実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信三十三号

2011-06-03 19:17:56 | 福島からの報告
バカもほどほどにしろよ!

 事態が急変したのは、議員総会で菅総理が「辞任」をほのめかしたからだという。本当か? 採決を欠席した小沢が「ここまでの状況を作ったのだから、自主的判断でいい」と言ったとか。もうひとりの欠席者、田中真紀子のコメントは聞こえてこない。地方の党員(もちろん自民党の党員もだ)の声は全く無視されているが(ニュースになっていないが)、まさか被災地・避難所の声が被災地の党員にないわけはない。不信任案決議の水面下で、一体どんなことが起こっていたのか知りたいのは私だけではあるまい。不信任案が否決されたとき、避難所・被災地はどよめいたという(私はその時避難所にいたが、残念ながらテレビのないところだった)。「一日たりともむだな時間を過ごすわけはいかないのに」「政治家というものはこんな時でも我が身のことしか考えられないと知った」等々。南相馬市長は「決議案が出されたこと自体が許せない。今出来るすべてをやるしかないというのに」と激怒したという。当たり前だ。
 許せないのは、政治ばかりではない。この不信任案否決の次の日(今日)、メディアはこぞって「次の焦点は辞任の時期」と言う・書くのだ。一体何を考えているのだ! これからの焦点は与党と野党とがいよいよ「復興」をめぐって議論を戦わし、納得できる・より良い案を作っていくことではないのか。国会の次の焦点を誰でもそう思ったはずである。それがどうだ。「原発の見通しが全くたっていないというのに、辞めるとは無責任だ!」くらいに言ってもいいのに、だ。「原発は菅にはできない」とでも言うのだろうか。じゃ、誰が出来るというのだ。誰かがなんとかできるというのならさっさと引導を渡すのは当然だが、そうではない。知っているはずではないのか。
 そうして鳩山・菅の間の合意が「違っている」だの「ウソはいけない」だのと、すでに元通りのみっともない痴話喧嘩が始まっている。だから足元を見られる。
 岩手の話をいわきで聞いた。岩手は甚大な災害が起こったとき、恐らく国は何もしてくれまい、だから自分たちで準備しておかないといけない、として独自の復興案を持っていたらしい。今回の震災が起こってすぐ、岩手は杉の木を伐採して仮設住居を震災の三日後に着手して、すでに数百、住人を待っているという。まさかあの小沢が計画したことではあるまい。首相の座なんてことに汲々とせず、少しは地元に顔を出せよ。



被災者の気持ち

 今週、私は久之浜で家のなかの片づけをした。この地域は二度目である。ここの海岸沿いはニュースにもなったが、火を出し、一帯に燃え広がったところである。津波で運ばれた家々や車が、燃えて無惨に黒や茶に染まっている。海岸からだいぶ離れていたため、形を留めている家はやはり「この家の解体を承諾します」と貼り紙がある。中は畳までひっくり返っているくらいの壊れ方だが、柱も土台も家を守っているように見える。しかし「海水が入った家は結局、建て直すことになる」そうだ。この日は大型冷蔵庫が三つもある家だった。宅急便の受けいれをやっていたという。魚介類の一時預かりの時必要だったらしい。市役所の「全・半壊の審査が終わるまで触ってはいけない」お達しの通り二カ月以上そのままだった。ビンやカンに入ったものはともかく、その他は信じられないほどの強烈な臭いを発して、冷蔵庫からドロドロの液体と共に出てきた。この日提供されたマスクはたまたましっかりした作りだったが、臭いはそのマスクを難なく通過してきた。
 捨てる段になっていくつか問題が出てきた。ここにはひとつだけ書くが、このとんでもない臭いのとんでもない量の生ゴミを、近くの地域ゴミ集積所におくわけには行かないとさすがに思い、大型冷蔵庫と共にトラックに積んで市の集積所に私たちは向かった。しかし、途中で市の集積所で「生ゴミはダメ」ということを思い出す。センターに電話するが同じことだった。仕方なく私たちは生ゴミをなんと、持ち帰って本人に返したのである。
 この日、私は眠りの浅いネットカフェでさらに浅い眠りとなってしまった。そして次の日センターでお願いする。どう考えても「災害ゴミ」である、地域のゴミステーションで週何度か出すにしても、一回につき、出すのはふた袋までという制約の中で、あのゴミは一体どうなってしまうのか、「災害ゴミ」としてその旨手続きをして市の焼却施設まで持って行けないか、そうお願いした。なが~い手続きのあとOKとなった。
 私はこの日、避難所を個人的に回ることにしていたので、この家の片付けを継続する時の注意として「ゴミ」を依頼した。気になったが、今日のグループに託した。
 この家の主人は足の悪い女の方だったが「市の全・半壊の審査は、自分が留守のときに外側を見ていっただけだった」「だから結果は半壊だったんだ」と言っていた(この「いない間に外側だけ見て」という話は、あちこちで聞く話だった)。「それを抗議したら今度は日曜日なんかに来るんだ(そうして『全壊』の査定となった)」と憤っていた。
 さて、私は思った。日曜に来たのは、もしかしたら市の方にすれば最大の気配りだったのかもしれない(平日仕事があるところでは誰もいないという事情を抱えるので)。本人にすれば、連絡もしないでとか、休みの日なのにとか思うのだろうか、などと思った。ようやく片づくことになったこの生ゴミの一件にしても「ボランティアセンターもころころ変わってわけが分からない」と思うのかも知れない、と思った。



