゴッホの作品も知っていたのではないでしょうか。


まだ読んだことがない宮沢賢治作品にも、伊勢英子さんの他の
著作へも、興味はつきません。




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3月をふりかえる

2008-03-29 12:05:47 | 日々のこと
気が着けば、3月ももう終わりで、お花見日和です。


私の3月は、伊勢英子さんのサイン会で始まり、長田弘さんの
お話
を聴いて‥(そのあたりまではよかったのですが)
でも、左耳を傷つけてしまって耳鼻科へ通い、加えて、
先週右足ふくらはぎのニクバナレ‥気候がよくなるのと反対に
気持ちは下降ぎみでした。

左耳は、まったく自分自身のせいなのです。掃除のし過ぎと、
耳鼻科の先生に叱られました。
病名はついてないのですが、耳の中がなかなか乾かず、いつも
水がはいっているみたいな閉塞感がつきまとっています。

右足は‥エアロビクスのレッスン中のことで、ちゃんとストレッチもしたし、
自分のせいではないかなあと思っていますが、年齢を考慮した準備を、
もうすこししていかないといけないという、忠告みたいなものでしょうね、
体からの。



「こだわる」という言葉がありますよね?
いい意味で使われると、使われたほうは、すこし嬉しくなるような‥
でも、固執するという意味に近くなると、ちょっとまずいかなあという
感じになってきます。

今回、そのよくない「固執」が左耳をきれいにする、そうじする、さわる、いじる
という方向にむいてしまいました。いけないいけないと思いながらも、
やめることができないのです‥そして、とうとう「閉塞感」というところまで
やってきて、やっと、自分を制することができるのです。
そういうのって、かなり、まずい、と自分でも感じています。
数年前、手と腕にかけての湿疹が悪化したときも、思えば、そういう過程を
踏んでいたと思います。これ以上、触ったら、掻いたら、いけないってわかって
いるけど‥。



そんな体調不良の毎日の中で、この本をすこしづつ読んでいました。



ふたりのゴッホ ゴッホと賢治37年の心の軌跡
 


決して、こだわる自分を、肯定しているわけではないのです。
でも、なんか、3月に「片耳の閉塞感」の中で、ゴッホの話を読んだことは
ただの偶然ではなかったような気がしてきています。


(本のはなしは、次回に続きます)




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雨の卒業式

2008-03-24 22:10:18 | 日々のこと

私には、ひとり娘しかいませんが、3つ違いの妹に、
14歳(中2)と12歳(小6)の男女のふたごの、3人の子供がいます。

わが子同様にかわいいといえば、それはすこし嘘が混じりますが(笑)、
ほとんどわが子同様に、かわいがったり、褒めたり、叱ったり、心配したり
してきました。

rにとっても、3人のいとこはとても貴重な存在で、生まれた時から
ともに泣き、ともに笑ってきた仲間で、「準きょうだい」といったところでしょうか。

そんないとこのうち、ふたごの二人が、今日小学校を卒業しました。

2歳ちがいのおねえちゃんが卒業したときは、手紙を書いて、その中に
谷川俊太郎さんの『おおきくなる』という詩まで書いたのに、
なぜか、ふたごの二人には、そういう気持ちにならなくって。

上の子と下の子、とよく言いますが、こういう気持ちなのかなあと、思ってしまいました。

なんか、下の子は、いつまでも小さく思えて、手紙とか、詩とかはね…ふふっていう
感じがしてしまうのです。

じゃあ、来年の、rの時は、どんな気持ちになるのでしょうね。
(長女なんだけど、「4番目」でもあるのです。ふたごの下の)


ふたごの二人。男の子はプロ野球選手、女の子はパテシェになるのが夢だと
文集に書いていました。
これからももうしばらく、かわいがって、褒めて、叱って、心配していこうと思います。

