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多様性 実戦教師塾通信七百七十三号

2021-09-10 11:15:23 | 思想/哲学

多様性

~「みんな違って、みんないい」?~

 

 ☆初めに☆

パラリンピック終わりました。オリンピックもそうでしたが、パラリンピックも同じく興味がありません。私のような不届き者から見ると、ずい分な「健常者」からのエールがあふれてました。当事者はともかく、どうしてこんなに簡単に「みんな違って、みんないい」と言えるのだろう。また、選手の「だからあなたも頑張って」という言葉を聞くと、ニュース画面から目を背けてしまいます。これはパラリンピックに限らず、活躍をする人物から「希望や感動を与えるため頑張ってる」などという御託を聞く時の気分と、大体同じです。イチロー的世界からは、ほど遠い世界です。

方や期間中に、男女の違いをことさら取り上げることはいいのだろうかと言われました。「可愛い」ことと競技は関係ないだろうという。それはまあいいとして「豪快」なる言葉まで、使用回数をチェックされるというご時世です。「男勝り」「女々しい」など、論外なのでしょう。こういう世界を表現するために、「狭隘(きょうあい)」という言葉があるのです。

今回は身体的ハンディキャップのカテゴリーではなく、ジェンダーの領域で整理しておこうと思います。

 

 1 AV店で

 前も取り上げた、LGBTの話で考えてみようと思う。「みんな違って、みんないい」をLGBTに持って来れば、ゲイもレズもその他もない。これは余りに乱暴だ。思春期によくみられる極度な同性への接近やあこがれまでも、LGBTと括(くく)られてしまうんではないか、と私はおののくのだ。現状は、それぞれのカテゴリーが自由に行き来することを許さない縛りを持っているのは間違いない。やっぱり男(女)でいたいとか、女(男)と結婚し直したいという「転向」を許さない勢いがある。女同士の結婚で失敗し離婚したと知るや、それ見たことかという反動的なリアクションも、そんなことをバックに起こる。離婚の原因が女同士だったとは限るまい。相性が原因だったのかもしれない。

 単純ではないな、と思った経験をひとつ。私はごくたまに(本当に「ごくたまに」です)AV販売店に出向く。だいぶ前だが、居並ぶディスクの、あるジャケットに驚いた。あられもない姿で写っているコの、可愛らしい胸元から下に視線を移すと、股間に結構なイチモツがぶら下がっていたからだ。しかも勃起していた。普通に考えて、不快なことが原因で起きる現象ではない。さて、このコが感じている快感は、男としてなのか女のものなのか。きっとどっちでもない、どっちでもいいのだろう、というのが私の結論だった。大切なことは本人の気持ちであって、他人が決めることではない、と。こういった本人の気持ちは「みんな違って、みんないい」なのだろう。だったら「混乱する人がいてもいい、承認するのに時間がかかっていい」というサブフレーズも欲しいと思うのは、私だけではないだろう。雪崩を打ちそうな「多様性」は、あまりに性急でいい加減だ。

 

 2 はるな愛

 私たちの多くがたどって来た道は、自身が抱えた「不全感/欠如感」への対応だったはずだ。イザナギ&イザナミの日本人初の営みも、

「我が身は成り成りて成り余れる処一処あり。故、この我が身の成り余れる処を持ちて、汝が実の成り合わざるところにさし塞(ふさ)ぎて、国土を生みなさむ」

と、イザナギの余分な身体(ペニス)と、イザナミの欠けた身体(ヴァギナ)が結合するものだ。『古事記』における「不全感/欠如感」は男女の違い、それも生理的身体の克服が課題となっているように見える。しかし、私たちは乳幼児を観察して分かる通り、この「性の違い」を、彼らは自由に超えていく。彼らが相手を異性と限定することなく、同性/近親/獣などと自由に絡み合うからだ。この複雑かつ自由な往来が、時間の経過とともに一定の限られた道に収束していく。同時に彼らは、その過程で多かれ少なかれ「傷」を負う。それで、中学入学時にスカートを決意し、でも男子トイレに「頓着せず」入ったりする。また深い「傷」を負ったものが暴力的「解決」を目指して、幼児を性的な対象に選んだりしてしまう(こともある)。後者のようなケースも「トランスジェンダー」と呼ぶほど、今の世の中は寛容だろうか。逆に、様々な性の在り方を「トランスジェンダー」と一括することの乱暴は、考えられないといけない気がする。おそらく「みんな違う」からだ。成長する過程で受けた「傷」の数だけ「違う」からだ。ここで生じているはずの違和感を「それで(みんな)いい」とするのは、相手のみならず自分への不誠実と言える。

 「男の子の服を買うのも好きな」はるな愛は、積極的/肯定的感覚をいつも披露してくれる。彼女は性的少数者のことを「わからなくていい」と言う。「わからないことをなくす」より、相手が「どうして欲しいと思っているのかを聞ける」ことが大切だと言う。そして、自分のような性別適合手術を受けた人間に対して、「ホントは男のくせに~」とからかえる気軽さが、今の世の中から締め出されていると感じている。「みんな同じ」という錯覚は、私たちを常に「部外者」の人間にする。

 ついでながら、コロナのお蔭で「多様性」の建前とやらは、吹っ飛んでしまっている。ワクチンを接種したものには、対策が強い県境を越える承認がささやかれている。ワクチンの効果や副作用が一向に議論されてない現状で、こんなことが俎上(そじょう)に上がる。ちなみに、ワクチンによる死者数と原因について、データは明らかにされていない。そして、さあどっちにするんだ、というのだ。

 

 ☆後記☆

舞台『砂の女』を鑑賞させてもらいました。詳しくは次回レポートします。前座として、劇場・世田谷パブリックシアター近くのカレー屋さんでのお昼のことを。夜は牛タン専門店となるカレー屋さん、この日は牛すじカレーを食べたのですが、いや、ターメリックライスに驚きました。お店の方に思わず「これってタイ米ではないですよね」と尋ねました。日本米ですよ、の答に「よくもここまで……」と感嘆の声をあげると、「ひと工夫加えました」と嬉しそうな顔でした。パブリックシアター近くの交番裏のお店です。機会があったら、ぜひ皆さんもどうぞ。

タケシ、やられましたね。車好きですよ。この日はロールスロイスだったそうです。いつだったか、ジェームスディーンが事故死した時の車と同じ、ポルシェ550スパイダーに乗ってるのには驚きました。とにかく無事でよかった。明日のニュース7デイズは見逃せませんね。

☆☆

こども食堂「うさぎとカメ」、来週となりました。牛丼風の豚丼です。食欲の秋、味わってください。

最後は、「和さび」です。右側は穴子の天ぷらです。和さびさんは、いつも骨をから揚げにしてくれます。ひと手間かかるんですがね、嬉しい。今回の家呑みセットは、稚鮎の三種揚げ、この苦みがたまらない。いつだったか、板長の「太ったのも、あれはあれでいいもので」のコメント、良かったなあ。