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続・表現の自由 実戦教師塾通信六百七十二号

2019-10-04 11:13:39 | ニュースの読み方
 続・表現の自由
   ~香港を考える~


 ☆初めに☆
タイトルは「表現の自由」ですが、ジャンルを久しぶりの「ニュースの読み方」としました。映像や文字から見えることを確認したいと思ったのです。香港の若者から目を離すわけには行きません。治安部隊は、高校生相手にとうとう実弾を使いました。
 ☆ ☆
報道は、依然として人々を「反対する市民」と呼び、「反対派」と呼ぶことを避けているかのようです。「一部の人たち」と呼ばせないうねりがあるのです。学校(中学生も!)は全校レベルで行動を起こしていて、学校当局もそれをおとがめするどころか一緒に行動しているように見えます。
 ☆ ☆
昨年、後に「黄色のベスト」運動と呼ばれたマクロン政権に対する抗議活動がありました。1968年のフランス5月を思い起こしながら以前レポートしましたが、50年前との決定的な違いは、今回のフランスの抗議活動に「略奪」という行為が見られたことです。
香港の若者にそんな動きは見られません。冗談ではなく、彼らは命がけで「香港人の自由」を守ろうとしています。


 1 催涙(さいるい)ガス/催涙弾
 香港の治安部隊が使用する放水に色が着くようになった。若者が現場から去った後でも、逮捕する根拠に出来るからだ。銀行や郵便局の窓口近くに置く「カラーボール」と同じである。
 思い起こせば香港の学生運動の雨傘は、放水と催涙スプレー対策として登場した。それが今、雨傘に混じって鉄パイプが登場しつつあり、頭にヘルメット、顔にガスマスクをかぶるようになっている。前のレポートでは彼らを「丸腰同然」としたが今は違う。しかし治安部隊のそれに比すれば、依然として「丸腰同然」であることは言を待たない。
 火炎ビンの多くはおそらく、ビンが割れた時に化学反応でガソリンに引火するものだ。丸めた紙をビン口に詰め火を点けるものも見られるが、これだと燃える前に放水で消される。
 そして、平穏なデモは「過激な」彼らと連帯している。

 「催涙ガス」について書かないといけない。催涙ガスは「毒ガス」だ。成分はクロルアセトフェノン(CN)で、米軍の毒ガス一覧表にちゃんと書いてある。忘れもしない、1968年は原子力空母エンタープライズの佐世保寄港反対闘争の時、機動隊が使用したことが国会で議論され、政府高官が「催涙ガスであって毒ガスではありません」とヌケヌケと言い放った。ちなみに催涙弾はこの時ばかりではない、前から使っていたし、このあとも使い続けた。直撃の例もたくさんある。1970年代は三里塚成田空港反対闘争で、デモの参加者(救護要員だった!)がガス弾を至近距離で頭部に撃たれ、脳挫傷で亡くなっている(警察は「学生の投石が当たった」とした)。
 経験すれば分かる。このガスを浴びれば、ヒリヒリと顔面が腫(は)れ上がり汗が吹き出す。服の中に侵入し身体が熱くなる。涙があふれ目は開かず、尋常でない量の鼻水が出てくる。身体が内部に入れないよう必死に抵抗するからだ。良く、のどが咳(せ)き込むというが違っている。呼吸出来ないように身体が働いている。
 あの当時、仲間がすぐ近くでガス弾を受けた。帰宅後に洗い流したが吐き気と震えがやって来て、私たちは病院に搬送した。医者はこの時、
「水で流さないとダメなんだ。シャンプーや石鹸を使うと身体に入ってしまう」
と言った。どんな処方をされたか覚えていないが、肌がずっと紫色に腫れ上がったままだった。今後香港のニュースで、催涙ガスを繰り返し浴びる危険性がレポートがされないといけない。ものの辞書には「洗い流せる」などとあるが、あなどってはいけない。

 2 覚悟
 香港の若者に対し、あんだけやれば警官もやるでしょ、みたいに日本の若者がつぶやいてるが、これが耳に届いたところで、彼らは頓着しないはずだ。「覚悟」があるからだ。撃たれた若者も、撃つなら撃つがいいと叫んでいたのは間違いないと思われる。
 中国建国70年の晴れの舞台で、周近平が「香港での一国二制度を保障する」と、中国にとって「屈辱」のメッセージを送ったのは、中国の経済的なバックボーンが香港にあるという事実ばかりではない。若者の「覚悟」を無視できなかったからだ。
 さて、「表現の自由」である。もともとそんなものは存在しない。「存在すべきもの」としてのみ存在する。人々はひとつひとつそれらを獲得すべく取り組み戦ってきた。先だって書いたことに付け加える。津田大介氏に関して言えば、ネット社会と現場をつなぐ大切な存在だという認識は変わらない。しかし、今回の「表現の不自由展」の主催者側に欠けていたものがある。「覚悟」だ。香港の人たちの闘いは、それを教えていると思える。



 ☆後記☆
台湾の若者は、香港の若者に大量のガスマスクを送ったそうです。年寄りの私に出来ることは、彼らの必死の行動を受け止め、彼らの身を案じることだけです。情けないことではありますが、それぐらいはやっておきたいと思います。
 ☆ ☆
当時の私たちに、「一般学生(人)がついて行けなかった」とか「はしかもどき」「革命ごっこ」などと冷やかした評論家どもは、今も健在なようです。当時の新宿西口広場は週末の写真です。そんなところで今日はやめます。

 歌ばっかりやってたわけじゃない。激しく討論を交わしたのです。


   ホントの秋よ来い。コキアが見頃です。