実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

ふるさと(下)  実戦教師塾通信三百七十八号

2014-04-30 12:39:09 | 福島からの報告
 ふるさと(下)


 1 『美味しんぼ』を支持する


「風評被害を助長(じょちょう)する」
と、『美味しんぼ』が批判されている。原因不明の鼻血の描写(びょうしゃ)がいけないという。実物を読まないといけないのだが、私(たち)の経験を言うにはいい機会だと思った。
 初めてここに書く。しかし震災直後の福島では、そして私たちの現場でも結構話題になったことだ。福島入りしてひと月ぐらいした時、私は鼻血を出している。朝、鼻がむずむずすると思ったら、鼻血だった。結構な量なのだ。疲労かのぼせか知らないが、こんなことは高校生のころにあったかな、などと思った。しかし、それは私や私たちだけではない、福島県でずいぶんな話題となっていった。
 私が自分の鼻血を見て思ったことは、
○他に体調が悪いわけではない
○このことを言ったところで、医者も行政もきちんと答えられないだろう
○このことを言ったところで、周りは心配するだけだし
○様子をみよう
だった。私の周囲の同じ経験を持つ人たちも同じだったはずだ。「ただちに健康に影響がない」ためもあり、どうにもしようがない。
 『美味しんぼ』も小学館も頑張っていると思う。放射能と戦い、立派な野菜を作っている福島の農家に、
「私たちが力になります」
と、山岡(主人公)たちがはっきり言ったのは、もうずいぶん前のことだ。実直(じっちょく)な作者は、きっと綿密(めんみつ)な取材をやっている。双葉町長の発言が出ているともあった。前の井戸川町長のことだろう。
「もどれる場所ではない」
と、双葉ばかりでなく、福島県全体をそう呼ぶ町長がなかなか支持されないのも仕方ないのかもしれない。しかし、町長が政府・東電の主張ややり方のいい加減さを訴(うった)えた人であることは間違いない。
 私たちはもう気がつかないといけない。
「科学的・客観的な根拠(こんきょ)がどこか」
という設問自体が、原発と放射能への対処を遅らせ、それに加担(かたん)していることに、だ。そして、
「不安なものを抱(かか)えつつ生活することのおかしさ」
に向かわないといけないことに、だ。
「おいオマエ! なにやってんだ!」
ボランティアが道で線量検査をしていると、怒鳴られたのは郡山だ。前にここで書いた。こんなことが「風評被害」の周囲で起こっている。
 「鼻血」のことを書くのは、もう「立場」の問題となっている。
「そんな根拠もないことをしてはいけない」
とするのでなく、『美味しんぼ』は、不安に向かう、そして不安を口にする「立場」に、
「私たちは立ちます」
と言っている気がする。
 『美味しんぼ』を支持する。


 2 「ここは『ふるさと』ではない」

 思い立って、久しぶりに「パオ広場」に行った。相当熱心な読者でないと、このパオは知らないはずだ。パオが始まったのが2011年の秋と記憶している。私がそこから遠ざかって、もう一年以上になる。仮設住宅のひしめくど真ん中に「パオ広場」はある。新刊に載(の)せたものと同じだが、パオの写真。
      
 予想にたがわず留守番のスタッフがひとりいるきりだった。私は、すみません、と扉(とびら)をくぐる。
「なんでしょうか」
と、これも予想通りだった。もう知っているスタッフはここにいない。
 すぐそばにある自立生活センターの事務棟(とう)に行く。奥から顔を出したなじみのスタッフは、私の顔を見るなり、
「コトヨリさん! 誰かと思った!」
と叫(さけ)んだ。
 彼女は私がパオで言われた「なんでしょうか」に「ひどくショックで、ひどくがっかりした」ようだ。三年前、誰が顔を出そうと、パオは、
「こんにちは」「いらっしゃい」「大丈夫ですか」
だった。被災者はそのひと言で中に入れた。それが日を追うに従い、
「なんでしょうか」
となった。心がけが変化したのではない。
 あの頃、パオに来るのは「逃げてきた」人たちだ。被災者はようやく体育館や公民館(避難所)から移ったものの、当然落ち着くわけにはいかなかった。人々のここはどこ?という自問(じもん)は、比喩(ひゆ)ではなかった。パオの開催/共催する散髪(さんぱつ)やマッサージ、絵手紙や炊(た)き出しなど、すべてがその作業のお手伝いとなった。時を追うに従い、人々はパオから遠ざかった。それはもちろん「ここがどこか分かった」からではない。疲労やあきらめの中で被災者が手に入れたのは、
「ここが『ふるさと』ではないことだけは確かだ」
という気持ちだったと思われる。パオに訪れる人は次第に少なくなる。訪問者(ほうもんしゃ)がたまに姿を見せれば、スタッフは、
「なんでしょうか」
と言うようになったのだ。


