―左利きの子にやさしい環境を整えよう―
左利きの子に対する実際の手助けとしては、環境を整えてやることができます。
私たちが日常使用する道具には、元々左右対称形に作られていて、使う手を選ばない品物がかなりあります(例―普通の箸やスプーン、フォークなど)。
しかし、ハサミや刃物のような使う手を選ぶものも少なくありません。
こういうものに関しては、必ず左手・左利き用品を与え、左手でも苦労することなく、右利きの子供たちと同じレベルで様々な作業ができるようにしてあげましょう。
幸い、昨今は色々な左手・左利き用品が出回っています。これを用意しましょう。
あるいは、様々なユニバーサル・デザインと呼ばれる、右手でも左手でもどちらでも両用可能な商品(共用品)も開発されています。
手に合わない道具を使うと、うまく作業ができず、自分は不器用なダメな子ではないかと自信をなくす場合があります。
しかし、自分の体にあった専用の道具を使うと、右利きの子と同じようにでき、何事にも積極的に取り組む「ふつう」の子になります。
家庭内では、なるべくユニバーサル・デザインの左右の差がないものを用意しましょう。こうすれば、右利きの家族でも左利きの子でも、あまり不便さを感じることなく使うことができます。
たとえば、シャープのどっちもドア冷蔵庫は、左利きに配慮した結果生れた商品ではなく、本来は置き場所に困らないための設計です。しかし、結果としてどちらの手でも開けられることになり、使い勝手が格段にアップしています。
三菱クリンスイの浄水器のどっちもレバーは利き手に配慮した設計から生れたものですが、それのみならず、最近の浄水器はU字型レバーが標準のようになって来ています。また、洗面台の蛇口でも、蛇口とレバーが左と右に分かれたセパレーツ型だけでなく、レバーと蛇口が上下一体型になった製品も出ています。
これらは右利き左利きに関わらず、片手がふさがっているときなど便利な物になっています。
(その他に家族が共用する道具で言いますと、お茶を入れる急須は、注ぎ口と取っ手が上から見てへの字型になっているものは右手で使うように設計されているので、左手で使うのに不向きです。注ぎ口と取っ手が一直線になっている左右対称形のティーポット型か、弦状の取っ手がついている土瓶形がよいでしょう。
意外に気になるのがバターナイフです。これも普通のものは上から見ると左向きの刀のような形になっています。右手で持ってバターをカットしてすくって塗るのに便利なようになっています。真っ直ぐな板状のものも出ているようなので、こういうものに変えるか、あるいはジャム・スプーンを代用しましょう。
さらに、子供に料理のお手伝いをしてもらうなら、ピーラーも芽取りが左右についているものを用意する。レードルも片注ぎ口タイプは避ける。片手鍋は両側に注ぎ口があるものにするなど、ちょっとした配慮が必要です。)
このように見てくると、左利きの子に配慮した環境は、必ずしも右利きの人にとって不利になるとは限らないのです。
*
食事や書き物などでテーブルに座る席順も、左利きの子には左側に十分スペースを取れるようにしてやる。逆に右利きの人は右側に、といったちょっとした配慮で、生活の不便さが緩和されてきます。
(例えば外食の際などに、左利きの人のなかには、隣の人と肘が当たらないように左端の席に着くように心がけているという人も少なくありません。)
食事の給仕の際も、四角四面にご飯茶碗は左、おかずは右とか決め付けずに、その子の利き手に応じた設定を心がける。給仕する人が左利きの対応の仕方が自分でわからないなと思ったときは、左利きの子に自分の食べやすいように並べ替えればいいのだよ、と一言添える。
和食でも洋食でも決まったルールがあり、それぞれの伝統に則って配膳すべきではないか、という意見があります。
しかし、一流のレストランでもお客様が左利きとわかれば、それ以後は左利きに応じた給仕をしてくれる、と聞いたことがあります。左利きの握りすし名人と呼ばれる「すきやばし次郎」も、左手ですしを召し上がるお客様には左向きに出す、と言います(山本益博・著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書)。
世の中には右手が使いやすい人や左手が使いやすい人など様々な人がいて、それぞれに応じた自然な動作や仕草があります。
規則を守るのは大事ですが、その運用は人情を考慮するべきでしょう。
『論語』の「学而第一・十二」で有子(有若、孔子の晩年の弟子)は、「礼の用は、和もて貴しと為す」礼儀作法の実行(用)はなごやか(和)なのが大切だ、と言っています。新渡戸稲造も『武士道』で、礼は愛である、心がこもっていなければならない、形だけの礼は偽物という意味合いのことを説いています。
配膳も相手が食べやすいように、という気配りです。大部分の人が右利きなので、右利きの人が食べやすいように並べるのがルールの基本になっています。最大公約数に合わせて、こうしておけば「まずは無難だ」というものです。
本来は、作法のための作法ではなく、人のための作法です。形にとらわれて本質を見失ってはいけないと思います。実際に不都合や不便さが出てくるのは、その本質を見失っているからでしょう。
フォーマルな場であれカジュアルな場であれ、みんなで和やかに食事できるのが一番大切なことです。
