my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

りんごケーキ

2005-11-28 14:55:21 | 好きなもの・お菓子

 先週末、今度はりんごケーキを作ってみました。
友だちのジンタさんが教えてくれたレシピです。見ないと、雰囲気が伝わらないかと思って、一応、写真も載せてみましたが・・・出来上がりはいまいちですね。

 反省点は最後に書くとして、まずは材料と作り方です。


   薄力粉         100グラム
   ベーキングパウダー   小さじ半分
   無塩バター       140グラム
   グラニュー糖      160グラム
   卵           2個
   りんご         1~2個
   シナモン(粉末)     少々

 材料はこれだけ。無塩バターさえ買っておけば、もちろんりんごもですが、思いついたときにすぐできます。りんごは大きさによって1~2個、紅玉系のほうがむいていると思います。

 次に作り方です。


1. オーブンを180度に予熱。型にバター(分量外)をぬる。
  型はタルト型を使っています。直接生地を流し入れるので
   バターをきちんとたっぷりめにぬったほうが、食べる時に
   お皿に移しやすいです。

2. りんごを櫛形に切り、フライパンにバター40グラム、
   グラニュー糖80グラムを入れてりんごの両面を焼く。
   しんなりしたら、火を止めて、シナモンをふる。
   頂いたレシピには、りんごは四つ切と書いてありま
    したが、私は八つ切りくらいにしています。
    薄くても、すこし厚くてもどちらもおいしいです。
   たっぷりのバターでりんごをいため、その時にバター
    と混じったりんごの汁を生地にまわしいれるのが、
    このケーキの最大のポイントです。

3. 残りのバター100グラムをやわらかく練り、残りの
  グラニュー糖と卵を加えてよく混ぜる。

4. 薄力粉とベーキングパウダーを合わせて振るいながら、
  3に混ぜる。

5. 型に4を平らに入れ、2のりんごを上に並べる。
  フライパンの中に残った汁を忘れずに生地の上にかける。

6. オーブンで30~35分焼いたら出来上がり。


 りんごをいためた時のたっぷりのバター&りんご汁が、生地にしみこんで
ケーキのまわりがなんとも言えない、かりっとしたおいしさになりますよ。オーブンから出して、まだ生地がしゅわしゅわしている時から、楽しむことができます。

  で、どこが今回の反省点から言いますと・・・
型のわりには生地が少ないというか、型が大き過ぎた?というか。型全体に生地が行き渡らなかったのです。オーブンに入れちゃえばどうにかなるだろうとそのまま焼いてみたところ、写真に写ってない側にすきまができてます。
 直径26センチの型が大き過ぎたのかー。バターがあまり柔らかくなっていないのに強引に作り始めたので、やはり練りが足りなかったのかー。
 でも、味の方は問題なし。とってもおいしかったです。


 


   

 

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ハリーのセーター

2005-11-25 15:13:34 | ひらきよみ(読み聞かせ)
 先週にひき続き、「読み聞かせ」当番の金曜日です。

 今日は2年生のクラスに行ってきました。読んだ本は、これ
『ハリーのセーター』
 です。(こちらの絵本もすこし前に山猫編集長
紹介していました。読んでみようかなと思ったのも、そこで記事を読んだから
なのですが)

 絵本好きの方ならご存知のとおり、ハリーは、くろいぶちのある 
しろいいぬです。
 お話は、お誕生日におばあちゃんから、プレゼントが届くところから始まります。
表紙を開き、見開きの白いページをめくると、言葉はひとつもありませんが、
もうそこからストーリーは始まっています。椅子の上にプレゼントが置いてあり、
後ろ足で立ったハリーの顔はとても期待に満ちています。もう1枚めくると、
今度は左右両方のページにわたって、ハリーがプレゼントの箱のリボンを
ほどいている絵。そして、ようやくその次のページから本文です。
 
 題名を言ってから、最初の1行を読むまでの、この2場面に2年生の子供たちは
気がついてくれたかな?と思いながら、なるべくゆっくりとページをめくりました。
この始まりの2場面に気がつくと、つかないのとでは、おもしろさの度合いが
ちがうと思ったのです。

 プレゼントの箱からセーターを取り出すハリーの家の子供たち。さっきまでの
表情とは明らかにちがっている、ハリーの顔。セーターに編みこまれている
ばらの模様が気に入らず、みたとたん、すきじゃないな と思ったことが
よくわかります。