卒業、おめでとう。



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春をあじわう

2008-03-20 20:11:29 | 日々のこと

今日は、一日中、冷たい雨が降っています。
天気予報では明日も雨…
でも、植物の成長をおおきく促してくれているのだと思えば、
春の雨、ありがたいです。


二日前に着いた、ことり便 とくべつ編 「絵本とお茶の時間」セット。
包みは届いてすぐに開けてみたけれど、お茶の時間のほうは
休日の今日まで「おあずけ」でした。

n*cafeさんのクッキーは、メープルといちご味。
chikuchikuさんのコースターは、「たんぽぽ」と「綿毛」という名前です。

いちごのクッキーは、口に入れてすぐよりも、味わったあとから、
再びその匂いが戻ってくる感じです。とってもいいにおい。
メープルの方は、すごーく懐かしい味がしました。そして、たぶん
おいしい小麦の味です、きっと。

コースターは、にぎってはひらいて伸ばし、またそっと手のひらで包んで
みたくなるような、そんな手触り。
たんぽぽの方、さっそく娘rの熱い視線が送られてきています。が、
今のところ、二つとも私のもの、ということで…
だって、すっごく楽しみにしていたのですもの。

コースター。
出番待ちのときは、食器棚の中で、2枚重ねてから、ガラスの器の下にしいてます。

たんぽぽの黄色に、綿毛の白が、重なってとってもいい感じ♪

 


 

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しあわせをかみしめる

2008-03-15 17:12:46 | 日々のこと

すっかりもう春ですねー。
今日の東京方面の暖かいことといったら。

朝から半そでTシャツですよー。
でも、今週も「電話当番」なので、どこへも外出できません。
せめてもの春点検?で、プランターや鉢植えをのぞいて回りました。

たしか月曜日には、まだ花の先っぽがやっと覗いたくらいだったのに、
ムスカリがもう紫色をしっかり身に付け、3cmも背が伸びていたし、
ラベンダーも、ミントも、ローズマリーもタイムも
すごくいい匂いを放っていました。
昨日の雨が、さらに成長を促してくれたのですねー。




ところで。
念願だった、もりのにわさんのパンセット。2月分すべりこみでオーダーして
12日の水曜日に、うちに届きました。



こんなにたくさん入っているのですよ。

*ライ小麦パン
*黒糖マフィン
*くるみとピール(夏みかん)のカンパーニュ
*玄米ごはんパンプチ
*全粒山食パン
*ショコラのクロワッサン
*オートミールクッキー

どれもみな、ずっしりと頼もしい重さがあって、
パン肌の美しいこと!(もりのにわさんのブログで、きれいな肌がみられます)
食べて「おいしい」と思うパンは、いろいろありますが、
こんな「肌」を持ったパンを見たのは、初めてでした。感動しました。

水曜日の昼と夜に食べて、金曜日の夜に食べて、
その間のおやつに食べて…
今日は土曜日で、パンが到着してからまだ4日目なのに
ほとんどもう残っていません。

うちでの一番人気は、ライ小麦パン。
あ、でも夏みかんとくるみが入ったカンパーニュの爽やかな香り…
あ、玄米ごはんが入ったプチパンのもちもち感…
どれが一番だなんて、やっぱり決められません(笑)。
それと、オートミールクッキーのおいしいこと、おいしいこと。
あの歯ごたえと、味わいはどうやってやってくるのでしょう。
やっぱり小麦本来のおいしさなのでしょうか。
カレンズの甘酸っぱさがぴったりでした。


このたびのオーダーは、待つ楽しみも味わいました。
(毎月のことり便で、慣れてはいるのですが、パンの場合は食べ物ですので
さらに待っている間の、期待度が増しました)

わたし、お品物をパッケージし、お届け先の宛名を記し、
郵便局に持っていく楽しさは、よーく知るところとなりました。
でも、今回、待ってる側になってみて、こんなにわくわくドキドキするのだと
いうことを初めて味わったかもしれません。
そして、私共のTシャツも、こんなふうに、待たれているのかもしれないと
思うと、なんていっていいのかわからない感慨が押し寄せました。

