千の天使がバスケットボールする

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オーケストラにもリストラ ―寂しい上野の森

2005-03-28 23:23:37 | Classic
オーケストラにもリストラの波、都響が能力主義導入 (読売新聞) - goo ニュース

音楽の森も枯れてしまう。。。

私は政治家に好き、嫌いという感情をもったことがない。なぜなら政治的手腕をもち、政治家としてのお仕事をきちんとしてくれればそれでよし、そう考えている。感情をもてるほどの人間味ある政治家がなかなかいないというのもある。が、石原都知事だけは、かねてよりつまり知事になる以前よりその発言を聞いていると、その人格を疑ってしまうくらい嫌いな人物である。

そんなさなか、都響への2001年からの補助金削減が今度はリストラ策を導入。

能力主義というと聞こえがよいが、これはそもそも人件費削減が目的である。音楽の世界に於ける”能力主義”はイスのポジションによる。だいたい東京都響の現コンサートマスターの矢部達哉さんも、20歳そこそこで年長者をこえていきなり今のポストに就任したのだ。3年有期の契約社員が、それによって自らの音楽性を磨くことに繋がればよいが、同じオケの仲間との競争、足のひっぱりあいに終始しないだろうか。そんな懸念を抱く。言っておくが契約社員は内閣府の定義では、フリータになるのだ。家族を養なわなければならない演奏家、独身者だって経済的に自立しなきゃいけない。女性奏者だったらこどもを産んで育てるのも気おくれする。そんな不安定な雇用環境で、日常生活と対極にある芸術の高みをめざして欲しいという期待をもつのはあまりにも哀しい話だ。

小澤のオペラの森だって、東京都が抱えている東京都響を何故起用しなかったのか。それがスジというものではないか。オケにとっても経験を積むことも大事だ。

私たちにとって、音楽は生きるために必要なのだろうか。こんな時代だからこそ、音楽は必要なのだ。
音楽だけでなく、芸術全般にはお金がかかるものである。3大テノール歌手のような東京ドームでコンサートを開き、高額なチケットを売るなどという離れ業は、日本のピューリタンな音楽家にはできっこない。それでなくても、不景気でスポンサー離れ、クラシック音楽愛好家の世界的な減少で、どこのオーケストラでも最近は寂しい台所事情が現状だ。そこにすべて採算性、商業ベースという経済効果のものさしではかるのは、所詮は心が貧しいものの発想だ。

こんなことでは、将来の音楽家も育たない。