 セーターを着せられて鏡の前にいるハリー。街へ出て、他の犬に笑われたハリー。
デパートの売り場でセーターをわざと置いてきて、しめしめと思っているハリー。
それを見つけた知らない人が追いかけて、セーターを届けてくれた時のハリー。
それぞれの場面で、その時々の気持ちを、ほんとうに豊かに、ハリーは表わします。
目と口と耳と短いしっぽの動きだけで。

 ひとりぼっちになった時、セーターから毛糸の端がたれていることに気がつきます。
ほんのすこしだけ、もうすこしだけ、とひっぱっているハリーを、アンテナにとまった
鳥が見ていました。ハリーのほうは、鳥が見ていることには気がつきません。

 この鳥のおかげで、ハリーは へんてこなセーターから解放されました。
そして、鳥にとってもその毛糸はとても役に立ちました。
 せっかくの贈り物をだいなしにされた、とおばあちゃんも怒らず、セーターが
なくなっちゃったと、子供たちも悲しまず、みんなを困らせたハリーは悪い子だと
叱られもせず、最後はすべてが丸くおさまります。とても気持ちのよい
(読んでいる私たちも)、HAPPY END なんです。

 ハリーの絵本が長い間、多くの人たちに愛されているのも、よくわかります。


 さて、2年生のクラスの様子はどんなだったかというと・・・ものすごく真剣に、
途中クスリとも笑わず、聞いていてくれました。(担任の若い男の先生に、真面目に
聞くようにと言われていたのかな、と思いました。小学校での読み聞かせは、担任の
先生方の様子でクラスの雰囲気が決まりやすいのです)
 静か過ぎる時は、読み手としてはすこし不安がよぎるものです。でも、最後の
文章を読み終えて本を閉じた時に、「よかったあ」という安心の表情や、にっこりと
した笑みが2年生のクラスからもれたので、読み手の私も、安心しました。



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ふゆじたく

2005-11-24 15:25:44 | 好きな絵本
 しだいに秋が深まっていく今日この頃。
 
 黄色く変わった柳の葉が、冷たい風に吹かれているところが見たいなあと思い、
家の近所や、自転車に乗ってちょっと遠くの公園まで探しに行きましたが、
イメージ通りの柳は見つかりませんでした。
 私の思っている柳の木は、「やなぎむらのおはなし」に出てくるものなので
見つからなくって当然かもしれません。

 夏には、ほたるのピッカリさんたちと、 『ほたるホテル』を開いたやなぎむらにも
秋が訪れます。やなぎむらの秋のお話は 『きんいろあらし』 です。

 もうすぐ嵐がやってくるよ、と知らせてくれるのは、あかとんぼのアカネさん。
やなぎむらのみんなは、暗くなってきた空を見上げながら、いそいでかくれる場所をさがします。

    にしのほうから くろい くもが
   あっというまに ひろがってきて、
   かぜも つよくなってきました。

    びゅー びゅー びゅー

    かぜが うなります。

 
嵐というと、つい台風を想像してしまいますが、やなぎむらに来たのはどうやら
竜巻のようでした。風がやんで、陽がさしてくると、柳の葉はすべて落ち、
きの まわりは、きいろい おちばでいっぱい になっていました。
 ほっと一息つく間もなく、くものセカセカさんがいないことに気がつきます。
飛ばされたのかもしれないと、大騒ぎしているところへ、再びアカネさん登場。
ほたるいけにセカセカさんが落ちていることを、教えてくれました。

 みんなが急いで池へ行くと、セカセカさんが池の真ん中で泣いています。
  でも こまったことに、ほんとうに こまったことに、
  だれも およげないのです。
みんなは、池のまわりで、ただおろおろするばかり。見開きほぼいっぱいに描かれた池の水の色が、
とても冷たそうに感じられます。手をさしのべて、ひょいとセカセカさんを助けてあげたい、
と思っていると・・・ありのぼうやが、適任者を見つけてきました!

 池の番人のカメキチおじいさんは「おーや、すーい、ごーよ、う」 
すぐにセカセカさんを助けたくれた上、後日、大切なお話もしてくれました。
もうすぐやってくる冬と、雪についての話です。

 やなぎのはっぱを集めて、おちばの家を作り・・・カメキチおじいさんのおかげで、
冬支度もばっちりできました。


 やなぎむらのシリーズの、いいなあと思うところ【その1】は、小さな虫たちだけでは
どうすることもできない事態に遭遇したとき、手を貸してくれる「小動物」が現れる、
というところです。秋編では、カメキチおじいさんの存在は大きいです。
(もう少し寒くなったら書こうと思っている『ふわふわふとん』でも、緊急事態に
救世主(?)が現れて、ほっとする場面があります)