パンのおいしさを噛みしめながら、別のしあわせも噛みしめました。


もりのにわさんでは、3月の終わりごろに新しいパンセットが登場予定とか。
毎月のことり便に、プラスの「待つ」たのしさが加わりそうな予感です。





実物を目で見て、その匂いを感じて、手にとるお買い物と、
写真でしか見たことがなくって、手触りを確かめることも、自分で身に付けて
みることもできないお買い物。
どっちがよりよいお買い物かは、決められないなあと思いました。

さらり&ふうわりと、私の首にぴったりなこのお品物も、
一度もその手触りを感じることなく、私の元にエクスパックに包まれて、
2月の終わりごろ届いたのです。








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森の絵本

2008-03-14 14:52:53 | ひらきよみ(読み聞かせ)
今日は、今年度最後の「ひらきよみ」の日でした。入ったのは6年3組。

この時期の6年生に読みたくなるのは『ラチとらいおん』って
書いたばかりなのに‥この本を選んでしまいました。
(はい、長田ブームが続いているのです)

大切な友達に贈った、思い出の本でもあります。




森の絵本
        『森の絵本』
    長田弘 作  荒井良二 絵



どのページの、どの言葉も、とても吟味されていて、
すっと心に沁みてくるものばかりです。

聞こえてくる言葉が、「教室の中にいる」6年生には
すこしこそばゆく感じるものもあると思うけど。
ひとりでいるときページを繰れば、なんとなくわかるなあと
感じるようになる年頃だと思うのですが‥どうなのかな。



どこかで よぶ声が します。

 ーだいじなものは 何ですか?

 ーたいせつなものは 何ですか?





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「本という不思議」

2008-03-10 18:22:44 | 好きなもの・講座やワークショップ

地元の図書館で開かれた、詩人の長田弘氏の講演会に行きました。
会議室にて、定員40名の、ちょうどいい感じの会でした。

すこし迷いましたが、期待をこめて『森の絵本』を持っていきました。


長田弘さんはいったいどんなお顔をしているのだろう?
谷川俊太郎さんのお顔は、写真やテレビで見たことがあるけれど、
思えば他の詩人の方のお顔は、見たことがありません‥

背広にネクタイ、短く刈った髪に手さげタイプの革のカバン。
館長に紹介され、席に着いて、カバンから取り出したのは
薄い本が2冊に、(たぶん)時計でした。
セッティングを済ませると、季節の挨拶も、初めて訪れたという川口の
印象の話も何もなく、すっと本題に入られました。

もしも、詩を書いている人だとしらなければ、話はじめの時は
役所関係か、郵便局の人(簡易保険担当)?と思ったかもしれません。



話の最初はこうでした。

本という不思議、ということでお話しますが、
みなさんは、本というと、書かれている中味が大切とお思いになるでしょう。
けれど、本にとって大切なのは、中味ではなく、「器」が何より大切なのです。

本の器。
本という器。

これがこの日のキーワードでした。


入れ物があるからこそ、中味を入れることができる。
入れ物がなければ、水をすくうことも、食べものを入れることもできない。
本にとってもそれは同じことで、本という2500年の歴史を持つその体裁が
あってこそ、中味を維持できるということです。

形あるものが、その形をとり続けることの大切さに、話は展開していきました。
それは日常わたしたちが使っている日本語も、形があるものは
それが言葉として残っているけれど、使われなくなり、ものとしての形が
なくなると、いつしかそれを表していた言葉がなくなり、言葉がなくなると
いうことは、文化がなくなることだと、おっしゃっていました。

具体例として、写真アルバム。
誰もがパソコンで写真を管理して見るようになると、いつしか「アルバム」が
どういうものだったのか忘れられていき、すると、「思い出のアルバム」などという
日本語の比喩もなくなってくる‥

