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「すべて僕に任せてください 東工大モーレツ天才助教授の悲劇」今野浩著

2013-12-08 19:49:08 | Nonsense
お金をおろすのに、電車賃代を節約して5駅先の銀行まで自転車で30分かけて行く。真冬でもYシャツ1枚で、猛烈に働き、内緒話を廊下中に聞こえるような大声で話す。新調160センチ程度だが、体重は70キロの男性。こんな男が結婚したいと見合いを繰り返しているうちに、勿論、断れまくり、解くのが難解な「NP困難」とまで言われるようになった。

けれども、この男性、白川浩さんは確かにお見合い市場では不人気だったのかもしれないが、数学の才能が抜群で教授の講義の誤りを指摘する天才くんと呼ばれる男だった。博士課程を修了して東工大のヒラノ教授の助手になると、年間4000時間も勉強に没頭するばけものだった。やがて、彼の傑出した頭脳と才能、そして猛研究の成果が花を咲き、金融工学の分野で世界をリードすると期待されるまでの研究者になっていった。「ヒラノ教授と七人の天才」で最後に登場した研究者が白川ハカセ。しかし、そんな国際級のエース白川さんは、11年前に42歳の誕生日を病床で迎えてまもなく亡くなっていた。

そして、ヒラノ教授が、数理工学的な方法を利用して金融・財務の先端技術の共同研究するために設立し、白川さんが心血をそそいだ東工大の「理財工学研究センター」も、独立行政法人化の流れを受けて廃止に追い込まれていった。世界的研究拠点をめざし設立した当時は、多くの論文、解説記事、学会発表やシンポジウムを開き、学外の専門家による業績評価では最高ランクの格付けを獲得したのにもかかわらず。そこには、所詮、大学は文部科学省の管理下にあることから、ヒラノ教授の”戦略”が甘かったということは否めないのだが、著者の悔しさや無念さと白川ハカセへの配慮への”もし”という後悔もにじみでている。

本書の構成は、二重構造となっている。10年にひとりとうたわれた天才助教授・白川浩氏の行動と天才ぶり、そして彼とやがてパートナーとなる著者の蜜月時代の研究生活と離れていった大学での仕事や研究者としての方針やあり方。そして、もうひとつは金融工学の黎明期と歩んだヒラノ教授の業績から学ぶ日本のこの分野の歴史と、さらにさまざまな戦略も必要とする象牙の塔の大学の表と裏”事情”である。

ヒラノ教授と白川ハカセは、つまるところドン・キホーテだったのだろうか。

少々変わっているかもしれないヒラノ教授と、つきぬけたエンジニアで誰もが変人と認定する白川ハカセのコンビは、読み物としてもおもしろくどんどんひきこまれていくのだが、かっての白川少年が、業績を築き時代の脚光をあびて助手から助教授へと階段をのぼるにつれ、学生の指導、会議、大学職員としての雑務など、次々とさまざまな仕事を背負い込み命を摩滅していった鎮魂歌となっている。背景をあやどるのは、学部間の領土問題、予算どり、ポストの奪い合いややりくり、東大京大とのせめぎあい、おカミのおふれ、、、実に名作映画「仁義なき戦い」をみるようだった。

ファイナンス理論、ポートフォリオ分析、クオンツ。すっかりなじみのある単語に、理系出身の大学生が金融機関に就職するのも今では一般的といっても差し支えないだろう。半沢直樹の融資の仕事は銀行業務の主流だろうが、世界の金融業界で日本の銀行の存在感をアピールするためには、数学にさえた理系の金融マンも必須のはず。本書を読んで、ひとりの大学助教授の命とともに、私は日本が失ったものの重さをはかりかねている。

最後に、白川ハカセは「NP困難」を無事に解決し、後輩に希望を与えたばかりか、妻との間にふたりのお子さんも生まれたそうだ。

■読み始めたらとまらないシリーズ
「工学部ヒラノ教授」
「工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行」
「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」
「工学部ヒラノ教授と七人の天才」


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