 いいなあと思うところ【その2】は、カズコ・G・ストーンさんの描く絵はほんとうに
美しいということ。色鉛筆と水彩をうまく使い分けて、虫たちの身に付けているものや、
それぞれの表情をとても細かく描いています。

 ↓のページは池に落ちたセカセカさん。
こまったことに、ほんとうに こまったことに、 の場面です。

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はちみつが届きました

2005-11-22 14:40:59 | 好きなもの・お菓子

 ハーブはちみつが届きました。

送ってくださったのは、galleryらふと さん。なぜ送ってもらえたのかといえば、去る10月16日「工房からの風Craf in action」に行った際、娘がスタンプラリーに参加したからなのです。抽選だったので当たることはほとんど期待せず。なので、当たったときに何がいただけるのかもあまり気にしていませんでした。(「工房からの風」がどんなだったかは、まつかぜ日記
にも詳しく記されていますので、そちらをご覧いただければ、と思います)

 さて、ハーブはちみつとは・・・
らふとのディレクターさん が同封してくれたハガキには、「千葉の無農薬キウイ栽培農家のハチミツにハーブとスパイスを入れたもの」と記してありました。膨らむ期待。

 箱をあけ、かわいいボトルを手にとって、ラベルをチェック。

     キウイ蜂蜜
     ローズマリー
     黒胡椒
     胡桃


 ほう~。胡椒が入ってるんだ。蓋をあけて鼻に近づけると、たしかにスパイシーな匂いがしました。そおっーとジャム用スプーンですくってみると、とろりとした感じ。

 ヨーグルトに入れてみようかな、と思いつつ、そのまま口の中へ。さわやかさが舌に残り、「きれがいい」上品な、私好みの蜂蜜でした。ヨーグルトに混ぜるよりも、かりっと焼いた薄めのトーストに、(バターなしの)たらりとのせて食べたいなあと思います。

 
 らふとの皆様、おいしいものをありがとうございました。また伺いますね。

 

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クマくんを見習わなくっちゃ

2005-11-21 15:32:48 | 思い出の絵本

 先週の日曜日はチーズケーキ(ラズベリーソース入り)。
昨日の日曜日は、ココナッツバナナケーキを作りました。お見せできるほど、
上手だったらよかったのですが。

 鍋で煮て、チーズケーキに混ぜたラズベリーは、家のプランターでとれたものを
地道に冷凍して(一度にたくさんはとれないので)おいたものです。
私の勝手な計画では、来年はもっとたくさんとれて、薄ピンク色のきれいな
チーズケーキができる予定・・・です。


 お鍋でジャムを作るといえば、
『クマくんのバタつきパンのジャムつきパン』 柳生まち子作

 もう1冊の『クマくんのはちみつぶんぶんケーキ』とセットで箱に入って、
クマくんのおいしいほん として売っています。(もちろんバラでも買えます)

 クマくんが「バタつきパンのジャムつきパン」をつくろうと思って、
パン屋さんへの道を歩いていると、ウサギくんに出会います。
「おいしいものってなあに?」の問いに、クマくんは「バタつきパンの~」と
教えるのですが、ウサギくんは「ばたばたパンのむにゃむにゃパン?」
聞き返すのです。次に会う、ネコちゃんもおんなじです。

 大人の耳には、十分に聞き取れる範囲の言葉だと思うのですが、小さい子には、
すこし早口で読むと、ほんとにそう聞こえるのか、小さかった頃のうちの娘は、
「ばたばたパンの~」のところで、かなり笑っていました。

 さて、パンを買ってきたクマくんは、ウサギくん、ネコちゃんといっしょに庭で、
いちごを摘み始めます。えー、これからジャムつくるの? 昨日のうちから
作っておけばよかったのに。と思うのは、大人になってしまった私の考え方なのでしょうね。

 クマくんたちは、いちごジャムができた!と思ったら、今度は、
ジャムが さめて とろーりとなるまで、またなくっちゃね。 

みんなで にわを ぐるぐる あるきましょう。 
なんですよ。

そこにリスくんも加わって、4人(4匹?)はぐるぐる、ぐるぐる、ただまるくなって歩きます。
 そうしてやっと、厚く切ったパンの上に、バターをつけて、とろーりとした
いちごジャムをつけて、4人そろって「いただきまーす」

 
 もう1冊の本の中の、はちみつぶんぶんケーキを作るとき、これはクマくん
ひとりきりで作っているのですが、ケーキが焼けるまでの間、オーブンの前で
でんぐりがえりをやっているのですよ!!