その昔、本を綴じる技術がなかった日本の書物は、巻物に記していた。
だから今でも、本のことを一巻、二巻と数えるし、「本を紐解く」という言い方も
残っている。それは巻物が紐で結わかれていたときの言葉が今も生きている
ということです‥



日本語が崩れていくスピードがどんどん早くなっていくことを
憂いている気持ちが、じわじわと伝わってきましたし、それと同時に、
本を心から愛していることが、よーくわかりました。

お話の終盤、「本は自分がお金を出して買ったものであっても、
わたしは預かりものだと思っています。こういう機会を通してみなさんに
お願いするのは、本を、器としての本を汚さないでほしいということです。
書き込む時は、ぜひ鉛筆でお願いします」とおっしゃいました。

この日、持ってきていた(話の中でも度々紹介してくれました)薄い本は、
古本屋で見つけたという明治時代の小学生高学年向きの辞書でした。

「大切にされていた本は、こうやって今でも手に取ることができるのです。
本の器を、自分の生活の中に置いておくための本をどうぞお持ちに
なってください。」

‥本は、そこにあるだけで、毎日の暮らしが潤います。

長田さんの言葉はカッコの中で終わっていましたが、私は心の中であとを
続けました。‥からあとは私の気持ちです。
本は、本という形を持っているだけで美しく、本であるというだけで
いいものなのです、やっぱり。



すっかり長田弘さんに共感した私は、『森の絵本』とサインペンを持って
いそいそと、長田さんに近づいて
行きました。
サインしていただけますでしょうか、と申し出ると、
優しい笑顔で、快く引き受けてくださいました。

「この本は、最初に詩があって、それに絵がつけられたのですか?」と私。

「そうですね。わたしは、たいていの場合、最初は会わないのですよ。
ただ、書いたものを渡すだけで。このときも、一度も荒井君には会いませんでした。
その後は、たびたび会いますがね、荒井君とは」

「荒井さんの描いた絵はすぐに気に入りましたか?」

「ええ。それはもちろん、気に入りました」

「すごく好きな本なんです」と、再度、私。

「そうですか、この本、好きですか」

とても嬉しそうにそうおっしゃってくださいました。



サインは写真に撮って、手帳のその日の欄に貼ることにしました。

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いちごばたけのちいさなおばあさん

2008-03-08 15:20:38 | ひらきよみ(読み聞かせ)
2月の「ことり便」に入っていた絵本です。

2年生のクラスでの当番が、2月29日(金)だったので、
ちょうどいいかも、と思い、読んでみました。


いちごばたけのちいさなおばあさん (こどものとも傑作集 (67)) (こどものとも傑作集 (67))
  『いちごばたけのちいさなおばあさん』
   わたりむつこ 作 中谷千代子 絵


中谷さんの絵がとってもとってもいいのですが、
細かいところまで丁寧に描きこんである、おばあさんの部屋などは、
教室では、後ろの方の子にはみえなかったかもしれないですね。


私が一番好きな場面は、色づいたいちごを楽しみにしていたのに
朝起きたら、一面雪景色になっていて、泣き出してしまったおばあさんの
ところに、うさぎが通りかかった場面です。

「ちいさなおばあさん」って、こんなに小さかったんだあと
今にもこちら側に飛び出してきそうに、生き生きと描かれたうさぎを見て、
その大きさの違いに、あらためて驚きました。


4月になれば、中学年の3年生になる「2年生」は、なんだかすこし
おにいさんおねえさんになったかもと、感じました。

   おばあさんは、あわてて ひゃくだんの
   かいだんを かけおりました。

っていう箇所を読むと、100段だって、とそれだけに反応してしまう子が
いたのに、もうすぐ3年生ともなると、そんなとこでは声に出して笑ったり
しなくなりました‥堪える子はいましたけど・笑。

