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震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

男と女(上) 実戦教師塾通信七百二十八号

2020-10-30 11:10:38 | 思想/哲学

男と女(上)

 ~男女差の混沌&混乱~

 

 ☆初めに☆

前回、編集後記に子ども食堂の写真を掲載しました。「やはり調理は女の人がやるんですね」という思いがけない感想が飛び込んで来るのですよ(良く見ればそうじゃないんだが)。私事ですが、「私は男です」と言ったら、自分の性別に違和感を持っている人たちがいるんですよと言われて、宇宙をさまよったこともあります。今や「男は(恋愛相手として)タイプじゃない」と男が言おうものなら、それはLGBTへのハラスメントですと言われるのかな。いやぁ窮屈なことこの上ない、と思うのは私だけなのでしょうか。

近年、日本は「めくら滅法」や「つんぼ桟敷(さじき)」等を、差別語として追放しました。そろそろ「バカ野郎」も危ないと思ってます。そして近々「男」や「女」も追放されるかも、と恐れおののく私です。

 

 1 自分が望むと思うなら

 どうして「めくら」や「つんぼ」が良くないか、「親切に」解説してくれる人がいる。そんな時私は、

「自分が幼少の時、高熱で左耳をまったくダメにして以来、『つんぼ』と言われて来たし、自分自身で左の耳が『つんぼ』なんですと言ってます」

等と「親切に」言うことにしている。当事者が傷つくのは、悪意を持った「つんぼ」である。しかしこれは、普段のやり取りに使う「つんぼ」でもある。それは「オマエには言われたくない」言葉であったり、「うかつにそう言えない」関係を示す一方、それが「通じやすい」「普通」に使える言葉でもあるのだ。

 そうだ!関係ないこともないゾ。以前ソフトバンク一家(黒人もいた)のCMに対して、お父さんが犬なわけで、じゃあ「黒人は犬から生まれたというのか」という「告発」があった。日本人からのものだったという。すごい! さて、フェミニズムに行こう。古いけど、日産の「男なら乗ってみな」というCMもバッシングにあった。

 思い出す。自分が子育て真っ最中の時のことだ。夏のキャンプで、私がさっさと全員(三世帯ほど)の焼きそばを作ったのだが、少しばかり遅れて登場した女たちは、それに見向きもせず別なメニューを作り出した。オマエ(男)の出る幕ではない、雄弁な空気と行き場をなくした焼きそばがそこにあった。子連れで公園に散歩に行った時もそうだった。オマエ(男)がどうしてここにいるのだ?という露骨な表情には、ママ友たちが積み上げてきたものが張りついていた。いま語られている女たちの怒りややり切れなさには、私の体験と共通なものがあるのかも知れない。そこには出来上がった、仕方がない世界があるのだ。始めようと思ったところからしか始まらない。自分が望むことがあり不満に思うなら、そこから始めるしかない。「平等のはず」なんて、あった試しがない。ついでに言えば、いま騒ぎとなっている「学問の自由」なんてのも、あった試しはない。「与えられていた」だけだ。許認可の範囲を出れば、いい意味でも悪い意味でもそれは禁止される。その度(たび)に奪い取ったり、涙を飲んで来ただけだ。分かりやすい例で言えば、クローン人間の研究開発だって禁止されている。

 

 2 親

どんな苦しみにも黙って耐えろ お前が男なら 男に生まれたなら」

とは、言わずと知れた『鬼滅の刃』のワンシーンである。こんなセリフの映画が大ヒットするのだから、どうやら新しいフェミニズムも、それほどの勢いはないようだ。まぁ、「男(女)らしく」と言われるのは、たとえば「男」がもともと「泣き虫」だから、仕方なく「男なんだから泣くんじゃない」等になると思っている。では、これで女の魅力度がアップするというCMや、かなり古い決めゼリフ、それじゃお嫁に行けなくなる等への「女(男)らしさ」批判は新しいのだろうか。

 すべては音声で始まっている。漢字表記を検証してみよう。「旦那」なんて漢字表記はずっとあとだ。「ダンナ」は古代インドのもの、修行僧から見た師匠(ししょう)のこと(または「檀家」から見た「檀越」)だ。奥さんの少し古い言い方が「オカミさん」。もちろんこれは、後の漢字表記「御上」であり「御神」である。上方では「オイエサン」と言い、東北では「エヌシ」と言った。みんな音声で了解していた。これらは「家主」のことだ。家の責任者が女だった。それも、昔の集落(大所帯)での暮らしがあって生まれた言葉だ。また、「親」が父母を意味するものだったはずがない。「オヤカタ」という言葉に今も少しは残っているが、集団の「上に立つ」ものという、広い使用法がなされていた。なにを言いたいのか。

「言葉は一定の時期/エリアで有効なもので、絶対的価値や意味を持っているわけではない」

ことだ。「女(男)らしさ」批判は、新しくもなんともない。そんなに目の敵にして追い出すより、もう少し考えつつ楽しんだ方がいいんではないだろうか。

 フェミニズムの行く手に未来はあるのか。ある。それは次回に。

 あ、それとお願いです。「さすが国語の先生!」という感想はご勘弁願います。民俗学とまでは言いませんが、せめて社会学ぐらいの扱いで願います。

 

 ☆後記☆

今週月曜の『沈黙のアリバイ』見ましたか。いやぁ良かったですねえ。凶悪犯の仕組んだトリックなんかじゃない。最後の10分、いや5分のところです。そうだったのか、それにしてもこんなに広い場所に連れて来られようとは思わなかった、という感想を持ちました。さすが横山秀夫という称賛に、俳優の演技を加えないといけない。この後記の部分で書こうと思ってたのですが、改めてちゃんと書くことにしました。次号です。なわけで「男と女(下)」は、その後になります。

夕闇迫る手賀沼の鉄塔です。

 ☆☆

千葉県知事選が、結構な展開です。県外の人たちは、ネットでも頼らないと分からなかったと思うので、この場を借りてお知らせします。鈴木大地が自民党公認候補として上がった直後、自民党内から不満の声があがりました。どうやら前回も、自民党県連全体としては「つんぼ桟敷」に置かれたようです。いつ決まったんだという声が上がり、熊谷千葉市長とともに行政を担ってきた自民議員が離反しました。同じ動きをしたのが公明党県連です。森前総理が盟友の、しかし政治も千葉も知らない鈴木大地に対し、公認を一応は迷った。結局反対したのは、唯一の勝算だった自民党県連の一本化がダメと踏んだからです。え? 現知事? 台風対策本部も放り投げて、床屋だの別荘確認だのしてた、森センセイの迷友ですか? ひたすら意固地になって、引っかき回しましたねえ。県連に対しての最後っ屁ってやつですね。

我が家のコキアです。今年も立派に紅葉しました。