 なんでも手際よく、時間を無駄にしない、効率を考えて。

家事だけでなく、これらは、何をするときでも大切なことですが。時にはクマくん
を見習って? 「待つこと」を楽しむことも大切かなあと思ったりしています。
(でもやっぱりオーブンの前で、でんぐりかえし待ちはできないなあ)

 この2冊の絵本は、いちごジャムとはちみつぶんぶんケーキのレシピが、
本文中に載っています。ケーキを作る時は、底がとりはずせないタイプの型を
使うことをお薦めします。底が取れるタイプだと、鉄板の上にはちみつが染み出してきて、
えらい目にあいますので。

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どれがぼくかわかる?

2005-11-18 16:36:33 | ひらきよみ(読み聞かせ)

 今日は「読み聞かせ」のある金曜日。1年生の教室へ行ってきました。
読んだのはこの本、 『どれがぼくかわかる?』 です。

 すこし前に、山猫編集長が紹介している記事で知り、どうしても読んでみたくなり、
図書館で探しました。


 やさしいクリーム色と、鮮やかなグリーンが、交互に地の色に使われていて、
そこに、動物が黒くはっきりとしたふちどりで(そうでない動物もありますが)、
生き生きと描かれていきます。その動物に「なる」のは、主人公のウィリアム。

 こんなふうに、ウィリアムはおかあさんに尋ねます。

  「もしも ぼくが うまに なったら、どれが 
   ぼくか わかる?」
  「もちろんよ。」おかあさんは こたえました。

  ウィリアムは うまの いる のはらへ 
  でかけました。
  ウィリアムは うまに なって、みんなと いっしょに 
  あそびました。

 
大好きな赤い帽子をかぶっていたので、うまになっても、ウィリアムはすぐに
みつけられてしまいます。スカンクになった時も、こひつじになったときも、
おかあさんには、すぐにウィリアムがわかります。

  「みつかった」

 
どの動物になったページも、ウィリアムのその一言は同じです。

(みつかった)→(みつかっちゃった!)→(おかあさんがみつけてくれた)→
(みつけてくれてよかったあ)・

 すぐに見つけてもらったことの喜びと、見つけられたことへの安心がその一言に
凝縮されているのがわかります。おかあさんなら、すぐに見つけてくれるという信頼と、
おかあさんの、力強い返事があるからこそ、ウィリアムは動物になれるのですね。

  「もしも ぼくが ひつじに なったら、どれが 
   ぼくか わかる?」
  「わかるわ。」
  そこで ウィリアムは ひつじに なって、
  みんなといっしょに あそびました。

どの動物に「なる」前も、必ずお母さんが「わかるわ」と言うのを聞いてから、
動物になっているところが、子供の気持ちをよく表わしていると思いました。
(母として、この「わかるわ」の一言を大切にしようと思います)

 
 さて、1年生のクラスで読んでみると・・・
ページをめくるたびに大騒ぎ。すぐにウィリアムを見つけてしまうのです。それはまあ、
ウィリアムが見つかりやすい目印をつけているから、しかたがないのですが。中でも、
一番クラスのみんなが喜んだのは、下の写真の「犬になったウィリアム」でした。



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ぬくぬくのしあわせ

2005-11-17 15:15:20 | 好きな絵本

 ブログをはじめてから、もうすぐ5ヶ月。
 自分の知らない絵本、読んだはずなのに忘れている絵本、懐かしくなって
また読みたくなってしまった絵本・・・。日々いろいろな方のページを訪れては
よい刺激をたくさんいただいて、新たな喜びを見つける忙しい日が続いています。
(もしも毎日の生活がつまらない、退屈している、という人がいたら、
絵本を読めばいいのにー、と声を大にして言いたいです)

 まあ、そんな私の毎日ですが。先日、わくわく本の中で海五郎さんが、
この本を紹介していました。

てぶくろ―ウクライナ民話

 てぶくろ   ウクライナ民話

    エウゲーニー・M・ラチョフ 絵
    うちだ りさこ 訳

    福音館書店



 これは、「お話は知っているけれど、きちんと読んだことがない絵本」でした。
早速図書館で借りてきて読んでみると・・・なるほど、とてもおもしろいのです。
次の次くらいの「読み聞かせ」(2年生のクラス)にいいかも、と思いながら
なにげなく、ふとんの枕もとに置いておきました。

 ところで、小学3年の私の娘。寝る前には自分で本を読むようになり、
「母と子の絵本タイム」は終わってしまったのね、と寂しく思うこの頃でしたが。
ここ数日、なんか本読んで、と言ってくるではありませんか。