どの学年の、どのクラスでもそうですが、最前列に座る子たちは、
すごーく真剣な目で、本を見つめてくれてます。
ほんとに本が好きなのだなあ、っていう子たち。

でも、後ろの方で、友だちとつっつきあったりしていてもいいんです。
教室の床に座布団しいて、座って、友だちと並んで座ったということも
含めて全部、教室での「ひらきよみ」の時間ですから。


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ぐりとぐらのおおそうじ

2008-03-08 15:15:05 | ひらきよみ(読み聞かせ)

2月22日(金)は、ひさしぶりの1年生のクラスでの「ひらきよみ」でした。

最初は『てぶくろ』か『しんせつなともだち』を読むつもりでしたが、
陽射しが春めいてきていたので、急に、この絵本を思い出したのでした。


  ぐりとぐらのおおそうじ (日本傑作絵本シリーズ)
      『ぐりとぐらのおおそうじ』
   なかがわりえこ 文 やまわきゆりこ 絵


この本は、『おひさまはらっぱ』の中の一話だったのが、
福音館書店50周年記念出版として、加筆修正され絵本に
なったものです。

おなじみのぐりとぐらが、春の光を感じてとびおきると、部屋の中は
ほこりだらけ。冬の間中、閉め切っていたし、窓も雪でふさがって
いたからです。だから‥

「きょうの しごとは、おおそうじ」
と きめました。

おひさま ぽかぽか
うれしくて
ほこりも ふわふわ
おどってる
ぼくらは これから
おおそうじ

こういうストレートな素直さが、ぐりとぐらの魅力だと思います。


1年生は、表紙を見せると、「あ、知ってる」と口々に言ってました。
みんな保育園や幼稚園や、家で、読んでもらってきたんだね。

ぞうきんの役目の、ぐりと、ほうき・はたきになる、ぐら。
「はたき」がどんな掃除用具か、1年生は知ってるかな、というのが
この日いちばん、私が心配した点でした。


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ラチとらいおん

2008-03-08 14:55:52 | ひらきよみ(読み聞かせ)

小学校での「ひらきよみ」の記録が滞っていました。

2月15日(金)・6年生 『ラチとらいおん』を読みました。
卒業間近な6年生にふさわしい絵本は‥?と考えたとき
いつも読みたくなる本です。


ラチにとっての「らいおん」、の存在があったからこそ、
君たちもこんなに大きく、色々なことができるようになったのだよ、
という気持ち。

これから先、つらいこと苦しいことがあると思うけど、「らいおん」は
いつも君たちを見守り、君たちを励まし続けているからね、
という思い。

「らいおん」がいたらなあと思うことは、決して恥ずかしい気持ちじゃ
ない。大人だって、「らいおん」がいたらいいなあと、どれだけ
思っていることか‥。



本の中で、一番私が好きなページは、らいおんからの手紙を
読むラチが、素直に涙をこぼしているところです。
そして、読むたびに「見習わないとなあ」と思うところは、この箇所です。

「とりに いきたくないなあ」と、ラチは いいました。
「とりに いきたまえ」と、らいおんが いいました。
「いきたくないよ」と、ラチは いいました。
「じゃ、ぼくが ついていってあげよう」と、らいおんが
いいました。

ラチとらいおん
    『ラチとらいおん』
マレーク・ベロニカ 作 とくながやすとも 訳




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いせひでこ「ルリユールおじさん」絵本原画展@丸善

2008-03-03 16:05:32 | 好きなもの・美術館や展覧会

春めいてきた3月最初の日曜日、ルリユールおじさんの原画と
いせひでこさんのギャラリートークを聴くために、丸善日本橋店に
行ってきました。

サイン会の整理券を貰うために、昼過ぎ、東京駅からお店へ直行し、
本を買ったあとに、ソーキソバを(また)食べるために駅へと戻り、
午後3時からのトークを聴くために、2時半頃にまた丸善へ。
椅子席30名はすでに埋り、ギャラリー内も多くの人でごった返していました。

