橋本誠一先生が翻刻した「市原郡村々民事々件諸用留」についてブログ記事を書いたことがあるのですが、ふと思い出してその翻刻が納められている「明治初年の裁判ー垂直的手続構造から水平的手続構造へ」を再び手にとってみました。
同書を読みながら、「市原郡村々民事々件諸用留」とググってみましたら、先生の翻刻は、無料でダウンロードすることが可能なんですね(正確には、「ある代言人の業務日誌: 千葉県立中央図書館所蔵「市原郡村々民事々件諸用留」」。
https://shizuoka.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=8837&item_no=1&page_id=13&block_id=21
この業務日誌を書いた代言人は、市原郡(現在の千葉県市原市)在住の鳥海秀七氏。明治7(1874)年5月1日から始まっていますが、内容からすると、業務日誌というよりは、事件の記録とでもいうべきもののようです。
1874年5月1日は金曜日なのですが、「休庁」とあり、裁判所は閉まっています。しかし、翌5月2日(土)も3日(日)も裁判所で仕事をしているので、どうやら裁判所は土曜とか日曜とか関係なくやっていたようです。5月1日の次の休庁日は6日(水)で、その次は11日(月)なので、4勤1休体制のようです。
官公庁で土曜半休・日曜休日制が実施されたのは、1876(明治9)年で、それ以前は、1868(明治元)年9月の太政官布告により、31日を除く1と6のつく日を休日としていたということですから、千葉裁判所もこの太政官布告に従っていたことがわかります。
「5月2日 午前8時頃裁判所へ出る。着御届申し上ぐ。」とあります。
8時には裁判所は開いていたようです。
裁判所に出頭したら、「着御届」というものが必要だったようです。鳥海氏はこの後も頻繁に裁判所に出頭→着御届と書いています。
5月2日の記載の続き。「午後4時頃まで控えおり候ところ、脇屋様御掛りの分、一同明日まで罷り出るべく」と裁判所から言われたとの記載があります。
午前8時から待たされて、午後4時になって初めて「掛りが脇屋の分は明日来るように」と言われたということ。私なら、これきっと怒ると思うんですが(というよりも、4時になるまでに何か裁判所にいうと思います)、鳥海代言人は「御掛り様、ご病気にてご出勤のなき様子に御座候」―掛りの脇屋様が病気で出勤していない様子だーと淡々と書くだけです。
今では考えられないノンビリさということなのかもしれません。裁判所の方でも平然と待たせていたのでしょう。
今年は江戸時代が終わって150年の節目の年です。
私は歴史が好きなので、昔の裁判というのはどういうものなのかに興味があります。
その中でも千葉県での裁判ということになると、これを知るには「千葉県弁護士会史」をおいてほかにはないのではないかと思います。
「千葉県弁護士会史」は、千葉県弁護士会が1995年に発行したもので、既に絶版。古本でも売ってないもので、市場流通がされていないという貴重というかマニアック過ぎる本というなそういう部類のものです。
発行当時に千葉県の弁護士には無料で配布されましたので、書籍をきちんと蔵書されている方は今でも書棚にあるのではないでしょうか。
かくいう私は暫く蔵書していたはずですか、いつのときにかブックオフさんに売却した記憶があり、今は手元にはありません(笑)。
さて、明治時代の当初は弁護士というものがどうだったのかといいますと、そもそも「弁護士」という言葉自体がありませんでした。
「弁護士」と呼ばれるようになったのは、1893(明治26)年からなのです。
それ以前は、「代言人」と呼ばれていました。
しかもしかも当初は試験自体がなかったのです(試験ができたのは1877=明治9年)。
代言人となった人はどのような人だったのか、どうやって活動していのかは非常に興味があるところですが、この辺はほとんど史料がないようで、「千葉県弁護士会史」では全くといってよいほど論述がありません。
だだ、 「代言人の 資格を定めなかったため 無学 無識の 代言人を 多数輩出させる いわゆる三百代言の悪名を残してもいる」ということしか書いておりませぬ。
つまりは、史料がなくてお手上げ状態だっため、「三百代言」という言葉に言及したに過ぎないということなんでしょう。
こんなマニアックな本ですら、明治当初の代言人の活動が書いていないのならば、これはもうお手上げなのかと思っていましたら、昨年(2017年)5月に面白い本が出版されていました。
「明治初年の裁判」(橋本誠一著)
著者は静岡大学の教授で、法学がご専門らしい。
この中で、「ある代言人の業務日誌」という章があって、その副題が「千葉県立中央図書館所蔵『市原郡村々民事々件諸用留』」となっています。
「ある代言人の業務日誌」は文字どおり業務日誌でそれを翻刻したものです。翻刻した文章が延々と掲載されていて、あとはどうぞ皆さんでお読み下さいという体裁になっている。
うん、ちょっとは解説が書いてはあるんですが、ほんの一部。それを手がかりに読むほかありません。
翻刻されたものといっても、漢文みたいなものなのですよ。
その漢文調の文章と悪戦苦闘して、噛み砕いて説明してくれる方がいれば良いのですが、今のところそのような方も出ていないようです。
「市原郡村々民事々件諸用留」とググってみたところで、検索結果として表れるのは、橋本教授のお名前ばかり。
千葉の方もまだ気が付かれていないのか、少なくともネットの世界では全然広がりをもっておりません。
私のこの駄文が「市原郡村々民事々件諸用留」が少しでも広まる契機となれば良いのですが。