 そしてゆうべ、
『てぶくろ』を読んでみました。
私がきちんと読んだことがなかったように、娘にとっても「目にはしたことが
あるけれど、よく知っているわけではない絵本」でした。

 
 森の中で、おじいさんが落としたてぶくろを、最初にねずみが見つけます。
 「ここで くらすことに するわ」
と言って、てぶくろの中へ。つぎにかえるがやってきて、いれて、と
頼みます。3番目に来たのは、うさぎです。うさぎとのやり取りはこんなふう。

 「だれだい、てぶくろに すんでいるのは?」
 「くいしんぼうねずみと ぴょんぴょんがえるよ。
  あなたは?」
 「はやあしうさぎさ。ぼくも いれてよ」
 「どうぞ」

 ここで娘はすかさず、つっこみます。
「自分で足が速いって言う? ふつう言わないでしょっ」
4番めのきつねに対しても、同じくつっこみ。「自分で自分をおしゃれだって」

 そっか。3年生にはそういうふうに映るのね、と思う私。

 それでも、おおかみが出てくると、つっこんでばかりいた娘がちょっと
「身構える」のがわかりました。今までの経験上、おおかみは「こわくて」
「わるもの」が多いですから。

 でも、おおかみも無事にてぶくろの中におさまります。

 次に来たのはパイプをくわえたいのしし。
「えー、これはもう入れないんじゃない」と娘。てぶくろの中はすでに満員です。
ページをめくると、なんと今度は大きな熊が立っていました。
「もう入れるところないよね?」と心配そうな響きさえ、ちょこっと混じる娘の声。
 
 てぶくろは いまにも はじけそうです。

熊が無事に、てぶくろにおさまったところの絵を、私たちは見ることができずに、
お話は終わってしまいます。おじいさんが、落としたてぶくろを探しに戻ってきたからです。


 てぶくろの中に、動物の毛がついていないかな?

そう言ったあと、娘は「っていうか、すっごい小さい熊なわけ?」と
くすくす笑っていました。

おじいさんが拾ってはめたてぶくろは、動物たちの体温で、ぬくもっていたでしょうね。
寄り添って眠る、私と娘のおふとんの中も、まけずにぬくぬくしてました。

 
 
   
  


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よせてはかえす‥

2005-11-16 16:35:18 | 好きな絵本

 幼いころに思い描いた夢のとおりに、今、自分が歩いていたとしたら
それはとっても素敵なことです。

 
 バーバラ・クーニー作 『おおきな なみ』 は、クーニーが自分のお母さんの、
小さかった頃の話を元に作った作品だそうです。
 
 クーニーのおじいさんは、ドイツからアメリカに渡って「成功した移民」。
なので、主人公のハティー(この少女がクーニーのお母さん)は、両親、兄弟と共に
お手伝いさんが居る大きな家で暮らしています。休日には、親戚が大勢集まって
何時間もかけて食事をした後、シタンのピアノの上の油絵を見たり、夏服が
出来上がるのを待って、海辺の町へ避暑へ出かけたりするような生活です。

 ある年、お父さんが、今までの夏の家よりもさらに大きな「新しい夏の家」を買いました。
お姉さんは「プリンセスみたい」と大喜びしますが、ハティーだけは嬉しいのかどうか
わかりません。なぜかというと、今までの夏の家のそばの浜辺がとても好きだったから。
それにお姉さんはおしゃれも大好きだったけど、ハティーが好きなのは、なにより絵を描くことでした。

 年頃になり、お姉さんはお嫁入りし、弟はお父さんの仕事を手伝うようになり、
ハティーは、お父さんが建てたブルックリンのホテルの最上階で、両親と共に暮らします。
(窓からイーストリバーが見下ろせる、相変わらず贅沢な暮らしです)
 
 
 
そしてある日、それは、突然ハティーの前に現れました。

両親と共に出かけたオペラ劇場で、若い女性歌手の歌声が、ハティーの心に染みたのです。
本文では、こんなふうに書かれています。

 ハティーにもわかったのです。身も心も、じぶんの
 すべてをはきだして、絵をかくときがきたのです。

 
翌日、ハティーはすぐに美術学校へと出かけます。手続きを済ませた後、今度は、
コニーアイランドへ向います。

 海辺で、寄せてはかえす波の音を聞くよりも前から、ハティーの胸は高鳴っていた
ことでしょう。自分への期待と、すこしの不安。よせては、かえす波の音が、
どきどきという鼓動とともに、ページの間から聞こえてきそうな気がします。

 どくっ・どくっ・どくっ・・・・と繰り返すそれは、ハティーのものだけではなく、
もしかしたら、私の鼓動かもしれません。幼い頃の夢のとおりでなくても、
「これからの」自分を夢見て、高鳴っている鼓動かも。

 
 本文の最後は、とても素敵なハティーのひとことで締めくくられています。
ここまでくると、これは「お母さんのことを書いた話」だと知っていても、
ハティーがクーニー本人に思えてしかたありません。



このページは小さい頃のハティー。最初の「夏の家」。

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ちょっと早すぎない?