正直に言いますと、私は昨日まで伊勢英子さんという方とその著作を
そう多くは知りませんでした。(ルリユールおじさんと、よだかの星
水仙月の四月くらいしか)そんな私が、40分弱のお話を聴いているうちに
すっかり伊勢英子さんが好きになり、その本を隅から隅まで読んでみたいと
いう気持ちになりました。

感じたことを感じたままに、思ったことを思ったようにお話になる伊勢さんの
「姿勢」が私に伝わり、私の体の中に響き渡ったからこそ、たったの40分ですっかり
「好き」になってしまったのだと思います。遠くから眺めていたのではわからないことが
話すという手段によって、こんなにも近くへ人を引き寄せるのだということを
あらためて知ったのでした。

サイン会で、娘の名前を本に書いていただいた時、伊勢さんが
「お嬢さんもお話を聴いてくださったの?」とrに聞いてくれました。
はい、聴きましたの返事を受けて、「お子さんが一緒に話を聴いてくれるのが
一番嬉しいんです。そう、聴いてくれたのね、ありがとう」とおっしゃって
くださいました。
その言葉からも、伊勢さんが、自分の言葉で自作を語ることを大切に
しているのだということがわかります。

さて、肝心のルリユールおじさん、です。

伊勢さんは、ある日ある時のパリ旅行で、偶然ひとつの窓に惹きつけられた
のだそうです。ルリユールという仕事も知らず、その窓の奥がその工房だと
いうことも知らずに。
だから、取材をさせて欲しい、仕事の様子をスケッチさせて欲しいと
頼んだときには、ストーリーどころか、構想も何もなかったのだそうです。

ルリユールおじさんの、絵本をお持ちの方は、「もうひとつの表紙」を
よくご存知だと思いますが、そこにある手はもちろんモデルとなって
くれたM氏の手です。
ルリユールという仕事は、60工程にも渡るすべてが手作業で行われる
仕事です。伊勢さんは、作業中のM氏に文字通りくっついて、クロッキー
にクロッキーを重ねたそうです。それこそ1枚が10秒かかってなかった
というスピードで。
原画を仕上げるときには、それらのクロッキーやらデッサンやらを元にして、
何度も何度も描き直して1枚の絵として完成させるわけですが、
「もうひとつの表紙」の手だけは、どんなに書き直しても、最初に
パリの工房で描いたクロッキーを越えることはできなかったそうなんです。

この話は、その日のトークの中で最も私の印象に残った箇所でした。
表紙の手を見ることで、その手が描かれた時の、パリの工房の空気を
私も、感じ取ることができるように思ったからです。
すごく気持ちが高揚しました。
人の手を通して描き出された絵によって、その場所に存在していなかった
私たちが、まるでその時を共有してたかのような錯覚に陥ることができるのです。


ルリユールと出会い、本にしようと思い、実際に本となるまでは
何年もの時間がかかったそうです。
もうひとつの『ルリユールおじさん』として、この本を合わせて読んでくれると
パリでの生活の様子などもよくわかってもらえると思うとおっしゃっていました。

旅する絵描き―パリからの手紙
  『旅する絵描きーパリからの手紙』



絵について、ほとんど触れてませんでしたー。
もちろん美しい水彩画でした。実際の本に使われていない場面もあり、
それらもあわせて楽しめました。3月5日まで展覧会は行われています。


それと、嬉しいニュースを聞いたのでお知らせします。
4月終わりから5月の初めにかけて、丸善丸の内店で、
新作の『にいさん』の原画展が開催されるそうです。

にいさんとは、画商テオの「にいさん」だから、ヴァン・ゴッホのことですね。

伊勢さんの、ゴッホとテオに関する著作もこれから読んでいきたいなあと
強く思っています。



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