さて、基本ルールはこうだという一般常識はどう教えればいいのか、というと、右利きの人の席でお手本を示せばよいのです。
そして、これが"多数派の右利きの人用のルール"で、たいていの人は右利きなので、これが使いよい形として"基本形"になっている、と教えればよいのです。
*
こういう風に、基本的な部分で、常に右左の違いを認識し、その差が出ないように心がけましょう。
どうしても日常の生活では、ついついこの左側の視点を忘れてしまいがちです。
逆に言えば、物事の多くが右側の視点に立って作られているということを。
これは左利きの私でもそうなのですから、右利きの人は余計に気を配らなければ難しいかと思います。
とはいえ、人間は慣れるものです。
必要以上にこだわりすぎないのが、肝心です。あまりまわりのものがピリピリしすぎると、子供も神経質になり、マイナスです。時にはドーンと太っ腹に構えて見て見ぬふりをする時も必要かもしれません。
この辺の加減が難しいですね。
結論:
左利きに配慮した環境は必ずしも右利きの人に不利になるわけではなく、どちらの立場の人にも優しいものとなりうる要素を持っているのです。
左利きにも優しいユニバーサル・デザインは、"誰にでも優しく"を実現するための助け合いのシステムです。誰かが一方的に便利さを享受するのではなく、誰もがそれなりの負担もするという考え方だと思います。異なる立場の人の便利さのためには、時には多少の不便さには目を瞑るものでもあるのです。
左利きの子にはそれにふさわしい環境を与える努力をしてください。それがその子の幸せにつながるのです。
そしてわが子の幸せは親の幸せです。
できれば、他人の幸せも自分の幸せ、と考えられるようにしたいものです。
※『レフティやすおの左組通信』に「レフティやすおの左利き私論3・左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ」のページを設けています。過去に『お茶でっせ』で発表したものをすべて転載しています。
※注:参照=加地伸行全訳注『論語』「学而第一・十二」講談社学術文庫、同著『<ビギナーズ・クラシック中国の古典>論語』巻末「『論語』から生れたことば・ことわざ」角川文庫。
この言葉は、このあとに和やかさが大切といっても、なあなあになってはいけない、節度を持って両者がつりあわなければならない、という意味の文が続きます。しかし、根本はまず和やかであることです。
※本稿は、ココログ版「レフティやすおのお茶でっせ」より転載して、テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。
左利きの子に対する実際の手助けとしては、環境を整えてやることができます。
私たちが日常使用する道具には、元々左右対称形に作られていて、使う手を選ばない品物がかなりあります(例―普通の箸やスプーン、フォークなど)。
しかし、ハサミや刃物のような使う手を選ぶものも少なくありません。
こういうものに関しては、必ず左手・左利き用品を与え、左手でも苦労することなく、右利きの子供たちと同じレベルで様々な作業ができるようにしてあげましょう。
幸い、昨今は色々な左手・左利き用品が出回っています。これを用意しましょう。
あるいは、様々なユニバーサル・デザインと呼ばれる、右手でも左手でもどちらでも両用可能な商品(共用品)も開発されています。
手に合わない道具を使うと、うまく作業ができず、自分は不器用なダメな子ではないかと自信をなくす場合があります。
しかし、自分の体にあった専用の道具を使うと、右利きの子と同じようにでき、何事にも積極的に取り組む「ふつう」の子になります。
家庭内では、なるべくユニバーサル・デザインの左右の差がないものを用意しましょう。こうすれば、右利きの家族でも左利きの子でも、あまり不便さを感じることなく使うことができます。
たとえば、シャープのどっちもドア冷蔵庫は、左利きに配慮した結果生れた商品ではなく、本来は置き場所に困らないための設計です。しかし、結果としてどちらの手でも開けられることになり、使い勝手が格段にアップしています。
三菱クリンスイの浄水器のどっちもレバーは利き手に配慮した設計から生れたものですが、それのみならず、最近の浄水器はU字型レバーが標準のようになって来ています。また、洗面台の蛇口でも、蛇口とレバーが左と右に分かれたセパレーツ型だけでなく、レバーと蛇口が上下一体型になった製品も出ています。
これらは右利き左利きに関わらず、片手がふさがっているときなど便利な物になっています。
(その他に家族が共用する道具で言いますと、お茶を入れる急須は、注ぎ口と取っ手が上から見てへの字型になっているものは右手で使うように設計されているので、左手で使うのに不向きです。注ぎ口と取っ手が一直線になっている左右対称形のティーポット型か、弦状の取っ手がついている土瓶形がよいでしょう。
意外に気になるのがバターナイフです。これも普通のものは上から見ると左向きの刀のような形になっています。右手で持ってバターをカットしてすくって塗るのに便利なようになっています。真っ直ぐな板状のものも出ているようなので、こういうものに変えるか、あるいはジャム・スプーンを代用しましょう。