2005-11-15 14:35:49 | 日々のこと

 朝早く雨は上がり、午後からはところどころに青空も覗いていますが。きれいに色づいた公園の木々、紅葉はそんなに長くは続かないので、きらきらと陽に輝くところを、できるだけ多くみたいなあと思っています。

 ところで。

 日曜日の夕方に、スポーツクラブに行きました。いつものように、エアロビクスのレッスンのためにスタジオに入ると‥。「んっ?」 何かがちがう‥そのあとに、スタジオの内の時計を見て、わかりました。

 赤、緑、と点滅するライトが、スタジオの入口と、時計の周りに巻かれていたのです。


 昨日の夕方、いつものように、娘のピアノのレッスンのつきそいへ。先月、初めての発表会が終わったばかりなのに、今度は、クリスマス会の曲を練習しています。先週決った曲は『聖しこの夜』。

ポロン、ポロン、と娘の奏でる音を聴きながら、『カンガルー日和』を読んでいましたが‥、なんか居心地がわるい。  なんで?

         

 (今や日本の常識となりつつあるのかもしれませんが。)
11月中旬から、クリスマスの準備はちょっと早すぎない? 

 
 クリスマスシーズン、大好きですけど。
 最近、ハロウィーンが終わったら、はいはい次はこれね的に、どこもかしこも急ぎ過ぎてはいないでしょうか‥。みっきーたちがランドやシーで踊り始めるのはまあしかたないかと思いますが。行く秋をもうちょっと楽しみたいような‥。(そうだ京都ゆこうみたいですが・笑)気がついたら、もう12月だね。という「間」のようなものを与えてほしいような‥。
 
 このまま年末まで走り続けるの??? とまた今年も焦り始める季節が来ました。

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それはきれいな

2005-11-10 16:55:47 | 好きなもの・音楽や本

 昨日の夕刊に載っていたので、読んだ方もいるでしょう。
とってもいいなあと思い、ここにも残しておきたくなりました。         

              
    
わらい       

    それはきれいな薔薇いろで、  
    芥子つぶよりかちいさくて、  
    こぼれて土に落ちたとき、  
    ぱっと花火がはじけるように、  
    おおきな花がひらくのよ。  
    もしも泪がこぼれるように、  
    こんな笑いがこぼれたら、  
    どんなに、どんなに、きれいでしょう。
       

          『金子みすヾ童謡集』 (ハルキ文庫)より  


 そういえば、娘の国語の教科書に、わたしと小鳥とすずとが
載っていたなあと、思い出しました。 

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【受け入れる】ということ

2005-11-09 17:20:47 | 好きな絵本

 昨日。
「鏡」→「カンガルー日和」→佐々木マキ→「やっぱりおおかみ」と続いていって、
『やっぱりおおかみ』を何度も読んでいたら、”やっぱり”記事として、
残しておきたくなりました。


やっぱりおおかみ 

 おおかみは もう いないと
みんな おもっていますが
ほんとうは いっぴきだけ
いきのこって いたのです。
こどもの おおかみでした。




 こんな書き出しで、主人公のおおかみはシルエット〈影〉だけの、
そんな絵本なんて、いったいなんなんでしょう!?決しておこっている
わけではありません。ものすごく感心・感動しているのです。

 ひとりぽっちのおおかみは、うさぎの町、ぶたの町、しかの町など、
自分に似た子をさがしてまわります。せりふ(おおかみの話すことば)は
とっても少ないのですが、人気のない遊園地の、誰も乗っていない
メリーゴーランドに、その寂しい気持ちが反映されて、見ている
(読んでいる)こっちも少しだけ寂しくなります。

