当院には安産治療でご来院いただく妊婦さんも多くいらっしゃいます。今週はふたりの赤ちゃんが誕生しました、皆さんおめでとうございます(^^)
おふたりとも初産でしたが、それぞれ出産に要した時間は8時間、4時間だったとのこと。初産としてはとても早く、鍼灸による安産治療の効果を実感していただけた様子です。
鍼灸による安産治療は決して陣痛の痛みを軽くするわけではなく、子宮口の全開大が早く進むようにお手伝いするものです。出産に要する時間のほとんどが子宮口が全開大になるのを待つ時間なので、ここを手助けしてあげることで結果的に出産に要する時間を短縮でき、安産に繋がるというわけです。陣痛はめっちゃ痛いので、そこはお母さん、がんばってください(;^^)
今週生まれた赤ちゃんは男の子と女の子でしたが、一般的には出生時に確認された外性器の有無によって「男」か「女」かに二分されます。ところが性別は簡単に二分できるものではなく、肉体的、精神的に性別が曖昧な方が実はそれなりにいらっしゃいます。近年はLGBTQに代表されるトランスジェンダーに対する認識も一般的になりつつありますね。
そんな性別判定を巡り、パリ五輪のボクシング女子66キロ級に出場しているアルジェリアのイマネ・ケリフ選手が大きな話題となっています。
【パリ五輪】性別騒動の女子ボクサーが開始46秒で勝利、対戦相手が棄権https://t.co/0keC1OJtay
— ライブドアニュース (@livedoornews) August 1, 2024
昨年の世界選手権で性別適格性検査に不合格となったイマネ・ケリフ(アルジェリア)とアンジェラ・カリニ(イタリア)が対戦。序盤から強打を浴びたカリニは棄権を選択し、怒りの声も上げていた。 pic.twitter.com/0hbD0R4yXA
東京五輪にも出場していたケリフ選手ですが、昨年のアマチュアボクシング大会ではXY染色体を持つ体であること、男性ホルモンであるテストステロンの値が高いことなどが問題となり、試合に出場できなくなるという出来事がありました。それでもパリ五輪のボクシング女子66キロ級には問題なくエントリーされていましたが、パリ五輪ではケリフ選手のパワーに不安を感じた対戦相手が試合を途中棄権するという事態となって、あらためてケリフ選手の出場が問題視されるようになりました。
【パリ五輪】性別騒動のボクサーが46秒勝利、イタリアの首相は猛反発https://t.co/oce7LuSsnd
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試合直後、イタリアのジョルジャ・メローニ首相は、「公平な試合ではなかった」と指摘。「IOCには同意できない」「男性の遺伝的特徴を持つ選手は女子競技に参加すべきでない」と主張した。 pic.twitter.com/CmstAPXkbZ
国際ボクシング協会はこの件について「IOCが五輪出場を認める理由を明確にすべき」という声明を出し、ケリフ選手を女子選手として扱うことへの疑問を呈しています。
【パリ五輪】性別騒動ボクサー問題、国際ボクシング協会が声明https://t.co/bsv4Jj2iuI
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公平性と安全性について疑問を提起。「IOCが競技上の優位性を持つ選手に競技に参加することを許可している理由を明確にするために、関係者はIOCに直接回答を求めるよう強く勧める」と主張している。 pic.twitter.com/8GhCzL0nFi
SNSではケリフ選手を「心が女性でも肉体的には男性」「トランスジェンダーは女子競技にエントリーすべきではない」という意見が大多数を占めています。
ところがケリフ選手はトランスジェンダーではありません。生まれつき外性器もなく、女性の体で生まれ育っています。もちろん性自認は女性です。彼女は「アンドロゲン不応症」という疾患を抱えるアスリートなのです。
アンドロゲン不応症患者の身体的特徴や性自認は女性であるため、男性になれるはずもありません。性分化疾患(インターセックス)に翻弄されるケリフ選手は心身ともにまぎれもなく「女性」。これはいわゆるトランスジェンダーの問題ではないのです。
ケリフ選手がXY染色体を持つことも、男性ホルモンであるテストステロン値が高いことも事実です。しかしながら、男性ホルモンを受け取る受容体が反応しないことも事実。ケリフ選手の肉体は彼女自身の努力で作られたものであり、そこに性別は無関係であることは多くの方々が知らない事実であり、広く知られるべきです。
それらの事実をふまえた上でケリフ選手が女性として女子競技に出場することの可否が問われなければ、この議論は正義の仮面を被った性差別になってしまいます。
SNS上での発言の大半は事実関係を誤認しています。繊細な議論が必要な事案だからこそ、正しい知識を得た上での発言であるべきだと思うのです。