実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

『万引き家族』 実戦教師塾通信六百八号

2018-07-13 11:31:38 | 子ども/学校
 『万引き家族』
     ~『誰も知らない』人たち~


 1 そしあるハイム
 私もそうだったが、是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)を見た人は、あの時提示されたことが、今も変わらずにあること、そして深化したことを知らされたのではないだろうか。カンヌでこの映画を見た審査員や各国の記者が、
「日本にもこんな実態があるのか」
と驚いたという。しかし私たちも、
「現実は常に目の前にある」けれど、
「それが見えないのは、私たちがそれを見ようとしないからだ」
と思い知ったに違いない。


 この映画を見てすぐ思い出したのが、今年1月末日の深夜、札幌の生活保護受給者対象の、自立支援施設(「そしあるハイム」)が全焼したニュースだ。この施設は生活困窮者を金もうけの対象とする、いわゆる「貧困ビジネス」ではなかった。こんなことはすぐに分かったのだが、施設の運営法と運営者に対し、多くの方面から容赦ない攻撃が加えられた。
「生活保護費から支払い」
「施設にスプリンクラーなし」
「違法建築野放し」
これらのちっとも「知らない」人々の非難に対し、代表は「入居者の方々に本当に申し訳ない気持ちだ」と話した。しかしやがて、おずおずと口を開き、
「私たちは一体どうすれば良かったのでしょう」
「私たちにそんな(スプリンクラー設置)余裕はなかった」
「誰かあの人たちを助けてください」
と言ったことを思い出した。

 2 「誘拐(ゆうかい)」という「救助」
 「そしあるハイム」の時もそうだった。なんにも「知らない」人々(私たち)は、こんなことをしていたら、いつかは悲惨な事件になることが分からなかったのか、貧困な人たちは事故にあったのではない、殺されたのだ等々と「分かったようなこと」を言った。今まで「分かる必要のない」場所にいた人間は、他人事に「悪いことは悪い」とさえ言っていればいいのだ。
 映画では、逮捕された「両親」と警官との会話のシーンに、日本中の「『誰も知らない』人たち」の事件が重なって見える。「両親」の見事に反転した答は、警官の発する質問が「ひっくり返っている」ことを示すのだ。しかしそれは、決して交(まじ)わることがない。
『おばあちゃんの死体を遺棄(いき)したのはどうして?』
「あの人は、棄(す)てられてたの。私たちが拾ったのよ」

『どうして女の子を誘拐(ゆうかい)したの?』
「お金やものを要求したわけじゃない」
「私たちはあの子を助けたのよ」
『あの子の母親に悪いと思わないの?』
「子どもを産んだら母親って言えるの?」

この尋問(じんもん)は、小さい「ユリ(ホントは樹里)」に関するものだが、ユリの「兄さん」(翔太)も多分同じだ。
 上の写真はそうでないが、目のあたりが能年玲奈ソックリさんの翔太が、男の子だと分かるまで時間がかかった。この翔太も多分、まだ「乳飲み子」の時「拾われ」ている。場所は(千葉県)松戸のパチンコ屋の駐車場。その駐車場に停められていた「赤いヴィッツ」の中に、彼は「棄てられて」いた。そんな込み入った事情は、「家族」が全員補導されて一気に露出(ろしゅつ)する。

 3 「希望」の向こう
 わが子を虐待してしまう「親」が、
「しつけのためだった」
と繰り返すケースが後をたたないためか、
「しつけに体罰は必要か」
なる議論がまことしやかに見られるようになっている。こんなものを育児のスタートラインにしようというのだ。親が困惑しているときは、子どもも混乱しているのは道理だ。問題の解決を、一方的に子どもが引き受けないといけないとするのは、親の「敗北」以外の何ものでもない。親はせめて、この「敗北感」を背負わないといけない。それが子どもに対する、わずかな「償(つぐな)い」だ。
 「しつけに体罰が必要」なのではない。子に手をあげる親がどうしてわが子を「かわいい」と思えないのか、そこを解明しようとする「気持ち」が本当のスタートだ。
 映画は、様々な「絶望」と「希望」のあり方を示している。「万引き家族」に「救われた」ユリは、二カ月後「本当の」家族のもとに帰る。「無事に」戻った日、大好きなハンバーグを食べさせたという「本当の母親」のインタビューが悲しい。ユリが好きなのは「麸(ふ)」だった。
 まったく無表情に戻ってしまったかに見えるユリは、しかし前と変わった姿を見せる。「本当の母親」から、
「ごめんなさいと言いなさい」
と言われても謝(あやま)らない。
「新しい洋服を買ってあげるから」
「謝りなさい」
という引きつった声にも従わなかった。ユリはこの時「万引き家族」で生活していた時の服だった。強くなったユリが幸せになれるわけではない、という映像はたまらなく悲しいのだが、
 「愛されたという確かな記憶」は、人を強くする。
のメッセージが、スクリーンから流れて来る。
 また、「万引き家族」の「母親」は「ユリがかつて愛されたらしい痕跡(こんせき)」を見いだす。翔太は、それがどうやら「本当の祖母」が原因らしいと、ユリとの会話で気がつく。しかし翔太はそれを、
「もう忘れちゃいな」
と言い放つ。もうそこに幸せはないんだとも、幸せはここから探すしかないんだとも聞こえた。

「家族」と離ればなれになった(された)翔太は、
「もうお父さんやめて、普通のおじさんになるよ」
元気なく「父親」に言われる。そして「父親」をバス停に置き去りにする。バスをずっと追いかける「父親」。後ろを振り返るんじゃないとユリに言ったはずの翔太は、バスの中から後ろを振り返るのだ。



 ☆後記☆
「兄」と「妹」にまつわる「両親」の話ばかりになりましたが、「祖母」と「長女」にも語りたいことは盛りだくさんです。

東京の広い空の下、ビルのすき間から聞こえる(「見えない」ので)隅田川の花火は、「家族」の切ない「幸せの姿」でした。
 ☆ ☆
明日から三連休、そして夏休みは目の前ですね。子どもたちも先生たちも頑張れ~

   毎年、猛暑の中で咲いてくれるんです。かわいい

 ☆ ☆
麻原以下7名の信者が刑を執行されました。いいのでしょうか。これで麻原は、本当に未知にして永久の存在=「神」になってしまったと思えます。まずいですよ。