 おおかみはこれからどうするのだろう‥

 ビルの屋上につながれてあった気球のロープが切れて、空に浮かび、
空の中に消えていくさまをみているおおかみ。

 そして彼は気がつきます。
自分は自分であることをやめることができないということに。
おおかみである自分を、受け入れて生きていくことの清々しさに。

 
 ときどきは、誰でも自分が嫌いになったり、別の人をうらやましいと
思ったりすることがあると思います。(もちろん私もそうですが)
でも、自分が自分を否定してしまったら、それは自分がかわいそう。
せめて、自分だけは自分を好きでいてあげたいなあと思います。

 それと、自分に嘘をつかないこともだいじなこと。おおかみは、
ぶたやしかやうしの町では、自分がしあわせになれないことを
ちゃんとわかって、ひとりのほうを選んだのですから。

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20年前に閉じられたページ

2005-11-08 15:41:03 | 好きな本

 昨日、今日と気持ちの良い秋晴れが続いています。仕事場の窓から見える
公園の木々も、いつのまにか、色が変わっていて秋らしさを伝えてくれています。

 大好きなバーバラ・クーニーの絵本『にぐるまひいて』の記事を書いたことから
繋がった、ブログで知り合った方たち。その中のまた
別の記事を読んでいたら、
村上春樹氏の作品が、高校の教科書に載っていることがわかりました。

 なんの作品が載っているのか知りたい!!(そうなんです、私は20年来の村上ファン
なのです。)さっそく調べてお返事くれた、
ほぼ是好日のくっちゃ寝さん、
ありがとうございました。

 その作品は『鏡』とのこと。
 題名を聞いただけでは、内容は思いさせず、いろいろ検索した結果、
それは
『カンガルー日和』という短編集に入っていることがわかり、ほっとしました。

 その本なら持ってるもんね。

と、喜んだあとに、でもまったく内容を覚えていない自分を思い出して、ちょっと
こわいような、困ったような気持ちにもなりましたが、まあ、その気持ちはちょっと
棚の上にのせておいて‥早速本を取り出しました。

 目次を見ると、7番目に『鏡』は載っています。他には、「4月のある晴れた朝に
100パーセントの女の子に出会うことについて」とか「あしか祭り」とか、最近

『ふしぎな図書館』
というタイトルでリライトされた「図書館奇譚」とか、表題作の
「カンガルー日和」とか‥。

 どれもこれも、題名だけでは思い出せないなあと、ぱらぱらページを繰っていたら、
なんと映画の半券がしおり代わりに使ってあるのを発見!渋谷のシネセゾンのだということは
わかりましたが、ああ残念。【何の】映画を【いつ】みたのかは、記されていませんでした。

 1983年9月17日~21日。(私がその本を読んでいた日付・)

 後ろの見開きには、そう書いてあったので、かれこれ20年以上(正確には22年)も
そのしおり代わりの半券は、ページとページの間に静かにおさまっていたことになります。

 もしも、教科書に載っていた作品のことを知らなければ、シネセゾンの半券が
しおりとなって残っていたことを、まだまだずっと知らないで過ごしていたかもしれません。
見つかったからといって、別にいいことがあったわけでも、得したわけでもないのだけれど、
なんだかふっと嬉しいのです。

 佐々木マキさんの絵だったなあ、最初のほうの村上本の表紙、と思ってカチカチPCを
いじっていたら、こどものとも50周年記念ブログ『やっぱりおおかみ』を見つけました。
1973年10月号のこどものともだったのですね。全然知りませんでした。
作家インタビューの中で佐々木マキさんがおっしゃって(書いて)いることに、
うんうんと頷きました。ぜひ、行って読んでみてください。

 
 シネセゾンの半券は‥またカンガルー日和に戻しました。
今またはじめから、初めて読む本のように読んでいるので、しおりとして使おうと
思っています。この本の読書タイムはピアノな時間です。
 

 

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あしどり かるく

2005-11-05 17:23:24 | 好きな絵本

 なりたい自分はありますか?  

 何歳になったら、あんな服を着て。いつかはああいうふうな感じの女性になりたい、と
10代、20代の頃にあこがれていた人よりも、今の自分のほうが「年上」になってしまったかも、
と思うとこわいような、寂しいような気持ちもしますが。とりあえず、健康で、背筋がしゃんと
伸びていて、知的好奇心を忘れない人でありたいなあと思っています。

エマおばあちゃん



エマおばあちゃん





 バーバラ・クーニーによって描かれている、エマおばあちゃんは、72歳、グレイのタイツと
黒のパンプスがよく似合っています。「かぼちゃのたね」という素敵な名前の猫とふたり暮らし。
子供や孫たちからは同情されているけれど、実はそんなに寂しい暮らしではないと思います。
だって、木登りが大好きで、木から降りられなくなった「かぼちゃのたね」を助けることもできるし、
贈られた絵では満足いかず、自分で絵を描き始めるのですから。  

