kotoba日記                     小久保圭介

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moesさん

2007年09月18日 | 文学
空、
風、
秋、
空気、澄み、
きれい、
ビル窓も鮮やか。

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moesさんという方の日記は、
短い言葉で書かれてある。
僕も真似てミクシーで書いてみるのですけど、
やはり、こういう言葉を書かれると、
本当に嫉妬します。
本日(2007,9,18)付、moesさんの日記を紹介させてもらいます。


 つよすぎる
 ひざしに、
 眉をひそめ、
 にらみつける。


です。
みなさん、どう思われますか?
僕は、最後の「にらみつける」で、
本当にmoesさんの才能を感じるのです。
これを読んで、大江健三郎が「自動化作用」という文学理論を書いた記述を、
思い出した。
つまり、人は毎日の出来事をいつのまにか当たり前のこととして、
見過ごしてしまう。最初、新鮮であったはずのものは、
いつか新鮮でなくなり、自動的に視覚聴覚がそれを感知しなくなる。
それに注意しなければいけない、常は通り過ぎてしまうことに、
注意しなくてはいけない、というのが、大まかですけど、
「自動化作用」の考え方です。

「にらみつける」
という箇所に、ハッとするのは、
上記の日記の言葉を、
影像化したら、
きっと人は、「にらんでいる」のです。
「にらみつける」と言葉で書くことができるのは、
いかに、自分を客観化できているか否か、
のあらわれだと僕は思う。
本来の意は、暑いので太陽に敵意を表しての、
「にらみつける」としたのでしょうけど、
太陽をにらむということが、
またとても新鮮でもあるのです。

堀田明日香さんの小説の冒頭でも、
横断歩道の信号機の青を、
「シルクハットを被った紳士」
という書き方をしています。
これも自動化作用からの逸脱です。

ふだん、僕らが通り過ぎてしまうこと、
言われて初めて気が付くこと、
「にらみつける」はまさしくそうで、
それは子供の視点であり、
詩人の視点でもあるのです。

同じ意味で中上健次が言った言葉に、
「外国人の目で物を見ろ」
というのがあります。
これも、日々を見つめる判りやすい方法だと思うのです。

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夜、ラブサイケデリコの「ゴールデングレープフルーツ」、聴く。
このCD、聴くたびに良いです。11月が楽しみ。

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