千の天使がバスケットボールする

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『父、帰る』

2006-04-01 23:54:04 | Movie
ロシアの夏は、短い。まるで、人生の儚さを悟らせるかのように。

その男は、ある夏の日曜日に突然やってくる。どこからやってきたのか、何故12年間不在だったのか。イワン(イワン・ドブロヌラヴォフ)は、母(ナタリヤ・ヴドヴィナ)と兄アンドレ(ウラジーミル・ガーリン)、そして祖母と静かに暮らしていた。そこへ写真の記憶にしかなかった父だという男がやってくる。本当に、寝室の母のベッドで休息しているこの男は父なのだろうか。なにか悩んでいるようでもあり、疲れた諦めの表情をうかべる母。緊張感をただよわせる祖母。
食卓の中央の座る男の存在は、重く、絶対権力者としての大きな力に圧倒される。はじめて身近に接する無精髭をはやしたたくましい大人の男へのおそれと、父への乾くような愛情にためらう兄と弟。
月曜日、父は彼らを旅行に連れ出す。釣りざおとテント、リュックを車に積んで、どこかへ向かう父の車。従順に、父についていく兄。しかし弟イワンは、自己中心的にふるまい命令する父に反発を感じる。素直だが人間的な弱さをみせる兄、頑固だが甘えん坊のイワンに、父は性急に男としてのふるまい方、強さを教育していく。母親には、決して教えることのできない強さだ。それは、理屈で説明する以前に、有無を言わせぬ行動と暴力による愛情なのだったが。そして火曜日、水曜日・・・。映画は、日曜日に始まり土曜日に突然終わる。

この映画を観て、久しぶりに芸術作品に出会った感がある。父の仕事は、どこへ電話をかけていたのか、どうしてこの今では無人島になっている島に息子たちを連れてきたのか、ほりおこした箱の中に何が入っていたのか。最後の落雷の音とやがて降る驟雨の音の意味は・・・。背景の説明をいっさい排除したもっともらしい”難解”さと、多くのミステリーを観客の想像に残すという手法のマジックのおかげではない。静謐で緊張感に満ちた映像が投げかける哲学的な重さに、多くの映画人は賛美をおくるのである。
兄弟たちの住居の質素な室内と同様に人物の核だけを残した徹底的なシンプルさは、この映画に普遍的な命を与えている。父と兄弟の権力者と支配される者の関係、反発するイワンだが、その資質はむしろ父とそっくりに感じられる父と息子の関係、最後に父の代わりに見事に采配をふる兄に見る父殺しの原点。そしてなんと人と人が理解することが困難なことか。

怒りと憎しみを爆発したイワンを追って、塔に登る父。イワンを必死に説得しようとする父。
「誤解だ、イワーニャ」
そう懇願する父のこの言葉には、万感せまる思いがある。誤解とは、おそらく息子達だけでなく、よそよそしい妻や母にも向けた訴えであろう。そして、ここで初めて”イワン”でなく、”イワーニャ”と呼んだ父。終始寡黙で行動で説得していた父が、たった一度、はじめて生々しい言葉による愛情を示し、同時に求めた場面でもある。

原題の「Vozrashchenie」には、”帰還”という意味がある。命とひきかえに12年間の空白をうめて親子の愛情と理解をとり戻した父が、最後に還っていった場所。そこは、あまりにも冷たい湖の底だった。ロシアの自然を写した映像美が、素晴らしい。特に冒頭の淡くグレーがかった映像は、詩的な印象を残す。(ちなみに、宗教や共産主義から近年ロシアへの移行などの政治的背景を象徴として盛り込んでいるが、その部分は省略した。)アンドレイ・タルコフスキーの「サクリファイス」を思い出すような後世に残るロシア映画だった。

監督 : Andrei Zvyagintsev アンドレイ・ズビャギンツェフ
製作 : Dmitri Lesnevsky ドミトリイ・レスネフスキー
脚本 : Vladimir Moiseyenko ウラジーミル・モイセエンコ
     Aleksandr Novototsky アレクサンドル・ノヴォトツキー

最後に、この映画はロケ地の湖で撮影終了後に亡くなった兄役のウラジーミル・ガーリンに捧げられている。


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2 コメント

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静謐な映画 (つな)
2006-04-02 18:23:33
最初は、父はどんな人なのか、何をしているのか、その謎解きに興味を持って見ていたのですが、そんなことは小さなこと、と思わせられる映画でした。通常であればきっと、あそこで放り出されたら、私は怒り出すのですが・・・。

ロシアの厳しい自然、厳しく強い父と、父が最後に見せる愛情が良かったですよね。



*トラバさせて頂きました。樹衣子さんの丁寧な記事で、あの厳しくも美しい映像と、見た後の重い気持ち(決してそれが嫌と言うわけではない)が蘇ってきました。
つなさまへ (樹衣子)
2006-04-02 21:55:59
やっぱり桜は、良いですね。

日本の大学も欧米のように9月スタートという案もありますが、桜の季節に入学式、新学期という情緒は捨て難いです。ロシアの厳しくも美しい自然が日本の風景と異なる点でもこの映画を観る価値があるように、日本人として日本的な情緒は大切にしたいです。



さて、つなさんも「父、帰る」をご覧になっていたのですね。おごった言い方を許していただければ、この映画を選択する人は、本当に映画好きだと思います。

世の中には、愛情表現の下手な男性がいます。この無骨な父も、そういうタイプなのでしょう。でも、あのイワンを置き去りにする行為は、母親では決してできない厳しさだと思います。男にとって、このような父の愛情を理解するには、歳月と成長を必要とするのかもしれません。それからロシア正教をモチーフにしたこのような映画製作は、旧ソ連時代では困難だったと思います。その点からも、ロシアの経済変化を感じさせる映画でもありました。



*倉橋由美子のつなさんの記事を再読させていただきましたが、彼女の感性に共感できるのは、”文学少女時代”を通過している後ろ暗い過去が必要かも。。。つまりペトロニウスさまのように”少女時代”をもたない御仁には、入れないかもしれません。^^

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