 3 「頭のいい人はうまいことやんだよ」

「去年からツバメが巣を作ってさ」
仮設から新しい家に移ったおばちゃんの家に今年もツバメがやって来たという。写真の壁は、外ではない。玄関の中なのだ。
            
「おかげで夜になるまで戸が閉めらんねえんだよ」
とこぼすのだが、まんざら迷惑(めいわく)そうでもない。
 家には、やはり仮設から新しく自分の家に引っ越したお客さんがいた。顔を合わせれば津波の話よと二人がいった。いわき海岸に育った二人とも戦争体験者で、
「(アメリカの)艦載機(かんさいき)が、海から次々上がって来んだよ」
と、その時の恐怖(きょうふ)を語る。
「そんな思いをまたしようとは思わなかったよ」
 津波のあと応募(おうぼ)した仮設住宅は、
「7人家族が住める広さではない」
と断(ことわ)られた。ようやくありついた市内の3LDKアパートは、7人家族で芋を洗うような生活だった。
「第一仮設住宅に『二世帯分』で申請(しんせい)すりゃよかったんだよ」
はなっから一世帯という頭しかなかった。
「頭のいい人はそうやってんだけどよ」

 私は今、あちこちで聞かれる、
「双葉(地区)は金払っても、仮設に残りたいってよ」
「帰れるのに帰らねえんだ」
「ここだったら病院も買い物も便利だしな」
という数々の言葉を思い出す。みんな被災者のつぶやきなのだ。我が身の不幸をこぼす時に、誰かの悪口をはさんでしまう。
 心ここにあらず。私は被災者がイベントの時、必ずと言っていいほど歌う『ふるさと』を思い出した。もちろん喪(うしな)ったものへの思いなのだ。しかし、それだけでは足りない。それは私たちが歌う響きとはまったく違っている。隣り合って歌っている被災者どうしは、心ここにあらず、なのではなかったろうか。
 今、被災者の苦しみや悲しみが、なんの関係もない人への憎(にく)しみへ変わることを、私たちはどうにか出来るだろうか。

 「絆」という言葉を、私たちは慎重に使うべきなのだ。


 ☆☆
『チームバチスタfinalケルベロスの肖像』見ましたよ。いやあ、映画っていいですねえって素直に思いました。たくさんの人が殺されるのに、いい人しかいないように思えるというか、みんなだんだんいい方向に向かっていくという感じで爽(さわ)やかでしたね。ようし明日も頑張るぞ、みたいに思えましたよ。犯人の罪の重さより、よかったね犯人さん、みたいにも思いました。チームバチスタオールメンバー、みんな持ち味出して。そしてまさかまさか、追い詰められた白鳥。画面に吸いつけられましたね。私は思わず、ノーベル賞山中教授の記者会見を思い出してしまいました。ips細胞とは無関係なところをつつくんです。「科学者としてパーフェクトですか」みたいに。まさに「無念・悔(くや)しい」のひと言に尽きるのではないでしょうか。どうしてこんな「意地悪」を繰り返すのでしょう。
白鳥さんは「明らかにすべきだ」と訴えたんですよね。そのグッチのセリフはラストだった。観客は気がついたのかなと思ったけど、みんなもう爽やか気分だったらいいか、とも思えました。
お疲れさまでした!
ありがとう!