さらに、子供に料理のお手伝いをしてもらうなら、ピーラーも芽取りが左右についているものを用意する。レードルも片注ぎ口タイプは避ける。片手鍋は両側に注ぎ口があるものにするなど、ちょっとした配慮が必要です。)
このように見てくると、左利きの子に配慮した環境は、必ずしも右利きの人にとって不利になるとは限らないのです。
*
食事や書き物などでテーブルに座る席順も、左利きの子には左側に十分スペースを取れるようにしてやる。逆に右利きの人は右側に、といったちょっとした配慮で、生活の不便さが緩和されてきます。
(例えば外食の際などに、左利きの人のなかには、隣の人と肘が当たらないように左端の席に着くように心がけているという人も少なくありません。)
食事の給仕の際も、四角四面にご飯茶碗は左、おかずは右とか決め付けずに、その子の利き手に応じた設定を心がける。給仕する人が左利きの対応の仕方が自分でわからないなと思ったときは、左利きの子に自分の食べやすいように並べ替えればいいのだよ、と一言添える。
和食でも洋食でも決まったルールがあり、それぞれの伝統に則って配膳すべきではないか、という意見があります。
しかし、一流のレストランでもお客様が左利きとわかれば、それ以後は左利きに応じた給仕をしてくれる、と聞いたことがあります。左利きの握りすし名人と呼ばれる「すきやばし次郎」も、左手ですしを召し上がるお客様には左向きに出す、と言います(山本益博・著『至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術』新潮新書)。
世の中には右手が使いやすい人や左手が使いやすい人など様々な人がいて、それぞれに応じた自然な動作や仕草があります。
規則を守るのは大事ですが、その運用は人情を考慮するべきでしょう。
『論語』の「学而第一・十二」で有子(有若、孔子の晩年の弟子)は、「礼の用は、和もて貴しと為す」礼儀作法の実行(用)はなごやか(和)なのが大切だ、と言っています。新渡戸稲造も『武士道』で、礼は愛である、心がこもっていなければならない、形だけの礼は偽物という意味合いのことを説いています。
配膳も相手が食べやすいように、という気配りです。大部分の人が右利きなので、右利きの人が食べやすいように並べるのがルールの基本になっています。最大公約数に合わせて、こうしておけば「まずは無難だ」というものです。
本来は、作法のための作法ではなく、人のための作法です。形にとらわれて本質を見失ってはいけないと思います。実際に不都合や不便さが出てくるのは、その本質を見失っているからでしょう。
フォーマルな場であれカジュアルな場であれ、みんなで和やかに食事できるのが一番大切なことです。
さて、基本ルールはこうだという一般常識はどう教えればいいのか、というと、右利きの人の席でお手本を示せばよいのです。
そして、これが"多数派の右利きの人用のルール"で、たいていの人は右利きなので、これが使いよい形として"基本形"になっている、と教えればよいのです。
*
こういう風に、基本的な部分で、常に右左の違いを認識し、その差が出ないように心がけましょう。
どうしても日常の生活では、ついついこの左側の視点を忘れてしまいがちです。
逆に言えば、物事の多くが右側の視点に立って作られているということを。
これは左利きの私でもそうなのですから、右利きの人は余計に気を配らなければ難しいかと思います。
とはいえ、人間は慣れるものです。
必要以上にこだわりすぎないのが、肝心です。あまりまわりのものがピリピリしすぎると、子供も神経質になり、マイナスです。時にはドーンと太っ腹に構えて見て見ぬふりをする時も必要かもしれません。
この辺の加減が難しいですね。
結論:
左利きに配慮した環境は必ずしも右利きの人に不利になるわけではなく、どちらの立場の人にも優しいものとなりうる要素を持っているのです。
左利きにも優しいユニバーサル・デザインは、"誰にでも優しく"を実現するための助け合いのシステムです。誰かが一方的に便利さを享受するのではなく、誰もがそれなりの負担もするという考え方だと思います。異なる立場の人の便利さのためには、時には多少の不便さには目を瞑るものでもあるのです。
左利きの子にはそれにふさわしい環境を与える努力をしてください。それがその子の幸せにつながるのです。
そしてわが子の幸せは親の幸せです。
できれば、他人の幸せも自分の幸せ、と考えられるようにしたいものです。
※『レフティやすおの左組通信』に「レフティやすおの左利き私論3・左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ」のページを設けています。過去に『お茶でっせ』で発表したものをすべて転載しています。
※注:参照=加地伸行全訳注『論語』「学而第一・十二」講談社学術文庫、同著『<ビギナーズ・クラシック中国の古典>論語』巻末「『論語』から生れたことば・ことわざ」角川文庫。
この言葉は、このあとに和やかさが大切といっても、なあなあになってはいけない、節度を持って両者がつりあわなければならない、という意味の文が続きます。しかし、根本はまず和やかであることです。
※本稿は、ココログ版「レフティやすおのお茶でっせ」より転載して、テーマサロン◆左利き同盟◆に参加しています。