my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

しんせつなともだち・ぐりとぐらのおきゃくさま

2012-12-30 19:26:47 | ひらきよみ(読み聞かせ)

12月14日金曜日に、今年最後の読み聞かせに2年生のクラスに
行ったのですが、その記録を残すのを忘れていました。
年内に思い出せてよかったです。

この日は、4月に転校してきて、わたしたちの仲間入りをしてくださった方の
この小学校での初めての当番の日でもありました。

こういう時にペアになった私の方もどきどきです。だってベテランさんだと
思われていますからね~(年月だけは長くなってきたので‥)

クリスマス前だったので、その方の2冊のうちの1冊は、この絵本。



後半を担当した私も、2冊読みました。
 と、

どちらもこの季節の定番ですね。


図書館で借りてきた絵本も、家で練習してみたのですが
なんとなくしっくりこなくて、何度も読んだこの2冊に決めました。

しんせつなともだちの、繰り返される「親切」は、読んでいる私も楽しいし
聞いている2年生も、楽しんでくれているようでした。

「~おきゃくさま」は、ぐりとぐらが自分の家の前まで来て、やっと、
自分たちの家だ!と驚くところが大好きです。


・・・・・・・


たまたま、2年生のクラスで読んだ絵本の記事をアップするのを忘れていて
それを思い出しのがついさっきだったのですが、「しんせつなともだち」と
「ぐりとぐらのおきゃくさま」、そのまま、今の私の気持ちを代弁してくれているような
不思議な気持ちにかられています。

自分が受けた親切や、優しい気持ちや、してもらって嬉しいこと、楽しかったことは
そっくりそのまま、誰か次の人へと、受け渡していくような、そんな気持ちの余裕を
持ちながら、来年いちねん過ごしていかれたらなあと思います。

ぐりとぐらを、見習いたいところは、まっすぐに前を向いている気持ちと、明るさ、
でしょうか‥
たくさん友だち呼んで、家でパーティ、的なところも真似できたらいいのだけれど・笑



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ぐるぐる‥

2012-12-25 11:44:55 | ふと思ったこと

毎日11時が更新なので、その時間が過ぎたら、ほぼ日のサイトをクリックし
「今日のダーリン」を読むにいきます。

今朝の冒頭はこうでした。

 ぼくがエジプトのピラミッドの前に立ったとき。
 つまり、そのときというのは、
 ジョン・レノンが撃たれたというニュースを
 そこで聞いたのだから、1980年の12月のことだった。


この時のジョン・レノンのニュースをリアルタイムで聞いていた人、
知った人は、その時自分がどこにいたかとか、何をしていたか、とか
わりと鮮明に思いだすことができるだろうなあと思っていました。
それぐらい、特にファンでなくても、ショッキングな事件でしたから。

私は、熱を出して高校を休んでいました。
隣の部屋でテレビを観ていた父親の声で、そのニュースを知り、
ぼんやりした頭で、なんかこわいことになっている、と思ったのでした。
翌日高校へ行ったら、大ファンだったI君は来ていなくて、そうかショックで
休んでしまったんだ、と思っていたら、しばらくしたらラジカセ持って登校し、
休み時間には曲を流し、授業時間には机にずっと伏せていましたっけ。

糸井氏の、今日の文章ではっとなったのは、その時糸井氏は
ピラミッドの前に居たとあったからです。

1982年。不思議 大好き という西武デパートのキャッチコピーと
ピラミッドの写真、覚えている方いるでしょうか。

私が20歳になる年で、私はこの広告に、当時ものすごく感動したのです。


そうしてそれから30年がたって、あのピラミッド写真は、1980年の12月に
撮られたのかも(その後にも取材や撮影があったのかもしれませんが)、ということを
インターネットを介して知ったり、今でも糸井氏のシゴトに感動したり、賛同したりして
いると、時間というものは、過去から現在を通って、未来へ流れているわけではなく、
同じ箇所にとどまったり、一つの点を中心に回ったりもしているのではないか、と
思えてくるのです。

