千の天使がバスケットボールする

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『ベルリン、僕らの革命』

2006-01-04 21:39:34 | Movie
旧東ドイツのベルリン、ミッテ地区には、自称芸術家たちが古いデパートを占拠した「クンストタヘレス」が、今にも崩れ落ちそうな風情で建っている。そこでは映画を上映したり、アート製作品を即売しているのだが、まるで大学ロックアウトを彷彿させて、全共闘世代の人々の郷愁をそそるかのような様相である。
「ベルリン、僕らの革命」は、そんな無秩序で混沌とした吹き溜まりから飛び出たような若者3人が、いかにして”革命”の旗を振り上げたかという皮肉な寓話である。

生真面目で理想家のヤン(ダニエル・ブリュール)は、15年来の親友ピーター(スタイプ・エルツェッグ)とベルリンのアパートで共同生活をしている。ピーターの恋人ユール(ジュリア・ジェンチ)はレストランでウエイトレスをしているが、家賃を滞納して立ち退きを迫られている。実は、彼女は保険切れの車を運転中に不注意からベンツにぶつけてしまい、高額な賠償をするために毎日生活に追われていたのである。せっかく楽しみにしていたピーターとのバルセロナ行きの旅行も、失職とアパートの立ち退き作業が重なり断念する。
後に残ったヤンと二人で壁の塗り替えをしていた時に、ヤンから彼らの秘密を打ち明けられる。なんとヤンとピーターは、資産家の留守宅に忍び込み、家具を積み上げて芸術作品を創り、「ぜいたくは終りだ。財産があり過ぎる」とメッセージを残す、巷で評判の”エデュケーター”だったのである。すっかり意気投合したふたりは街に繰り出し、調子に乗ったユールは、交通事故の被害者であるハーデンベルグの豪奢な別荘に侵入することを提案する。
やがて別荘に忘れた携帯電話を捜しに再び侵入した彼らはそこで、ハーデンベルグと遭遇してしまい、窮余の策として彼を誘拐して山荘へ逃げ出した。
そして無産階級の若者たちと資本化である熟年ハーデンベルグの対話に、ユールをめぐる彼らの三角関係をからめて映画は、佳境に入っていく。

奇跡のようなドイツ統一後16年の歳月がたつが、東西間の経済格差はなお隔たり、また失業率も高い。そんな厳しい経済状況から、ドイツは再び分裂するのかという懸念が生じるくらい社気主義へのオマージュが波立っているのは事実である。ヤンとピーターは、今の社会の不平等を正す”革命”をめざしている。しかし彼らは、マルクス主義のような明確な論理をもちあわせてはいない。レジスタンスの風の向くまま、飛んでいるだけである。そんな彼らをハーデンベルグは、従業員13000人を抱える会社の経営者らしく落ち着いて諭していく。
「自分もかっては、学生運動の闘士だった。しかし或る日、変化が突然やってくる。古い車より新しい車に乗りたくなる。結婚して家庭をもち、こどもができる。こどもを育てるには、金がかかる。」

ハーデンベルグのプールつきの豪華で洗練された別荘と、彼らの住まう汚いアパートでは天と地程の差がある。しかし、スタート地点は同じだったのだ。ハーデンベルグもまた、吹き溜まりのような大学構内で生活していた青春時代があったのだ。彼らは、高慢だと思っていたハーデンベルグの述懐に、少しずつ親しみがわいてくる。
「現代では、”革命”もTシャツの絵柄のように商品化されているではないか。資本主義は、革命も陳腐化して、エネルギーを閉じ込めている。」
ハーデンベルグの交通事故の賠償請求を差し止めるという説得にも、警戒しながらもこころを開いていく彼ら。若者と熟年、失業者と資産家、対立する両者が歩みより、理解することは可能なのだろうか。

所詮もてる者はもたざる者を支配するという世の中の構図を斬るような、最後の胸のすくような痛快な結末と演出に拍手をおくりたい。