千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「明治の女子留学生」寺沢龍著

2009-03-24 23:19:41 | Book
移動の交通手段といえば、自動車は論外、正式な鉄道もなく馬か駕籠を使用するか、営業したばかりの人力車に頼るしかなかった明治4年のこと。10歳前後の幼女も含めて5人の日本最初の女子留学生となる少女たちが、横浜港から外洋船「アメリカ号」でアメリカへと旅立った。48名の使節団、58名の官費、私費の男性留学生たちに交じって、両親や家族から離れて10年もの長期間、黎明期にある新政府の意向をくんで太平洋を渡った少女たちは、津田梅子(6歳)、永井繁子(10歳)、山川捨松(11歳)、吉益亮子(14歳)、上田悌子(16歳)。新政府の女子留学生募集に集まった少女たちは、いずれも幕末維新の戦いで賊軍とされた幕臣や佐幕藩家臣の子女たちであった。そのうち、吉益亮子と上田悌子のお姉さん組は病気治療のため、あえなく1年で帰国したのだが、残された3人は、日本語を忘れてしまうくらい当初の目的の期限まで、異国の地で勉学を励むこととなった。

今でこそ飛行機であっというまに海外に飛び、インターネットやメールで留学先からも通信でき、しかも現地では日本人ばかりという所謂語学留学も聞く「海外留学」。1871年、ようやく西欧との交流が始まり近代化を急ぐ日本の国策に近いミッションを親から言い含められてその小さな肩に背負い、自分の希望や意志とは無関係に見たことも聞いたこともないような異国へ旅発つ少女たちの心情は、いったいいかばかりであろうか。船に乗り込む振袖姿のいたいけな小さな少女たちの姿は人一倍異彩を放ち、見送る人々の哀感を誘ったのは自然の情であろう。本書では、その少女たちの10年間に渡る異国・アメリカでの奮闘ぶりと精彩に満ち充実した日々、そして日本語も忘れて帰国した後のそれぞれに苦難の伴う人生を、どのように、そしていかに生きたかの足跡をたどっている。

3人の少女たちは、格別学力試験や面接の選抜を経たわけではないのだが、いずれもアメリカ留学中では意欲的に勉学や生活を楽しみ学生時代を存分に謳歌しながら、尚且つよい成績を残している。たまたま彼女たちの資質もよかったのだろうが、国費を使ってまで留学しているという使命感が自ずと生活を律しながら勉学に励んだ結果でもあろう。日本ほど男女の差別が少なく、女性といえども教育の機会にも恵まれ教養も深く社会的な地位も高く、自由闊達な西欧文化が、優秀な彼女たちを後押ししたおかげとも言える。ところが、派遣期間をおえて母国に帰国して見れば、すっかり日本語を忘れてしまった不安に加え、早々に政府関係や教育関係、実業界で活躍する男子留学組に比べ、彼女たちを生かして伸ばす受け皿は日本にはなかった。そもそも当時の日本では、英国映画『プライドと偏見』と同様に、女性がまともに働く職場などなく、婚期を逃す前に親や周囲にすすめられたつりあいのとれる相手と結婚して、夫に従がうのが女性の唯一の生きる道(手段?)だったのだ。梯子を与えられ、期待にこたえ国家への使命を果たすためにも懸命に登ってみれば、その梯子はもう不要とばかりにはずされてしまい、人生の将来設計も描きようがなかったのが彼女たちである。

留学先で同じく留学組の男性と帰国早々恋愛結婚をして、ピアノを学んだ技量をいかして音楽教師と子育てのキャリアウーマンの先駆者になったのが、永井繁子だった。美貌の誉れ高く、年上の陸軍卿・大山巌と結婚して、留学経験を「鹿鳴館の貴婦人」として内助の功を発揮したのが、山川捨松。そして、最後まで独身を貫き子女の教育に生涯を捧げ孤高を生きたのが、ご存知津田塾大学創始者の津田梅子である。女性も男性と同じく社会的な存在であらねばならないと考えた津田梅子が、また経済的にも自立する必要がるとこの時代に職業として選んだのが、教職だった。彼女が耕し種を蒔いた女子教育は、やがて着実に実った。帰国後は、殆ど着物を着て目立たない束髪に髪を結っていたと伝えられる彼女は、最後まで日本語よりも英語でものを考え英語で論じる女性だったのだ。
彼女たちの人生の航海は、決しておだやかではなかったはずだ。波乱万丈の荒波にも関わらず、読後感は多少の悲哀も交えたすがすがしさであろう。彼女達は悩みながら、国のために、そして精一杯自分の人生を開拓したのだから。

