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ETV特集「”小さな金融”が世界を変える ~アメリカ発 元銀行マンの挑戦~」

2010-10-11 22:46:39 | Nonsense
銀行はなぜ貧しい者を救えないのか。

銀行はそもそも弱者ではなく強いもののためにある。そう思っていたのだが、本気で弱者のための銀行を設立し、その斬新な発想で米ビジネスウィーク誌が「アメリカで最も有望な社会起業家の一人」と評価し、世界でも注目されつつあるのが、2003年6月にマイクロファイナンス・インターナショナル・コーポレーション(MFIC)を設立した、枋迫篤昌(とちさこあつまさ)氏である。MFICの主な顧客は年収2万円程度のラテンアメリカ系の貧しい移民たち。出稼ぎ労働者の彼らは、銀行口座、クレジット・カードをもてない”unbanked”と呼ばれているのだが、その人口は米国内で約5000万人もいる。

たとえ貧しくとも、出稼ぎであるからには、彼らは労働で得たわずかな賃金から、本国で待っている家族のためにたとえ小額でも金を送金する必要がある。典型的なプアーな労働者の身なりの彼らが、ポケットからとりだしたほんの100ドル程度の金額を送金しても、正規のサービスを受けられないために支払う手数料は15%にもなる。先日、citiBank経由でドイツのハイデルベルク貯蓄銀行に5000ユーロを送金した私が支払った手数料は2000円。これを考えると、15%の手数料がとても高いのがわかる。しかし、一回の送金額が小さいからと侮れないのが、米国からラテンアメリカ諸国向けの送金は530億ドル(約6兆3600億円)に達し、これはラテンアメリカ各国のGDP(国内総生産)の10%を占めるまでになった。こんな誰も見向きもしない貧しい小口に注目したのが、枋迫氏である。IT技術と金融の専門知識をそそいで格安の手数料の送金システムを構築する。この送金システムは、いわば米国と海外の銀行口座を結ぶ重要なインフラとなっていく。そして、今では米連邦準備銀行もその革新的なビジネスモデルを認め、4月正式に提携するに至る。

次に枋迫氏が考えたのが、送金する間の滞留資金を使って、貧困層の人々や移民たち向けへの小口のローンだった。顧客のこれまでの送金履歴を調査して、定期的に送金している実績があったら、安定収入があり真面目に勤務していると判断し、無担保融資という私には大胆に?思えるビジネスをはじめたんだった。実際に、番組ではMFICで融資を受けて車を購入することによって、いち労働者から現場監督に昇進し、家も購入することができた男性も紹介された。マイホームで寛ぐ幼い娘たちの姿が、印象に残る。ここで思い出したのが、ノーベル平和賞を受賞したバングラデッシュのグラミン銀行とその創設者、ムハマド・ユヌス氏がはじめた少額の金融サービス(マイクロファイナンス)である。枋迫氏の思いも「金融は金持ちのためではなく、貧困ゆえに助けを必要としている人のためにあらねばならない。」という強い信念かたはじまった。終始温厚で穏やかな笑顔のたえない枋迫氏だが、奥様によると「芯は言い出したら後にはひかない情熱の人」らしい。

退職金やこれまでの貯えをつぎこんで、あらたに挑戦をしたきっかけは、26歳の時の体験にはじまる。枋迫篤昌氏は、大学を卒業後、旧東京銀行に入行。入社して3年目にいきなりメキシコに飛ばされた。必死で現地で働く彼は、ある露天商と親しくなり、”ディナー”に招かれることになった。楽しく食事を終えて帰る頃になると、その家の3歳のホセ君から「お兄ちゃん、今度はいつ来るの」と尋ねられた。お兄ちゃんが来てくれたから、半年ぶりにお肉が食べられたそうだ。確かに、スープに薄い肉がほんの少しばかり浮いていたことを思い出した彼は、あまりの貧困ぶりに愕然とした。毎日一生懸命働いているのに、貧困から抜けられないのは間違っている。彼らにとって必要なのは、経済的なチャンスだと考え、いつか金融のプロとなって貧しい人たちに役に立つサービスをはじめようと決意をした。

やがて歳月が過ぎ、グリーンカードを取得し、勤務先にもその考えを伝えていた頃、かってのメキシコの露天商から届いたのは、ホセ君の訃報だった。貧しくて、病院にも行くことができなかったと書いてあるのを読み、再び情熱を取り戻して設立したのがMFIC。実は、このMFICを取り扱った番組を観るのは二度目だが、今回は、時間も長く充実していろいろなことがわかった。ビジネスモデルの革新性と貧困者への福音と、目が覚めるようなビジネスに久しぶりに興奮した。


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