今、いしいしんじさんの『熊にみえて熊じゃない』というエッセイを読んでいるせいで、
そんなふうに思えるのかもしれませんが‥。

事柄は入り組みながら、いろんなところへ繋がっていて、それらは目にはみえないけれど
感じとることはできるので、それを感じてくみ取れるか否かで、時間の感じ方も、人との
縁も日常の出来事も変わってくるのだと、知らされた気がします。

いしいさんの小説は今までに数冊読んだことがありますが、エッセイは初めてで‥
いしいさんの日常が、いしいさんの小説世界に繋がっているのはごくごく自然のことの
ように思い始めました。おかしくて不思議で変わっていて、ぐるぐるとした感じなんです。




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駅の子

2012-12-22 11:24:58 | 好きな本

予約をしてから、その本を受け取りに行く、という形で、図書館を利用して
いますが、珍しく、通路を歩いて、本棚にある本を借りてきました。

池澤夏樹さんの、小説です。

夕刊に、1カ月に一度くらい、池澤さんの書いた文章が掲載され、どれも毎回
ああなるほど‥という気持ちで読んでいるので、機会があったら、池澤さんの
本を読んでみようと思っていました。

今回、この本を選んだのは、棚から抜き出したときに、表紙の絵が植田真さんだと
すぐにわかったからです。
余談ですが、この時期は特に、植田さんの絵に反応してしまいます。
この絵本のせいですね。




「キップをなくして」は、1学期の途中から夏休みが始まるまでの話だし、
本の中に挿し絵はないので、表紙の絵を誰が描いているのかなんて
関係ないといえば、全然関係ないのですが、でも、それでも、
本を読み終わった後に、表紙に戻って絵をよーく眺めると、キップをなくして
「駅の子」になってしまった、イタルやミンちゃんが「そこ」に居るようで、
やっぱり植田さんの絵はいいなあと思うのです。


電車の乗ったとき、キップを失くしてしまった経験ありますか?
あるいは通学定期まるごと‥。
キップがないと改札を出ることができず、そういう子は「駅の子」となって
しばし東京駅で暮らすことになるのです。
そんな話だとはまったく知らずに読み始めたので、不思議で新鮮な展開でした。

家族が住む家に帰れない不安を抱えながらも、駅の子としても役割りをこなし、
出会った仲間と協力しながら生活していく、そのどこか張りつめた気持ちが、
ついこの前味わったような感じでよみがえってきて‥集団生活ってこういうの
だったなあと、懐かしくもありました。

駅が舞台の話なので、当然、山手線の駅名とか、SLに詳しい子とか、色々
出てくるのですが、その中に北海道の駅名は難しいね、もともとはアイヌの言葉
だったからね、というくだりがあって。
ルビをふられた漢字の駅名と、時刻表とを照らし合わせながら読んでいく
描写に、ちょっとこころときめきました。
列車に乗って、旅している気持ちがふと蘇ったからでしょうか。



キップを失くした子すべてが「駅の子」になるわけではなく、選ばれているようなの
ですが、どうして、イタルたちが「選ばれた」のか、その理由がちょっと知りたいなあと
思いました。

幼いミンちゃんが、自分の運命を受け入れると決めたときは泣けました。
ちょっとファンタジー?というか、現実離れしてるなあという感もありますが、
でも、読み終わったときの気持ちは清々しいです。




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はじめましての絵本たち@こひつじ文庫

2012-12-21 15:44:10 | 好きなもの・講座やワークショップ

先週の土曜日は、こひつじ文庫さんでの「はじめましての絵本たち」に
参加させていただきました。

11月に、川口でも「はじめましての絵本たち」をやってもらったばかりでしたが、
1カ月足らずの間にも、何冊も新しい本が出ていたし、
一度紹介された絵本でも、場所と、それを囲むメンバーが違うと
また違った感想も聞けるし、その絵本も違う面が見えてきたりして、とても
おもしろのです。

というわけで、11月から12月にかけて、リアルシトロンを入れて、3回も
ナビゲーター、とことこペンギン隊の、三蔵さんに会えたのでした。

こひつじ文庫さんで紹介された絵本は、マーガレットさんがすでにあげて
くださったので、そちらをどうぞ参照してください。

気になった絵本を、ここには載せておきます。
いろんな時代や歴史的な場面の中に
隠れている有名人物を探して遊ぶ絵本。
壇ノ浦の合戦では、安徳天皇や弁慶や義経を探すのですが、ぜーんぶ、あああの人ね
とわかって気持ちよかったです(清盛観てきた甲斐があるなあ・笑)。