まだ少女の我が娘を異国に旅立たせるのは、母親としても相当の覚悟がいっただろう。「捨松」の松は、無事の帰国を”待つ”という意味で改名された。そんな山川捨松の母親を説得した長兄のはなむけの歌がある。
「異国(とつくに)によしや誉をあげずともわが日の本の名をば汚しそ」


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
10年も! (有閑マダム)
2009-03-29 12:41:36
それほどの長期間、まだ小さな子供が親から離れて外国留学。 しかも、明治の頃ですから今とは違い、度々帰国することも電話で話すことも出来なかったでしょうね。 海外と日本の距離はずっとずっと離れていた時代・・・。
留学した子供も、させた親も大変な辛さを味わったことと思います。
このようにして政府から送り出された女の子たちが存在したことを知りませんでした。

本でも書かれているようですが、留学先で馴染むのに苦労して終わるわけではなく、その後日本に戻ってからの苦労。 これは、現代でも海外である程度の期間を過ごして帰国した人が、経験するようです。 もちろん、その人それぞれの性格や様々な要因によって、どれほど帰国後の逆カルチャーショックに苦労するかは違うようですね・・・・。
この本も、是非読んでみたい本としてリストに入りました!
いつも興味深い紹介、ありがとうございます。
返信する
有閑マダムさまへ (樹衣子)
2009-03-30 23:35:10
急遽、ご都合で帰国されたそうですが、その後落ち着かれましたでしょうか。大変でしたね。飛行機やメールがあるとは言いながらも、いざという時は同じ日本でも遠いと感じる時がありますもの。

>10年も!

そうなんですよ。驚きです。私もこのように政府から留学させられた女の子たちがいたことを知りませんでした。
送り出された女の子たちの家系はいずれも幕臣や家臣の流れということで、こどもに対する感覚が多少市井の人と違うのはわかりますが、母親にはそんなこと関係なく大変つらかったことと思います。

>その後日本に戻ってからの苦労

本書の読むべきところは、むしろ帰国後の苦労だと思います。ただその苦労も克服して自分達の進むべき道を見つけて邁進したのは、本人のもって生まれた気質もあるでしょうが、むしろ米国留学の賜物だと私は思いました。

>是非読んでみたい本としてリストに入りました

実際にふたりのお嬢さんを海外で育てられているマダムさまの感想に興味があります。
それから、一度じっくりと本を読んでみようと思われる時があったら、「わたしの名は紅」をおすすめします。
読後の満足度が違いますよ。^^
返信する
Unknown (有閑マダム)
2009-08-18 06:11:25
樹衣子さん、素敵な夏をお過ごしになったでしょうか。

以前紹介して頂いたこちらの本、興味深く読みました。
彼女らの感じる、国に対する恩義や忠誠心、してもらったことに報いなければという思いの深さにとても感嘆しました。
返信する
お帰りなさい (樹衣子)
2009-08-18 22:47:02
>有閑マダムさまへ

TBありがとうございました!
最近は、よくも悪くも国家公務員になる東大生が減少傾向だそうです。おりしも昭和38年の戦後の復興から繁栄の足がかりをつくる「官僚たちの夏」(原作:城山三郎)というテレビドラマが放映されていますが、現代の学生気質は私心よりも国家に尽くす気概が減少して、高収入の外資系の金融コンサルタント会社などが人気だそうです。

>国に対する恩義や忠誠心、してもらったことに報いなければという思いの深さ

本書を読んだきっかけというのも、たまたま身内の者がこの時期に米国の大学に短期留学をしていた背景もあります。義務教育から高校も公立、大学・大学院も高額な税金を使って国立で学ぶならば、いつかちゃんと国に貢献してほしいと期待していますがね・・・。

>素敵な夏をお過ごしになったでしょうか

お気遣いありがとうございます。
もう何年も猛暑・酷暑で有閑マダムさまのような美しい夏とは無縁です。とってもとっても秋の訪れが楽しみです。
返信する

コメントを投稿