実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

男女 実戦教師塾通信八百六十七号

2023-06-30 11:38:38 | 子ども/学校

男女

 ~安直さと息苦しさ~

 

 ☆初めに☆

多くの方から、ロシアに関する質問を受けました。でも、今回の情勢を読み解くカギは、すでに提出しています。前々号を再度お読みいただければ幸いです。クズや真実が入り混じる様々な情報の中から、いい選択が出来るはずです。とりあえず、プーチン政権にはみっともない情報が、ロックもされず垂れ流されたことを忘れたくないですね。

国会でLGBT法案が通過しました。自民党の山東昭子前参院議長は、この与党修正法案が参院での採決の際、退席しています。彼女が批判するのは「トイレなどへ侵入目的の容認につながる」というもので、この法案によって新たな性犯罪が生まれるかのような錯誤に陥っていると思えます。それでも、この法案に関する議論が「生煮え状態」であることに同意するのをためらいません。与党はG7への間に合わせとして、野党は「いいものはいい」なる思考停止状態だったと思わざるを得ません。少し基本的な場所に戻りたいと思います。

 

 1 「遅れている」日本

 LGBTと呼ばれてしまう若者が、仲間にいる。「呼ばれてしまう」というのは、本人がその呼称を「気に入らない」からだ。トイレはどうしてるか、聞いた。初めての所では、まず男女兼用のトイレを確認してますと、さらっと言う。彼女(彼?)には、いちいち探すなんて不当なことだ、という異議はなじまないようだ。おそらく「好きにしたい」比重が「大変」を上回っている。しかし、大変に思う人が、LGBTの「T(トランス)」に多くいる。自分の「性」に違和感を持つ人たちだ。そんな違和感で肩身の狭い思いをすることはないというのが、LGBT法案の出所だったはずだ。

 早期の対処が望ましいけれど、この問題に気づき対処出来るのは、問題の性質上、早くて思春期である。いろいろ話を聞くけれど、幼少期は親の好みで洋服の色ばかりでなく、スカートやズボンを選んであてがったりしても、問題なく過ぎる。小学校も高学年、場合によっては中学年で、服もだが、子どもがトイレや着替えに抵抗を覚えるとなると、問題は別だ。こういうことに対し、日本は諸外国に比して遅れているという批判が頻々としている。外国では「男」や「女」の表示はなく「トイレ」とあるだけ/床や天井にすき間がなければ完全個室で問題はない。更衣室に関しても同じだ。完全なパーテーションが施されることで、問題は解決される。なるほど、諸外国は、ずい分お金持ちのようだ。性の平等というものには、ずい分お金がかかるらしい。もしかして、諸外国って「先進国」というやつ? だいぶ以前、某国に旅行した時、噂に聞いた下水を改造したようなトイレに遭遇。下に流れる下水に向かって、大きな方も用を足す。前方からは別の方のモノが流れて来るのだが、この国は「諸外国」ではないのだろう。

 

 2 毛深い

 個別の事情に対応することが、全てにわたった解決法であるかのように言われる昨今だ。ひとりひとりの不自由が解決されるのは、いいに決まってる。しかし「解決」なるものは、その時々で変化する。絶対的なものはない。

 第二次性徴という、厄介な奴がいる。遅かったり早かったり、その「徴(しるし)」の度合いも様々だ。「来ちゃった!」「もう生えた!」「濃い!」等々、どっちにしても自分はおかしい、と悩み苦しみを呼ぶ。目出度く「ほぼお揃い」になるまでの数年間、悩み苦しむ。若者というカテゴリーは、第二次性徴において健在のようだ。これとLGBTの絡みは安易に語れないが、共に通じるのが「羞恥」だ。たとえば「毛深い」こと。これも男女問わず個別スペースで解決する、だろうか。男子の小・トイレでは、大体が一歩前に出てズボンを下ろして、そして中学生は全員が隠すように行う。大の男もそうするが、その事情は若干異なって来る。いや、今は「毛深い」ことに論点を絞ろう。この悩ましき男子トイレ問題は、実際に個室化すべきだという声も上がってるのだが、それで解決するのだろうか。

 更衣することの問題も、個室化で羞恥の場から解放されるのか。そんなはずはない。無事に着替えたとして、仲間からの視線は依然として存在する。水泳の授業でもマットの授業でも、いや普段から、半袖の陰にあるものが目に触れるのではないか、という不安は消えない。夏でも長袖のジャージを着せていると言って、学校を批判する保護者やニュースを目にするが、熱中症なんかよりも怖いものがある生徒がいるのだ。それは「毛深いことを差別(だと!)してはいけない」ことで解決されるのか。多くの子どもたちは結局、この第二次性徴期という青春の苦しみを「しのいで」大きくなった。金持ちの家なら脱毛処理という道もあるが、金の力は未来の自分の力になるだろうか。トイレや更衣室の個別化なるものは、あくまでその場しのぎの対処法だ。「毛深い」ことや「男」や「女」の問題は究極的には、周囲からの理解や周囲との折り合いの付け方になるだろう。それは終わりのない大変な道のりなのであって、初めから「みんな一緒で、それがいい」と位置づけられることは、理解の有無ではない「触らぬ神に祟りなし」のそしりを免れまい。大体が、様々な事情に関わらず、人間同士が理解し合うことの大変さを私たちはは忘れてはならないはずだ。

 

 3 若干の脱線をしつつ

 国際障害者(1981)年の頃と思う。視覚障害者のために音の出る信号設置で議論になったことがある。確か野坂昭如だったと記憶している。近くの人がその人の手を引けばいいことではないか、と言ったのだ。それこそ「諸外国ではそうしている」と。「何かお困りですか(Can I help you)?」である。お金が無駄だと言ってるのではない。「そこにいる」相手と向き合うことが大切なのだ。目の不自由な仲間が、トイレがどこか分からないので誰か教えてくださいと呼びかけた時、近くでヒールの音が急に早くなったのは悲しかったと言っていた。教えてくれたのは小学生だったという。誰でも生きられる社会とは、目の前にいる人とどう向き合うかを抜きにあるものではない。カッコつけて、実は自分たちのやれることも行政にお任せする。ヤングケアラーも同じだ。政治が悪いだの子どもの学習権を守れだのとおしゃべりする前にすることがある。いやこの場合、その家族の、言うならば「絆」のことを考えないといけない。

  相手との距離はあった方がいいというコロナが助長した社会を、少しでも変えたいですね。

 

 ☆後記☆

7月は明日からですが、こども食堂「うさぎとカメ」まで二週間となりますので、お知らせしま~す。

初めての試みで、スパゲティです。副菜に力を入れようと思います。サラダとなってますが、夏野菜のごろごろソテーで行こうと思いま~す みんなぁ、いよいよ7月だぞぉ。あと少しだぁ

オオタニさん、凄くないですか? インタビューシーン、パクりました。代打で兜をかぶった水原さんの通訳です。

鹿児島の「丸武産業」が、今度は全身の甲冑を寄贈したそうで、アナハイムの球場入口に燦然と輝いてるらしいです。100年先に多分、こんなすごい選手が日本人にいた、と語りぐさになるんですよね

昨日から福島に来てま~す