実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

怒髪(補)  実戦教師塾通信五百五十三号

2017-06-23 11:27:26 | 戦後/昭和
 怒髪(補)
    ~「凶暴VS暴力」~

   
 ☆☆

前回の記事に、多くの賛否をいただいてます。記事を続ける必要を感じました。
確かに「何をしても許される」者たちの振る舞いは、過去になかったわけではない。また、過去と今とでは大きく異なった状況もあります。次のような反応のごとく。
「すべては仕組まれている。逆らう無駄をする必要がない」
不満に向き合うのでなく、不満に向き合う者への露悪という屈折は、周囲へ「同調」して来たものたちが、培(つちか)った考えだと思われます。だから同調できるものにしか興味を示さない。ネット社会は、それに追い風を吹かせました。
今国会は、まさしくそんな危機的状況に便乗した流れだったと思えて仕方がありません。参考人招致が必要ない理由は、
「必要ないからです」
という凶暴(「共謀」ではなく)。また、国会閉会後の記者会見、
「批判の応酬ばかりで国民に迷惑をかけた」
とは、議論を封じて来た「総理」の発言です。これを「謝罪」とニュースした新聞屋には、もう最後通告を突きつけましょう。
新たな文科省の文書にも「いいがかり」だと言う。森友の時の、
「総理に無礼を働くとは度し難い!」
なる発言とともに実現した証人喚問を忘れはしまい。官邸自身が、今度こそ名誉棄損の告発をしてもいいのです。「告発」は「攻め」、しかし、「知らぬ」では「逃げ」だということぐらい周知のことです。

 ☆☆
でも、この間の出来事が省庁間の争いなのか、現場から吹き出した怒りによるのか、判断には少し時間が必要なようですね。
何度でも確認しましょう。私たち市井(しせい)の人間にとって、規制を緩和したい政府があり、政府代表の「親友」の運営する大学が選ばれたという事実だけで、もう「いかがわしさ」は充分なのです。いい加減にしろ!とはそういうことです。
今回は、そういう「現状のレポート」はしません。今回のジャンルが示す通り、ここでは「戦後・昭和」の検証をしたいと思います。「こんな勝手な振る舞いなんて、ずっとやられてきたことさ」と分かった風な顔をしたくないのです。

64東京五輪の「妖精」そしてチェコ侵入抗議の象徴チャスラフスカ

 1 日大闘争
「何十丁のライフルと爆弾で戦争が起きると思うナンセンス」
と書いたのは、赤坂真理である。連合赤軍のことを言ってる。その通りだ。しかし、対局にあった私たちの「暴力」は、おそらく現在もあんまり理解されていない。「暴力」を、私たちは「戦争の準備」とは思っていなかった。

34億円の使途不明金が発覚、その後、会計主任が自殺ということが引き金になった日大闘争は、1968年に起きる。追求しようとした学生を、塩酸や消火器で迎え撃ち、ロッカーを上から落としたのは、大学当局から潤沢な活動資金をもらっていた体育会系の学生だった。これに怒った学生が「武装」する。理由は「自衛」のため。そして当局に、
「本当のことを言わせる」
ためだった。学生のことなど、
「問答無用」
「相手にする必要なし」
日大当局の態度は、当時の全国大学の姿だった。私たちも、結局「武装」することになった。
「聞いてねえぞ」
「ホントのことを言えよ」
は、いま現在も大切な態度だ。

 2 ベトナム戦争
 何度か話題にした。時は同じく1968年、新宿での出来事は、ベトナム戦争抜きになかったことだ。連日ベトナムにもたらされる悲惨が、沖縄を発着するB52爆撃機でなく、もっと身近な場所にあることを、私たちはある日知ることになる。

新宿駅構内を、米軍のジェット燃料(通称「米タン」)が毎日運ばれていた。




新宿闘争のあと、たった三日間だったが、この米タンが止まった。この事実に対し、信じられないことだが、当時の南ベトナム解放戦線(現在のベトナム政府の前身だ)から、連帯と感謝の表明がある。
 当時、自衛隊から「反戦兵士」の名乗りをあげた小西誠三曹が、集会で私たちの「徴兵制への危惧」に、
「その心配はないと思います。それは今、革命に武器を渡すようなものだからです」
と答えたのを覚えている。確かにあの頃を思い起こすと、なるほどと思える。ゲバ棒と火炎瓶なんて、自衛隊の装備からすればオモチャみたいなものだ。
 先日、南スーダンから戻ってきた、自衛隊の部隊を見て思った。60年代後半の運動がなかったら、自衛隊は戦時下のベトナムに派兵されていた。
 私たちの小さな声は、決して無駄にならない。

 3 「暴力」
 表現行為は「暴力」にほかならない。
 小説が出される。評価もされれば、反論もされる。すべては「暴力」で、避けられない。このことに何らかの公的な規制がされる、つまり、
「暴力はやめなさいという『暴力』」
が行使されることに、表現者たちは危機を覚えている。「表現の自由」とは、そういうことだ。
 日大闘争に対して、学生たちの暴力を排する、と叫んだ大学当局。あるいは新宿闘争に対して、暴力行為を許さないと、政府/警察とともに弾劾(だんがい)した日本共産党。しかし、暴力の対局には、やはり暴力があることを、これらの主義主張は回避したのだ。

 今年の4月に、オヤと思う事件があった。
「放射能検査」で女児の家に上がり込み、わいせつ行為を働いた男が、埼玉県警に逮捕される。男は「漫画を参考にした」と自供。県警はその後、このマンガ(『漫画アクション』らしい)の作者に申し入れをする。「自粛しなさい」という感じだったか。

 さて、この場合の「暴力」は四つある。
◇漫画を描くという行為
◇想像世界を現実にした行為
◇警察が「漫画」へ介入
そして、警察が介入しなかった四番目の「暴力」がある。
◇放射能のばらまき行為
である。警察は、
「もっとも許せないのは……」
というところを回避したのだ。当然なのだが。


 ☆☆
思い出します。1968年の10月21日、私は新宿に行かなかった。たまたまです。この日も電車の中には、いつも一緒にデモするヘルメット姿の仲間たちがいました。でも、あの日は新宿から四つほど離れた駅の予備校に行ったのです。帰りの電車は大幅に遅れました。でも私は、そのまま帰宅しました。帰宅するや、母が、
「新宿が大変なのよ」
と言ったのを覚えています。

 ☆☆
都議選、いよいよ告示ですねえ。小池知事にオーラのごとく発していた「覚悟」と「潔さ」が、霞んで見えるのが残念です。選挙民は正直です。勝利はするのでしょう、でも、結果はきちんと示されるのでしょうね。

    手賀沼です。もう少しで蓮もつぼみを出すでしょう

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