11月の時もいいなあと思いました。
また今回も思いました。

 不思議な写真がいっぱいです。
これだけの写真を撮るのにどれくらいの時間がかかったのかなーなんて
メイキングの苦労を思ってしまいました。
関西弁が自由に操れる人が読むのと
こちこちの関東ことばのうそっこ関西弁の私が読むのとでは、おもしろさが全然違うと
思いました。でも、読んでみたいなー。



 絵を描いているのではなく、紙の切り絵で
できているそうです。しかも、切った後に色を付けるのだそうです。



今回買おうと決めたきた絵本です。
家に帰ってからゆっくり読んでみましたが、やっぱり買ってよかった♪です。




講座終了後は、クリスマスの飾りつけがとても美しかったこひつじサロンで
お茶をいただきました。
その時の様子など、はらぺこさんブログにも載っています。

1年ぶりに会えた方も、はじめましての方も、ぜんぜん気兼ねなしに
楽しい話がはずむのは、こひつじ文庫のマーガレットさんのお人柄の
おかげだなと思います。

今回も、どうもありがとうございました。

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クリスマスのこころ・訂正しました

2012-12-12 16:33:06 | 好きな絵本

96ページもあるので、絵本というよりは、よみものなのですが、
バーバラ・クーニーの挿絵がほんとうにステキで、この絵が、物語を
さらによいものにしていると思ったので、「好きな絵本」のカテゴリーに
入れました。



クーニーが絵を描いているクリスマスの本や絵本は何冊もあって、
少しづつ手元に揃えていこうと、何年か前に思い始めて実践しては
いるのですが、この本は、なぜでしょう、順番がなかなかまわってきませんでした。

今回、図書館の「おすすめコーナー」にあったものは、↑の画像の絵がある
カバーが外れていた、赤い表紙のものでした。
箱から出ていた、
カバーの下箱の中には、こんなステキな本体が隠れていたなんて、
それも今まで知らずにきたとは!です。

お話は、アメリカ東海岸の小さな村に住む、ある大家族の、クリスマス前から
当日にかけてが、10人兄弟の真ん中のエルッキ(10歳)を中心に、丁寧に
描かれています。
エルッキたちの両親は、フィンランドからの移住者なので、そこでの暮らしの
風習がところどころに出てきて‥家にサウナ風呂があるとか‥それも興味深いです。


中盤で、おとうさんとエルッキとミッコ(エルッキのすぐ上のお兄さん)の三人で
クリスマスツリーにする木を切り出しにいく場面があります。
その時にエルッキは、お父さんはプレゼントを貰わないのに、クリスマスが
大事だと言い切るのは、不思議だと思います。そうしてこう言うのです。

 「でも、いろいろほしいものがあるでしょう?」エルッキは、
かんがえかんがえいいました。
 お父さんは笑いました。「まあ、おまえも、おとなになってみればわかるさ!
それに、クリスマスは、プレゼントをもらうだけの日じゃない。イエスさまの
お誕生日なんだよ。だから、だいじなのは、プレゼントをあげたいとおもう心なんだ。」

お父さんの言ったこと、ほんとうにそうだなーと思います。
そして、わずか10歳のエルッキも、その「だいじなこと」に気づき、とてもすてきな
そう「とびきりすてきな」クリスマスの日を迎えるのです。



いいお話だなーとしみじみ思います。


*クーニーの、その他のクリスマス絵本*
  

  

  

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ファンタジーだと思いきや

2012-12-11 10:49:39 | 好きな本

ル=グウィンの作品で、題名が『どこからも彼方にある国』、だったら、
なかみはファンタジーに違いないと思いました。



図書館のYAコーナーで偶然見かけ、発行年を見たら
2011年2月だったので、へえーこんな本が出ていたんだぁと
いそいそと借りてみたのです。

表紙の感じからしても、今まで私が読んだ作品からも、今度はどんな
セカイを見せてくれるのだろう、と期待が高まりましたが、しばらく読んで
いくうちに、これはアメリカの高校生男女が出てくる、いわゆる「青春小説」
なのだとわかりました。

