千の天使がバスケットボールする

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NASAのミス告白制度

2005-05-07 23:24:55 | Nonsense
先日の尼崎列車事故で、連日さまざまなことが報道されている。
被害者やご遺族の方のことを思うと、今さらなにも語ることがないと感じていた。
しかし、効率重視して安全が忘れられた結果による事故、というお決まりのコンセンサスにいまひとつ安全というものを少々考えてみたい。

安全という言葉は多分に抽象的である。この言葉の定義を意味するところに、100%の無事故を期待してはいないだろうか。今日のような科学技術によって生活の大半を支えられている世の中に、安全という絶対的な保証はない。たとえば、車を便利で利用すれば、交通事故にあわない可能性がゼロでないことから、常にある一定のリスクが存在している。
だからといって、危険を承知のうえでという前提を享受しろ、というのではない。

事故には、技術的なエラーとヒューマンエラーがある。かってはプロジェクト全体も小規模で、技術責任者が責任をもってプロジェクト全体をチェックし、充分管理していた。しかし、プロジェクトの巨大化に伴い、安全な技術管理が実質不可能になったとき、多くの問題が発生してくる。
それもひとつのヒューマンエラーといえなくもない。

アメリカのNASAでは、かなり以前から「ミス告白制度」が設けられている。これは個人がミスを犯してしまたっとき、その事実を”匿名”で報告できる特別制度で、この制度に基づいてミスを犯したことを告白してもその責任を問われることもないし、それが誰かを特定される心配もない。
こうして巨大な宇宙開発プロジェクトは、精度が飛躍的に向上し、大きな失敗や事故をかなり未然に防ぐことができるようになった。

今回の列車事故とNASAでの試みを一概に並列に論じることはできないかもしれないが、人はミスを犯すものである。その前提にたったうえで、どう対処していくかが重要であろう。草むしりなどの懲罰のような対応は、技術的なミスでなく職業人としての良心に従えばありえないミスを前提にしている。抽象的なマニュアルで列車の運行ができるわけがないのと同様に、的確な指導が必要である。