千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「多重人格者の告白」CBSレポートより

2006-01-14 22:30:29 | Nonsense
小学生時代観た映画で、今でも記憶に残る映画がある。
「イブの三つの顔」

1951年、ジョージア州の小さな街に住む25歳の美しい主婦イブ・ホワイトが、夫につきそわれて精神科医のルーサー博士を訪問する。激しい頭痛に悩んで治療を求めてきたのだが、カウンセリングを受けても一向に改善しない。ところが或る日、カウンセリングの最中に突然イブ・ブラックという全く別の人格の人間が表れたのである。彼女の名前はイブ・ブラック。娘を持ち、生真面目で禁欲的な従来のイブを嘲笑し、自由奔放に欲望のままに行動する妖艶なイブ・ブラック。性格と考え方、好みも対照的な両者の対立と自己主張のせめぎあう中に、博士や家族の協力と理解のもと、やがてホワイトとブラックが統合された理知的で情感もかねそなえた魅力的な第三の人格イブ・ジェーンに変貌するまでのドラマが描かれている。
この実話に基づき、今から振り返ると精神疾患を安易にとらえた映画は、自分の中にいつのまにか生息していた全く異なる人格に、自分の精神とカラダがのっとられるかもしれないという自己喪失の恐怖が、のんびりとした小学生の興味と関心をひいたのであろう。

その後記憶の片隅に置きざりにされたが忘れていなかった「二重人格者」(正しくは、三重人格になるのかもしれないが)の存在を復活させたのが、一大ブームにまでなったダニエル・キースの著書「24人のビリー・ミリガン」である。
ジキルとハイドのような二重人格どころではない、1977年オハイオ州で連続レイプ犯として逮捕された弱冠22歳のヤサ男ビリーには、幼年から中年、男性から女性までの24つの人格をもっていたというノン・フィクション作品である。次から次へとスポットライトあびて登場する役者のようなその人格のあまりの複雑さに、かえって疑問がおこるばかりであった。
精神医学用語で説明される「解離性同一性障害」というこの症状を、私はなかなか理解できない。国内に同じような症例を聞いたことが無い、何故近年の米国だけに見られる病気なのか、別のヒステリーのような病のひとつの症状ではないか、またはビリーのような犯罪を犯した者による罰を逃がれるための詐病の可能性をも疑っている。

ところがCBSレポートで、世界的な中国研究者という信頼のおけそうな高い地位と教養のある実在の人物が、自分は多重人格者であるという告白ものを報道していた。えっ??精神疾患に関して、偏見をもっているわけではないが思わずこういう反応をしたくなるではないか。司会者のピーター・バラカンさんはいつもの満面笑顔で簡単な解説をされていたが、ご本人にしてみればさぞかし深刻な悩みだろう。

終始穏やかな微笑みを絶やさず、ユーモラスもあわせもつ誠実な学者そのもののロバート・オックスナーさんが多重人格障害を認識するまでには、苦しい精神の放浪があった。中国関係の研究も順調そのもの、アジア・ソサエティー会長の妻との生活も円満だったが、30代の頃から深刻な鬱状態に落ちたり、突然抑えきれない怒りがこみあげてきたり、毎日ふたつの感情がいったきりきたりしていた。まもなくアルコール依存、過食症、記憶喪失まで体験して、精神科に通院する。治療効果もあがらず、朝目覚めると知らないうちにやけどやケガを負っていたり、気がつくとグランド・セントラル駅を徘徊していたりと、悪化の一途だった。とうとうトランス状態になると、別の誰かの声で「この世で最悪な人間だ」という自分を非難する声が聞こえるようになった。そんな彼の転換点が、1990年ジェフリー医師との出会いだった。
医師との治療過程で、別の人格が次々と登場するようになり、「多重人格障害」(解離性同一性障害)と診断される。

彼には、11人の人格が宿っていたのである。別の人格が登場するときの様子を、「自分がフェイドアウトする感覚、麻酔がきいて意識が遠のく時の体がふわっと浮くような感覚」と表現している。前ブッシュ大統領の大事な講演会では、その中のひとりが人格を表し、「つまんない」と語りかけてきて抑えるのに必死だった。
こうした病に至る根本的な要因を彼は次のように分析している。

①幼少からのプレッシャー
彼の父は大学の学長、祖父はメフィスト派の司教で、世界教会協議会会長という環境からくる”常に成功しなければならない”という義務感の重いプレッシャー。

②幼少時代の虐待からくるトラウマ
家族に近い人物による虐待された事実。「お前は悪い子だ」と叱られた記憶と罰。

虐待としつけの分別はさだかではないが、興味深かったのは、彼の分析を裏付けるかのような現在は4つの人格に統合された人格である。
ローラー・スケート大好きな屈折した青年ボビー、怒りっぽい少年トミー、私には父系の権威主義を罵倒する象徴にも思える魔女ワンダ、そして彼らを公平に扱い代弁者であると認めるオックスナー本人。確かにこども時代に虐待を受けている時、叱られているのは自分ではなく”他者”であると思い込むことに逃避する傾向が、こうした病を招くという指摘もある。しかし、他人の意見に左右されやすい人物に、精神科医が暗示によって別の人格を植え付けていると米国の精神科学会でも議論が分かれている。

軽々とローラスケートに興じる青年ボビーの姿は、61歳の年齢が奇異にも見える。その一方でボビーが公園で出会った女性との一晩のアバンチュールを、妻が理解することは難しい。オックスナー氏は、常に妥協点を探り合っている3人の出入りのコントロールをようやくつかみかけているところだ。
人の心はなんと複雑怪奇で、あまりにも謎に満ちていることか。

おりしも今月17日は、22年前に起こった幼女連続殺人事件の宮崎勤の最高裁での判決が言い渡される。判決の要点を決定的に左右するのは、被告の精神鑑定結果だと考えている。朝日新聞と読売新聞では、この宮崎被告に対する見解は微妙に異なっている。現代社会のゆがみが生んだ鬼子的な部分を世の中全体で検討すべきだとは思うが、私は宮崎被告の犯行の原因を精神疾患に求めず、責任能力ありで厳罰になることを予測している。