発表されたのは1976年なので、私自身が高校生の頃よりも、すこし前の
世代です。
大学へ進むにあたって、主人公のお母さんは、学生運動の盛んな大学は
困るなどど思っているところもありました。

社会情勢や、国の事情は、現代の日本とはもちろん違いますが、それでも
17歳の男女が抱えているモンダイや、その親たちが心配していることは
いつでもどこでも大差がないのだということがわかり、かつて多感な女子高生で
あり、今では、現役女子高生の母となった私は、とても興味深く読みました。
女の子の方が、熱心に音楽に取り組んでいる子だったというせいもあると
思いますが。


青春小説の、じゃあいったいどこに、どこからも彼方にある国 が出てくる
というのでしょう‥?

ちゃんとちゃんと、出てきます。ああそこにあったか、という場所に。


2時間くらいで読めてしまうような話だったけど、やっぱりル=グウィン作品
いいなあと思いました。
未読のものをもっと探して、冬休みにさくさく読んでいきたいです。


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1994年・暑い6月

2012-12-08 17:00:33 | 好きな本

先月、久しぶりに読んだムシェロヴィチ本がおもしろかったので、
邦訳されているもので、未読だった残り1冊を、市外の図書館への貸出
リクエストを出して、借りてきました。



11月に読んだ『ロブロィエクの娘』は1996年のはなしで、
今回のこの本は、その2年前の6月おわりの4日間が描かれています。

主人公は、ボレイコ家の三女のナタリアですが、長女ガブリシャの
娘たち‥プィザとラウラ(ちびトラ)を連れて、海辺の町まで出かけなければ
ならなくなり、突然現れた「いらいら男」から逃げるために、目的地を前に
列車を降りたり、見知らぬ場所でキャンプしたり‥。
特にちびトラの、へんに機転がきく行動のおかげで、ナタリヤは振り回されっぱなし
の珍道中が繰り広げられるのです。

ロードムービー的なナタリアたちとは反対に、家で待つしかないガブリシャたちの
「静」の描写の対比もおもしろく、やはりボレイコ家にとってガブリシャの存在は
大きいなと、また今回も思ったのでした。

暑くて眠れないガブリシャが、早朝、ベランダから外を見ていたら
そこへドムハヴィッツ先生が登場する場面があり、家へ招き入れて朝食を共に
するのですが、その二人の会話は、なかなかよかったです。

赤ちゃんを見つめながら、その子の将来を思うガブリシャが最悪のことを
つい考えてしまうと、とためらいがちに言い流そうとすると、先生はこう言うのです。

賢くて善良な人間になるとしたら、もちろん多くの痛みがこの子を待ちうけて
いるだろう。
だが、それは彼が出会う最悪の事ではない。最悪というのは、一生をテレビの前で
坐って過ごし、満腹にさらに満杯の皿を重ね、しかもそのことに何の疑問も感じず、
穏やかな心でいることだ。一瞬たりとも罪の意識を感じない。何の痛みもない。
閉鎖的で、自己満足的。

中略

生きること、行動すること。大事なのは自分のためではなく、他の人のために。
そう、他の人のためにだ。少しづつ、一歩一歩、レンガを一個一個積み重ねる
ように。

ガブリシャの悩みは、子を持った母なら、だれでも一度は考えたことが
あるに違いないことで‥この子は幸せな人生を歩むことができるだろうか、
なにか恐ろしいことが起こって、この子の行く手を阻むのではないか等など‥。

遠いポーランドで暮らす(本の中の)ガブリシャが、同年代の友であるような、
親しい気持ちでとても近くに感じられました。


本文とは関係ありませんが、この本の見開きに、ポーランドの地図が
載っています。ポズナニという町がどこにあるのか、ワルシャワはどこなのか、
それを見ればわかるのですが‥ポーランドという国は、ロシアやドイツや
チェコなどに囲まれているのだなあと、あらためて思いました。
北へ行けば、ロシアがあり、西へ行けばそこはドイツとの国境‥
島国で生まれ、島国で生きている自分には、地続きで、よその国があると
いう感覚は一生持ち得ないものなのでしょうね。

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