南斗屋のブログ

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文政10年9月下旬・色川三中「家事志」

2022年09月30日 | 色川三中
土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第二巻をもとに、気になった一部の大意を現代語にしたものです。

文政10年9月21日(1827年)晴 甲子 天社
夜、大黒天、五条の天及び庚申を出して祭る。天道大黒天も出す。この大黒天の画は有徳院吉宗公のときに、画家に命じて描いたものと言われており、何枚と残っていないであろう。この画と五条の天神の御影は川口の蔵にあって、子年の火事から焼け残ったものである。
#色川三中 #家事志
(コメント)
本日は「天社」=天社日(天赦日)。最上の大吉日とされている日。様々なものを出して祭っています。「子年の火事」は1816年の土浦の大火のことで、三中の人生に大きな影響を与えています。「有徳院吉宗公」は徳川吉宗のこと。有徳院は吉宗の戒名です。

文政10年9月22日(1827年)晴
蔵入帳をはじめてこしらへ、薬の出入りを先規により確認した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
本日の日記に蔵入帳というのが出てきますが、これまでに日記では言及されておらず、唐突に出てくるので、何のことかよくわかりません。三中は薬種商なので、薬の管理をしていなかったとは思えないのですが、蔵入帳ははじめてこしらえたと書かれています。ちょっとよくわからないところです。

文政10年9月23日(1827年)晴
所用をこなすため河原代(龍ヶ崎市)へ、谷田部佐助と利八を同道し赴く。日之沢の二十三夜様を参詣(いつもは代参)。八つ過ぎ細井氏宅へ。佐助はいつもどおり藤代、板橋へ遣わす。細井氏から酒肴をだされる。夜までよもやま話をし、歌の道、国学、医談、薬品のことを話し、細井氏宅に泊まる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
仕事がてら細井氏(風流仲間)宅へ泊まりに行くのがメインの目的のようです。細井氏は土浦に先般泊まりにきたばかりですが(9月20日条)、その時の続きとばかりに今回は現在の龍ケ崎市内にある細井氏宅に泊まって、歌の道、国学、医談、薬品のことを話したのでした。

文政10年9月24日(1827年)
朝はやく布川(利根町)へ行く。途中長沖(龍ヶ崎市)に寄り、子年の火事まで店にいた者に会いに行く。火事により暇を出さざるを得なかったが、今は元気でやっているようだ。用が済んだ後、八つ過ぎに細井氏宅に戻り、泊まる。
#色川三中 #家事志
(コメント)
「子年の火事」は1816年の土浦の大火のことで、この火事により色川家は大打撃を受け、過大な負債を負うことになりました。三中が懸命に債務整理をせざるを得ないのもその故です。しかし、三中は元気です。火災により解雇した元従業員を訪ね、無事を確認したのも復活にかける三中の意気込みの一つでしょう。

文政10年9月25日(1827年)晴
細井氏同伴で龍ヶ崎の稲葉氏宅を訪れる。稲葉氏はエラブウナギというものを入手し、それを見に行くためである。エラブウナギは江戸の薬屋でも見たという人を聞かない。これを用いれば水腫の奇薬になるといわれている。
稲葉氏からエラブウナギを見せてもらったが、確かに奇なるものである。酒肴や中食まで出していただき、話は八つ半まで及んだ。お泊りになってはと誘われたが、私は辞去し、酒に酔う足取りではあったが、土浦まで帰った。
#色川三中 #家事志
(コメント)
細井氏と共に水腫の奇薬になるといわれているエラブウナギを見に出かけています。三中が「エラブウナギ」と書いているのは、イラブーと呼ばれているもののようで、沖縄県図書館さんがレファレンスに回答してくれています。

イラブー(うみへび)の薬効について知りたい | レファレンス協同データベース

レファレンス協同データベース(レファ協)は、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築する調べ物のための検索サービスです。参加館の質問・回答サービスの事例、調べ...

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文政10年9月26日(1827年)
【編集より】本日三中殿は日記をお書きになりませんでした。昨日は酒に酔いながら夜道を帰っており、お疲れになったのでしょうか(明日には再開予定)。
#色川三中 #家事志

文政10年9月27日(1827年)晴 庚申
・20日に間橋でけんかがあり、人が一人死んだ。
・22日夜、小金村の飛脚が布佐の土手で殺された。飛脚は金を持っていないので、誤って殺されたのであろうか。
#色川三中 #家事志
(コメント)
20日及び22日に人殺し事件。20日は傷害致死事件、22日は強盗殺人事件のようです。色川三中の日記には人が死ぬような犯罪はほぼ記されておらず、ここにきて立て続けに凶暴事件が発生していますた。

文政10年9月28日(1827年)辛未 晴
深谷の隠居が60歳、70歳の祝いに歌を作り、短冊としてあったものが2階に放ってあるのだが、細井氏がほしいというので渡すことにした。土浦の大火にも焼け残ったものである。昔の面影があり、名残り惜しい心地もするので、日記に記しておく。
#色川三中 #家事志
(コメント)
何となく放っておいた隠居の歌が書かれていた短冊。三中にとってはいらないものなので、風流仲間の細井玄庵に渡すことにしました。三中が昔を思い出すときは、必ず土浦の大火を思い出してしまうようです。大火にも焼け残ったものを手放すのが少しだけ心残りな三中でした。

文政10年9月29日(1827年)
【編集より】本日三中殿は日記をお書きになりませんでした。理由はよくわかりません。この年は9月に30日はありませんので、9月はこれでおしまいです。
#色川三中 #家事志



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