「テストの花道」2

 もう少し久之浜の話をしたい。この日もそうだし他の日も他の場所でもそうだった。立派な家でもそうだったしアパート住まいのところでもそうだった。どこでもおびただしい「もの」が出てくるのだった。沢山の服、沢山の食器類、部屋ごとにあるテレビ・時計、形・様式の違う暖房器具等々。おそらく一年に一度くらいしか着ない服、一度も着ない服。久之浜の大きな構えの家の年老いた男のご主人は「いつの日か見ようと思っていたが」と、泥まみれの全集の『世界遺産』『世界の旅』DVDを指さした。同じく久之浜の、おそらくは「いつか着物にしたい」と思って反物をどっさり買って箪笥に入れておいた足の悪い女のご主人。
 私たちはいつの頃からか「こんなものが出回っている」「あんなものが発売された」「お金を何に使おうか」という生活に慣れきってしまった。宅急便も「冷凍バージョン」が出来て、全国どこでもおいしい魚が食べられる。大型冷蔵(冷凍)庫がある各家庭ではそれを保存も出来る。「欲しいもの」「したいこと」はどこに行ってしまったのだろう。
 「テストの花道」を知らない方もいらした。「テストの花道」は、NHK教育テレビの番組である。所ジョージが案内役で中高生の悩みや相談に答えるというものだ。前回とりあげた発言でひっかかっているのが「自分たちは恵まれている」というものだ。何もなくなってしまった被災地を見て、そんな中で作業をして思ったことだろう。しかし何度も繰り返すが、きっと問われていることは「豊かさ」だ。「元通りにする」前に「元」がどんなことか考えることだ。
 こういう風に言うと「贅沢は敵だ!」なる発言ととられること請け合いだ。金子正次制作の『竜二』を見たかな。やくざ稼業でしっかり稼いでいた主人公(竜二)が、お金沙汰の社会が嫌になって足を洗う(そしてそれは挫折するが)という話だ。酒屋(配達)で仕事を終え、子どもを膝に抱えてビールで喉を干し「これだ!」というシーンは、竜二が求めていたものを映している。
 まだ「贅沢は敵だ!」に聞こえる? では、

おーい 小さな時計屋さん
猫背をのばし あなたは叫んでいいのだ
今年もついに土用の鰻と会わなかったと (茨木のり子『もっと強く』より)

はどうだ? まだだめか? いや、なんならフェラーリが欲しいと思っていいのだ。欲しいものがあるならそれを手に入れればいいと、実は茨木のり子はこの詩の出だしで言っている。結局ミニカーしか手に入らなかった、というならそれも仕方がないが「まず夢がなければならない」とはエンツォフェラーリの言葉だ。
 無数のDVDをゴミにしてしまった久之浜のご主人は、作業の最後の方で無傷の『越の寒梅』が発見されると、私たちに「持っていけ」とは言わなかった。ちなみに酒類を「持っていけ」という家も多くあることを私はこの通信で書いた。
 主は「今日は(避難所に)戻らず、一晩中ここで飲み明かすんだ」と喜んだ。水の入らなかった二階で、月に映える海を眺め「好きでしょうがない(と同じく年老いた奥さんが言っていた)『越の寒梅』」を、その夜ご主人は楽しんだのだろうか。
 「(新潟の銘酒)『久保田』が届いたら、いっぺんになんか飲まないよ。大事に少しずつ飲むんだ」とは、「所長」のいる避難所の人たちの声だ。新潟の人から『久保田』を送りたい、という申し入れがあったことを私が伝えた時の反応だ。
 「贅沢は敵」ではない。