 72歳になった自分が何をしているか、誰と暮らしているかわからないけど。
こうだったらなあ、こうしたいという幾つかの希望。

 その1 名前で呼んでくれる人、呼び合うことができる人が周りに
      いること。(夫や友人からはいつまでも名前で呼ばれたい
      ということ)

 その2 ヘアカラーをいつかやめて、白い髪で、長く細い
      ブレイドスタイルにする。(ラスタの人たちのようにドレッド
      にしたいけど、まっすぐな髪では無理なので)

 その3 お出かけの時は、エマさんのようなパンプスを履き、軽い足取りで歩けること。
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エミリーに球根を贈った少女

2005-11-04 17:25:06 | 好きな絵本

 クロッカスの球根を買いに行った時、もちろんユリの球根も、
売り場で見ました。私、ユリの花がとっても好きなんです。けれど、
それの球根は大きくて、ごつごつしていて、それに単価も高くって
(一つや二つではなく、ある程度の数の球根を植えたかったので)
ちょっと手が出ないなあと、思っていました。

 ユリの球根で思い出すのは、ほるぷ出版から出ているこの絵本です。
エミリー マイケル・ビダード文 バーバラ・クーニー絵 掛川恭子訳 

 表紙に描かれている青いコートを着た女の子は、エミリーではなく、
このお話の語り手の「わたし」です。詩人のエミリー・ディキンソン
妹とともに住んでいる向かいの家に越してきたのです。 
エミリーは近所で評判の「なぞのひと」。20年近くも家の外に出たことが
ないらしいのです。

「わたし」の家は3人家族。ピアノが上手なお母さんに、花の手入れが好きな
お父さん。エミリーがお母さんに宛てた手紙(ピアノで奏でる曲を聞かせに
来てくださいという主旨)の中に入っていた花が「ブルーベル」であることも、
それがとても、もろい花だということもお父さんは知っていました。
お母さんが、花をもっていっていいわ、と言ってくれたので、ブルーベルは
少女のものになりました。
 
「わたし」はお父さんと一緒に、サンルームで花に水遣りをしながら、
エミリーのことを色々尋ねます。興味しんしん‥。
「詩ってなあに?」の問いに対して、お父さんはこんなふうに答えます。

 「ママがピアノをひいているのをきいていてごらん。
  おなじ曲を、なんどもなんども練習しているうちに、
  あるとき、ふしぎなことがおこって、その曲がいきもの
  のように呼吸しはじめる。きいている人はぞくぞくっと
  する。口ではうまく説明できない、ふしぎななぞだ。
  それとおなじことをことばがするとき、それを詩と
  いうんだよ」

 
お母さんが、エミリーの家にピアノを弾きに行く前の日、「わたし」は、
エミリーの家が正面に見える窓辺に、ユリの球根を一列に並べます。
元の家から木の箱に入れて持ってきた大切な球根です。少女は、かさかさで、
死んでいるように見える球根も、なかに命がひそんでいるから 
春になったらぐんぐん大きくなるのだと、お父さんが話してくれたことを
ふしぎななぞだと思っています。
 世の中とかかわろうとしない、人と触れ合うことを拒む、エミリーのような
人間がいることも、また少女にとっては「ふしぎななぞ」です。
 
 ふしぎななぞが世の中にはたくさんある。

 少女は、謎は謎のままとして肯定します。そしてブルーベルを貰ったように、
自分からもエミリーへ贈ることができるものをさがします。

 エミリーと同じような、真っ白い服の両ポケットから少女が差し出した
ユリの球根。描かれている少女とエミリーは、こわいほどに無表情ですが、
しんとした佇まいの中から静かな喜びが、時間とともに染み出てくるのが
わかります。

 やがて春になりー。

 「わたし」はお父さんに手伝ってもらいながら、ユリの球根を
自分の部屋の下に植えます。高い生垣のむこうにある庭で、きっとエミリーが
球根をうめているにちがいないと、その姿を思い浮かべながら。

 
 こうして最後までお話をたどっていくと、エミリー・ディキンソンという
孤高の詩人が実在の女性であったなら、彼女にユリの球根を贈った多感な少女も
またほんとうに居たように、私には思えてなりません。
 でも、だいじなことは、どこまでが本当で、どこからが作ったお話かではなく、
どれくらいお話の中に入り込み、お話の世界に浸り、そこから感じ得たものを
胸の中の自分の場所に、しっかりと残しておく、ということだと思います。


 

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